ようやくナツメグのネタバレ感想が書けました。
…と言っても、文章が書けただけ(^^;
レビューとともに近々アップする予定でいます。
『ナツメグ』の評価を自分なりに簡単に結論付けますと、
内容的に面白く、シナリオテーマ的にも味があったものの、
全般的に作り込みが甘く不十分だった、といった感じでしょうか。
頑張れ、ルーキーということで、よろ。
◆プロ野球 西武ライオンズのキャンプ
昨日、今季初の実戦である紅白戦が行われたようで、
注目のルーキー・岸投手は、初回に自らのジャッジで内安打を許してしまい、
直後のピッチャーゴロ併殺コースを2アウトと間違えて1塁へ送球してしまって1失点、
ショックを引きずるままに四球を出し、
平尾選手に甘い高めの球をホームランされるなど計4失点、
2・3回はしっかりと抑えたようですが、ほろ苦いデビュー戦となってしまったようです。
インタビューを聞いていると朴訥とした感じで、緊張している感が強かったこともあり、
精神面の不安を感じてましたが… いやー、まさかこんなにやってくれるとは(笑)
ただ四球で試合にならないというピッチングではなかったようなので、
経験さえ積んでいけば大丈夫なのではないかと思ったり。
オープン戦も別に打たれてもいいので、
どんな場面でもしっかりと投げられるようにシーズンのために勉強してもらいたいです。
そういう意味では、デビュー戦でスイスイ行くよりも、
反省点が見つかったことは良かったんじゃないですかね。
それと新外国人のジョンソン投手が上々デビューを見せ、
新人の岩崎投手がコントロールに不安があったものの無難なピッチングを見せたそうです。
ジョンソン投手が計算できれば、松坂投手が抜けた先発陣も大分楽になりますね。
西口・涌井・ジョンソン投手の3本柱に、
ギッセル・グラマン・許投手のうち1人、帆足・松永・山崎投手の左腕3人から1人、
ここにルーキーの岸投手ら若手の台頭を期待すれば、先発は6人で揃います。
オープン戦では、岸投手に経験を、ジョンソン投手には安心材料を期待したいところ(^^;
他の選手の情報はあまり伝わってきませんが、
2ちゃんねるの情報だと、4年目の岡本投手が完全投球、2年目の山本歩投手が好投を見せ、
ルーキーの山本淳投手は毎回ランナーを賑わせるなど2回6安打3失点のほろ苦デビュー、だそうで。
岡本・山本歩投手らは今年が勝負なので期待してます。
ルーキー岩崎投手とともに中継ぎに入ってきてくれれば、厚みが出そう。
野手では栗山・石井義人選手が活躍し、平尾・GG佐藤選手がホームランでアピールしたとか。
逆に和田選手は新フォームがまだしっくり来ず、結果出ず。
先日の文化放送のインタビューでもコメントが弱気だったので、和田選手はちょっと心配です。
でもベテランですし、オープン戦の最後にはモノにしてくれることでしょう。
実戦がこの1試合だけなので、どこまで調整できていて、
誰がアピールしているのかは詳しく分かりませんが、
まず大きな怪我人が出ていないのが幸いですよね。
残るキャンプも順調に過ごし、オープン戦の中で各選手達のアピールを期待したいっす。
◆ナツメグ ネタバレ感想
↓そんなこんなで、ナツメグのネタバレ感想。長文注意。
つーか、見にくい(苦笑) 早めに正式版を起こしますので、それまでご容赦を。
当然の如く、一部シナリオのネタバレが含まれてますので、閲覧には注意のこと~
ほとりシナリオをプレイして、「言いようのない空虚さ」を私は感じました。
それは言わば「現実」とも言えるような感覚で、
プレイ時にはそれが何なのかよく分かりませんでした。
そこで「言いようのない空虚さ」が何なのかを考えてみると…
それは祭りの終わりの感覚、非日常から日常への回帰、落日、
さらに具体的に言うなら、友人関係の変化、友達以上恋人未満の関係の終焉、
輝かしい日への哀愁、そんな変化を認めることのできない姿…
例えるならそれは、輝かしい日々を過ごしたヒーローがくたびれたサラリーマンとなり、
