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2015年02月22日

待て。

もとい。MATE。

ねんがん の げのーむ2 かんきょう を てに いれたぞ

…古いですね。
まぁでも気付いたことがあって。
いくらソフトウェアレベルでデスクトップ表示までを早くしたところで、個々のアプリが起動する時間までは変えられないんですよね。
…それでも時間かけて変更するほどgnome3が私に合わないってことで。

インプットメソッドについての問題が解決したので、ArchLinuxのデスクトップ環境をgnome3からgnome2系のMATEに変更できました。
ibusの乱とか言ってた気がしますが、ibusを諦めてfcitxというものに切り替えてみた所、これがなんとも快適で…本格的にArchLinuxに移行して1年以上経ちますが、ようやく入力での苦しみから解放されました。
あとは印刷の問題ですが、仮想環境のwindowsでしか使うシーンもないので当分は解決する気も無く。

ついでなのでログイン画面をlightdmにしましたが、設定の仕方がよく分かんないので、しばらく味気のないログイン画面が続きそう。
CSSやwebkitが使えるようですが、正直そこまで勉強する気力も…背景さえ設定できればそれでいいの。

windowsといえば、10が期間限定で無料アップグレード出来るという記事をかめさんも書いて居られましたが、随分と譲歩したなーという印象です。
8と8.1がデスクトップで盛大に転んだので、なんとか挽回したい所なのでしょうか。

しかし、10のテクニカルプレビューの印象だと、まだまだ挽回できる出来とはお世辞にも言えず。
従来のスタートメニューに8から加わったタイルが融合したものですが、そこまでしてタイルにこだわる理由が私にはイマイチ理解できません。
さらにワークスペースの概念が完全に後発で劣化版状態なので、次のプレビューでの改善を期待…したいんだけど、ぶっちゃけワークスペースって必要か?って思ったり。
ワークスペースを頻繁に使うレベルの人なら、マルチディスプレイにする…よね?
っていうかマルチディスプレイしたいんだけど、なかなか値段下がんないなぁ…

脱線したのでこの話は終わり。

竹島の日…なにそれおいs(ry
近所の人がインタビュー受けてるところが某国民放送全国版で流れてました。
この問題について語ることは特にありません。

2015年02月19日

燃やして焦がして。

年末ぶりでございます。

やーぶっちゃけこのわけわかめな流れのなかで何を言っていいのやらって感じでいつもどおりすごしてたらものすごいジカンがすぎてました。

仮名多めなのはわざとです(ぉ

考えても仕様が無いので何時も通り行くことにしました。
あけましめでたし。今年もよしなに。旧正月なので何も間違ってないっ。
年末から不意打ちの訃報が続いてて、ちょっと参ってます。好事魔多しとはよく言ったもの。

とりあえず新暦的な意味で正月からの流れを端的に説明しますと、
いきなり風邪引く→箱根ェ…→あちこち旅に出る→某ブログの影響で咲キャラで誰が嫁力が高いか考察する
→いまさらガルパンにハマる→PCシステム見直す→失敗して元に戻す←今ここ

です。ええ。進歩しないのはどっかの政府と一緒です。ええ。

■ibusの乱
PCは大したことでも無いんですが、ArchLinuxのデスクトップマネージャーをGNOME3からMATEに変更しようとして、ブラウザで日本語入力が出来なくなったために挫折しました。
古いPCでは、ブラウザでは日本語入力できるけど、LibreOfficeでは出来なかったり。
つか、マネージャーの環境設定ファイルの読み込み先を統一して欲しい。書き込むのメンドイんじゃよ…
もう私の力ではお手上げですので、平常運転に戻す選択肢しか残ってませんでした。
GNOME3はあんまり好きじゃないので、また機を見て移行チャレンジしたい。

■戦車道
ガルパンについてはもう蛇足にもほどがあるのですが、ものすごいタイミングでうさぎさんチームのラジオが始まったあたり、軽く運命のようなものを感じます(寝言)

以下簡潔にも程がある感想。
・イヤホンで聞いた時の戦車の音がすごい好き。マウスの重厚感がかっけぇ。
・ファイヤフライやポルシェティーガーの砲撃音とかもね。もうたまんねぇ…ウヒヒ
・あんこう音頭が耳につきそうで怖い。ノリノリの会長に萌える。
・ダージリン様と古今東西の格言を夜通し語り合いたい。
・カチューシャとノンナって…あれ?なにこのレミ様と咲y(ry カチューシャ日記超読みたい。
・うさぎさんチーム全員妹にしたい。特に佳利奈ちゃんとアニメ見て夜通しはしゃぎたい。あいあいあい。
・ソウルネーム多すぎ笑えない。アニメだけでキャラ覚えるのは咲以上にハードル高かった。

そういや、アニメの中で大洗の選択科目に香道ってあったけど、それとは割と関係なく最近「練香」を炊くようになりました。
普通の線香や香と違って、煙が出ないのでなんとなくスッキリした感じ。
それでいて、広範囲に長時間に渡って香りが浸透するので非常に気に入ってます。

戦車道は実在しませんが、香道は実在しますんで、興味のある方は是非。

■嫁力。
本日最大の蛇足。
対象は咲-Saki-キャラ。
嫁にしたいキャラは咲さん、慕、杏果の三強ですが、実際に嫁力高いのは竜華、玄、杏果の三強だと思ってます。
特に古典的な「自己犠牲」の部分ががが。