日中一人公園でブランコに乗っているような光景…
例えるならそれは、超一流だったプロ野球選手が怪我をきっかけにレギュラーを外れ、
いつしか年齢を理由に2軍暮らしが続くような光景…
人はそれを「落ちぶれた」と称するのかもしれません(尺度の問題があるので断定しません)。
「落ちぶれた」光景を目の当たりにした時、
「輝かしい日々」の光景にはある種の空虚さを感じえません。
そんなある種の空虚さとは、時間による変化、環境の変化、
世の中に変わらないものなどないということ、無常さに人は哀れを感じるのです。
ナツメグのほとりシナリオにおける主人公の姿・物語にはそんな無常さを感じずにはいられません。
その無常さは一夏の思い出を儚いものとするような、打ち消してしまうような、
ナツメグの世界全般を崩壊させてしまうような、そんな感覚に襲わせるのです。
ただ人生は儚く・無常であるからといって、
人生そのものまでもが悲しくなってしまうかというと…
人類はそう考えてきませんでした。それが言わば宗教・哲学の世界であるのでしょう。
ナツメグの世界で言えば、
その儚さ・無常さを感じさせるのが「由佳子の転校」という事実であり、
また、野島ほとりという存在なのであり、
それらを乗り越える方法が「部活」という行動であり、
また、ほとりの懐古として表現されていたように思います。
別れが前提であるのにも関わらず、仲のいい馬鹿騒ぎをすることは、
現実逃避でしかないのか、それとも別の意味を持たせることができるのか?
当然、プレイヤーは別の意味を持たせたことをナツメグをプレイして知っているわけです。
ではその「別の意味」とは何なのか?
新しい関係の構築(恋人関係)? それも無常ですから、違います。
それは部活を作った目的、「思い出作り」にあると言えるでしょう。
思い出は個人の中の想いですから、脚色されたり、歪曲されたり、消去されたりもしますが、
他の外的要因(関係の希薄化、環境の変化)によって直接的には変化しません。
そんな「不変の思い出」を胸に、辛い現実(別れ)を乗り越えていこうとするのが、
ナツメグのキャラクター達の姿です。
加えて重要なのが、「部活」という形にしたこと。
当初の主人公+由佳子+実梨+シゲオの4人に加えて、円+ほとり+セリスとしたことで、
「思い出の共有化」をすることに成功し、
より強固な思い出、言わば「絆」ができ上がったのです。
「絆」というと一緒にいた時間(幼馴染とか)が問題とされやすいのですが、
ナツメグでは時間の要素は必要ないと考えています(由佳子シナリオ)。
3ヶ月という短い期間でも絆はできるよ(勿論、1日でも半日でも可能です)、
「思い出の共有化」をすることができれば、ということをナツメグは示していたと思います。
ならば、今度は「思い出の共有化」が具体的に何を指すかとなるわけですが、
これに関しては直接的には語られていません。
敢えて言うならば、主人公・由佳子・実梨・シゲオ達4人の中学時代の思い出でしょうか。
昔の思い出を語り合うことで、または思い返すことで、
今を再認識し、仲間であることの偶然・奇跡を感じる、想う、感謝する、
そうすることによって、より強固な仲間意識が生まれる・新しい関係を生む、
それが「思い出の共有化」であると私は考えます。
ストーリー展開からすれば、由佳子シナリオ直後の回想イベントはさほど意味をもちませんが、
シナリオテーマからすれば、非常に重要な意味を持っていたのかもしれません。
ここまでの話を整理しますと、ナツメグというのは、
由佳子との別れ(厳しい現実・無常さを感じさせる事柄)に直面した主人公達が、
仲間達による思い出作り(思い出の共有化)によってそれを乗り越えていく物語と言えます。
仲間の関係は一旦終わりとなったとしても、
その思い出または恋人関係を抱いて生きていくというのがほとりシナリオ以外の流れでしょう。
いや、厳密には、思い出を抱いて生きていくであろう人物は由佳子シナリオ以外の由佳子であり、
主人公を始めとする主人公達がどうであるかに関してはその後のエピソードがないので判別できません。
思い出というよりは、むしろ、新しい関係によって乗り越えていくと捉えるのが自然でしょう。
つまり、思い出作りの意味(思い出の活用方法の面)を知ることができるのは、
その後のエピソードが語られるほとりシナリオのみということになります。
ほとりシナリオをプレイした人は分かるように、ここには新しい関係はありません。
あるのはほとりの喪失のみ、主人公の自己喪失による関係の希薄化のみです。
勿論、そういった観点から主人公を巡る仲間の崩壊を考えることはできますが、
ほとりシナリオがモノローグ主体であることから、思い出という面を中心に考えてみることにします。
ほとりシナリオのエピローグは大きく分けて2つに分けられるのはお分かりでしょう。
1つ目がエピローグ開始から由佳子が結婚するまで、
2つ目が電子レンジの卵爆発によるほとりの思い出回帰後から最後まで。
この前半・後半の2つの違いを考えると、前半はほとりの思い出に縛られていたということができ、
後半はほとりの思い出を活かすことができていたと言うことができます。
前半は思い出が外から内に閉じこもる形となっていて、
後半は逆に内から外へ溢れ出る形となっています。
これが先ほど唐突に出てきた感のある「思い出の共有化」の意味でもあります。
前半部分の思い出に縛られるという意味を説明しますと、
ほとりとの思い出に固執するあまり、それしか見えなくなってしまうこと、
ほとりとの思い出を守るために、周囲を拒絶してしまい、
いつしかそれが絶対的なものとなって、自身の行動を束縛してしまうこと、
それらが思い出に縛られるという意味です。
例としては、ねこねこソフト『朱』におけるラッテが挙げられます。
(これに関しては朱のネタバレ感想にて触れていますので、詳しくはそちらを参照してくださいませ)
言うなれば、後ろ向きな思い出です。あの頃は良かったね的な回顧のようなもの。
そこにあるのは過去だけであり、現在と未来は存在していません。
過去と現在が隔絶された思い出、過去が未来へ繋がっていかない思い出だと言えます。。
まぁ、一般的に言う「思い出」と理解しても、そう間違いはないと思います。
ほとりシナリオにおける主人公は、記録・記憶からほとりが消えていくという特殊な状況ですが、
それは私達が思い出を忘れていってしまうこととそれほど変わりがありません。
ただ違いがあるのは、主人公は何かを忘れたということを漠然と覚えているのに対し、
私達は忘れたということも疑問に思わず忘れてしまう点
(だからこそ生きていける場合もあるのですが)でしょう。
ですから主人公はいつまでもほとりの思い出から脱却できない、
ほとりの不存在をいつまでも認めることができなかったように思います。
つまり、この前半で描かれている主人公の姿は二重の意味を持っていて、
一つはいつまでも思い出に固執する人間の姿(思い出に縛られる人間の姿)であり、
もう一つが大事な思い出を忘れていってしまう私達一人一人の姿でもあるのです。
この文章を書く上で、一番最初に触れた「言いようのない空虚さ」というのは、
私達が思い出を活かせていないことに対する虚しさであり、
過去と現在とが隔絶していることに対して感じる人生の無常さなのだと思います。
これに対して、後半の主人公は前向きに生きようとしています。
ほとりの記憶が戻ることによって、隔絶された現在と過去とが埋まり、
今現在に自分があることの理由・意味を感じ、
過去を懐かしみながらも未来に対して歩いていける、そんな人間へと変わっていきます。
思い出を活かすということは、
過去と現在を繋げることができ、それを未来に対して向けようとする態度を持つこと、
過去の思い出から現在における自分の位置を正しく導き出せること、ではないでしょうか。
一番最初に書いた文章を例に取れば、
過去の「輝かしい日々」と現在の「落ちぶれた日々」とは隔絶しておらず、
同一人の人生なのですから2つは必ず繋がっているのであって、
現在においても過去の「輝かしい日々」の要素は存在しているはずであり、
過去と現在の自分は別人なのではなく、同じ自分であるはずなのです。
また、世の中は無常で、周囲の環境・評価・時代は変わりやすいものですから、
「輝かしい」「落ちぶれた」という形容詞はさほど意味を持ってはいません。
それらはある一時を断片的に取り出した時の形容詞であって、
ある時から見れば、「輝かしい」は「贅沢三昧な」「怠惰な」に思えるかもしれませんし、
ある時から見れば、「落ちぶれた」は「次のステージのための忍耐の期間」に思えるかもしれません。
過去を「輝かしい日々」と現在を「落ちぶれた日々」といったように認識しないこと、
つまりは自分・周囲の評価そのものを取り去り、
ただ現在の自分を認識して未来へ歩んでいこうとすること、
それが思い出を活かすことではないでしょうか。
思い出にあるのは「日々」のみ、確実にあるのは「日々」だけです。
そんな「日々」の流れを感じ取ること、
思い出の積み重ねを流れとして感じること、
それによって過去と現在の繋がりを感じ取り、自分の現在の位置を確認し、
それを今度は未来に向けて流していく… それが思い出を活かすことだと思います。
思い出とは現在を知ること、現在の自分を感じ取ることです。
前半・後半との対比関係で、一般的な意味が置き去りにされてしまいましたが、
もちろん、思い出が定着し、記憶となって、それが経験へと変わること、
経験から自分・他人をよりよく理解し、優しくなれこと、それも思い出を活かすことだと言えます。
ほとりシナリオエピローグ後半において主人公がプリントを拾うシーンは、
自分とほとりとの経験から、誰かのために優しくなれていることを象徴しているように感じられます。
ここまでがほとりシナリオ後半に描かれていることです。
さらに自分なりに補完すれば、ここに「思い出の共有化」が加わります。
思い出を活かすことは、現在を知り、未来へ繋げることだと説明しましたが、
「思い出の共有化」というのはそのうちの未来へ繋げていく作業を指します。
ほとりシナリオで言うならば、文章だけで僅かに触れられている部活仲間の再結集、
そしてほとりとの再会がそれを指しているように思います。
思い出の共有化は、自分の中の現在位置の確認だけでなく、
共有者との過去・現在における自分との位置関係を確認することができます。
自分の中の位置関係がX軸とするなら、Y軸が他人との位置関係だと言えます。
それを測ることができるのが、思い出の共有化作業とも言えるものなのでしょう。
これによって思い出は完全な形で活かされることになります。
抽象的な話が多く、話が分かり辛くなっているとは思いますが…ご容赦を(^^;
ここまでの話の流れをまとめますと、
「思い出」とは、過去に浸ることではなく、
過去と現在を繋げて、現在を再認識することで、未来へその想いを繋げていくことであり、
「思い出作り」とは、現在の一時だけを楽しむことではなく、
未来へとその想いを繋いでいくことであり、
互いに思い出を交換することや再確認することによる「思い出の共有化」によって、
自分と他人の現在位置を再確認したり、共通認識(仲間意識等)を新たにし、
変わらない人々の想いを感じ取ることで、または少し変わった人々の想いを愉しむことで、
変わってゆく現実に対応していくこと、
それが思い出の効用であると考えます。
つまりは、世の中の無常さえも味わうことのできる心、広い視野で変化を楽しむ心、
それこそが思い出を活かすことのできる心なのでしょう。
長ったらしくなりましたが、以上が私自身がナツメグをプレイして感じ取った事柄です。
これらを逆にナツメグに当てはめて解釈しますと…
ナツメグというゲーム自体が関係の破綻を前提とした中での壮大な「思い出」作りであり、
夏祭りのように終わりがあるからこそ輝かしく美しい「非日常」がそこにある。
けれどただ漠然と「思い出」を作るのではなく、
大事なのは、「思い出」に何を込め、そして今後の人生でどう「思い出」を抱くか、である。
それを指し示すのが仲間関係を一時的に破綻させた各シナリオの「恋人関係」であり、
ほとりシナリオにおけるエピローグであると言える。
「恋人関係」の面では、主人公達は楽しい「思い出」と「思い出による縛り」の中で、
色々と悩み、互いにぶつかり合い、そして最後には破綻を恐れずに一歩を踏み込むことによって、
新しい夏の「思い出」をより輝かしく、美しく、強烈な印象を持つものにしている。
一方のほとりシナリオエピローグでは、
由佳子の結婚というナツメグのストーリー開始時点の設定を完全に破綻させることにより、
主人公を中心とする仲間関係の完全な破綻、
強いてはナツメグの世界そのものの破綻を描き、
「非日常」の脆さや人生の無常さといったものをプレイヤーに印象付けさせている。
また、ほとりの喪失によって現実を上手く生きれなくなった主人公の姿の中に、
大人になるにつれて・年齢を重ねるにつれて、「思い出」を忘れていく私達の悲しさ、
「思い出」を活かせなくなる私達の愚かさを感じさせてくれる。
そして、ほとりの思い出の回帰とともに立ち直っていく主人公の姿を描くことで、
「思い出」の重要さと、
「思い出」を活かす方法(世の中にある無常を乗り越えるヒント)を私達に教えてくれている。
「思い出」を巡るストーリー、それが『ナツメグ』なのである。
…といった感じになります。
ただこれらのテーマ、「思い出」とは何かを語っていることを考えたとき、
『ナツメグ』はやはり不十分だったと言わざるを得ません。
各ヒロインシナリオの核となるはずであった過去の「思い出」が十分に描かれていません。
由佳子シナリオにおける主人公の過去(転入前)の姿や、由佳子の転入直後のトラウマ、
円シナリオにおける幼い頃の円と主人公の姿、再会した2人のエピソード、
セリスシナリオにおけるセリスの過去、父親・母親との関係、等々。
文章等で触れられているものもありますが、どれもあっさり気味で、
とてもシナリオの核心部分であるとは言えません。
唯一描けていたと思われるのが実梨シナリオにおける由佳子と実梨の思い出(白い花のエピソード)、
こちらも過去の回想シーンがあればもっと強調されたのでしょうが、
シナリオにおける重要アイテムであることは変わりありませんから、合格点ではあるでしょう。
(アイテムという面ではセリスのノートもそうですね。
ただし過去の縛りでなく、未来に対しての約束という意味になりますが)
ほとりシナリオのエピローグに関してはよく挑戦したとは思いますが、
十分にプレイヤーに伝わる内容となったかには少々疑問が残ります。
もっと詳細に、じっくりと描いても良かったのではないでしょうか?
個別シナリオがボリューム不足だったことで、
シナリオテーマが掴み辛かった点は反省しなければならないように思います。
もう少し時間をかけて作っていれば、
ほとりシナリオのインパクトもあって良い作品に仕上がっていただろうに… 残念です。
そういった作り込みの甘さはシナリオだけでなく、
CGにおいてもキャラが別人に思えたりするなどの不安定さや、
オマケ要素がおまけH×2とスタッフルームだけだった点にも現れていて、
ねこねこソフト時代に感じられた妥協のない姿勢が感じ取れなかったのは残念です。
コットンソフトとなっての第一作目ということで納期を優先したことや、
二作目の『レコンキスタ』と同時進行であったことが、
作り込みの甘かった理由なのでしょうけど…
やっぱりそれはねこねこを知るユーザーとしては寂しいです。
発売日を延期してもいいから、妥協のない作品を作り上げてくれと、
作っている自分達が本当に愛せる作品を作ってくれと、そう思います。
野球に例えれば、素質のある素材型ルーキーといった感じでしょうか。
あとは経験と情熱です!(^^;
2作目以降に大きく羽ばたけるよう、コットンソフトさんには頑張ってもらいたいです。