■ゆるゆり13巻
今日読みました。
・完全に結衣ちゃんの巻。始めからクライマックス。
・結綾の可能性はまだ諦めてません。
・大室家出てからそっち系の人の出番が本編でガリガリ削られてる。
・りせ会長マジわらしべ会長。あの話の最後のコマがすごい好き。

こんなところで。
明日はトラベラーズノートのカスタマイズに精を出してる予定です。

2015年02月17日

戦後処理

イラク・シリアにおけるイスラム国との戦い、
ウクライナにおける政府軍と親ロシア派との戦いと停戦…
世界が戦いの真っ只中にある中、日本では自衛隊派遣の恒久法とか言ったり…
ぶっちゃけ、それ以前の問題なのでは?と思うことがしばしば。
これらの問題に対して、日本はどうコミットして、そしてどう戦後処理をするのか、
そういった外交戦略が全く見えて来ない故に、日本は金だけと言われるわけですよ。
そして、今は金さえ出し渋り、「協力してくれるなら」という限定付き、
「仲間にだけお金をあげますよ」、と。
「金も出せば、口も出す」どこぞの球団のオーナーかよ(笑)。
いつのまに日本はそんな偉くなったのでしょうか(苦笑)

ウクライナ問題で疑問なのは、親ロシア派の代表が見えてこない点ですよね。
停戦協議においても、ロシアが出てくるだけで、親ロシア派は見えてこない、
それで戦後処理が本当にできるのか、できるわけがないです。
結局、ロシアの傀儡政権的な感じなのでしょうが、
早急に代表を立てて国際社会に認めてもらう形を取らなければ、
自治権の獲得も、その先にある独立だって到底叶いません。
親ロシア派が何をしたいのか、実態がどうなっているのか、
彼らを住民は真に支援・支持しているのか、そこが見えてきません。
旅客機墜落事件も置き去りにされたまま、どうにもこうにも違和感だけが付きまといます。

イスラム国との問題で言えば、彼らが真に地上から姿を消すかどうかは別として、
イラク・シリア地域におけるイスラム国の勢力が撃退されるのは、
およそ時間の問題だと思われますが、その後の統治は一体どうなるのか。
シリアのアサド政権の問題も結局解決していませんし、
イラクにおいても最も戦果を挙げているのはクルド人部隊で、
フセイン政権時代を始め、トルコでも迫害を受けていた国家を持たない最大民族で、
新イラク政府において大幅な自治権を得たため、
それを失わないために、言わば彼ら自身のための戦いであるからこそ、
モチベーションが高く、侵略者たる敵を討つことができているわけですが、
その後、彼らはそのまま自治政府の立場で甘んじるのか。
それとも、トルコやシリアのクルド人と連携し、今度はクルド人国家の樹立を目指すのか、
「イスラム国」という分かりやすい敵が消えた時に、
今度はどう収拾つけるのか、そこが大きな問題になってきます。

そういった問題に対して、日本はどういう態度で臨むのか、
議論すべきはそちらのような気がするんですがねぇ…


まぁ、しかし、わが国の首相の答弁を聞いてると、頭の中がネット世代だな~と。
人の話を聞かない、自分の都合の良いように話を捻じ曲げる、
それでいて自分が理解できない話が来ると怒り、
俺の話が理解できない奴が悪いと責任を転嫁する… わぉ、生き写しじゃねーか(苦笑)
野党の追及の甘さも指摘されていますが、それ以上に議論が噛み合っていない最大の理由は、
首相の議論するつもりの無さ、理解力の無さに原因があるように思えます。
本当に人の話を聞いていないっていうか、
都合の良いところだけ取り出して持論を述べて終わりってのが多すぎ。
そりゃもう日本もダメになるわけですよ。1億総2ちゃんねらー時代(笑)

2015年02月04日

「積極的平和主義」の末路

先日の人質事件を巡る政府の対応が様々に評論されていますが、
そもそもの安倍政権の「積極的平和主義」という考え方自体が招いた惨事のように思えます。
もう20年前になる1990年代中盤の国連が挫折した「積極的平和主義」、
その末路に日本が足を踏み入れ始めた、そう思わずにはいられません。

…と、まぁ、ここでは三山に語りつくしている国連の積極的平和主義の挫折、
ひいては冷戦が終結したのに国連軍が創設されなかった理由でもあるのですが、
それを何度も語るのもアレなので、アニメの話でもしようかと思います(笑)


◆アニメネタ『伝説巨神イデオン』(ネタバレあり)
「皆殺しの富野」の代表作といえば、『機動戦士ガンダム』シリーズですが、
皆殺しの際にある作品というと、『伝説巨神イデオン』でしょう。
ヒロインの首が飛ぶわ、体はバラバラに千切れるわ、最後はみんな死んじゃうわ、
ある意味で規制が緩かったからこそ作れた作品?
今の時代にこれを地上波放送したら、どうなるんでしょうね(^^;、と思う壮絶な作品。

簡単にネタバレありで説明しちゃいますと、
地球人(と呼んでるだけで私達の文明の地球とは限らない)と、
バッフクラン(異星人)を巡る戦いを描いたSFロボット作品です。
圧倒的な軍事力を誇るバッフクランに地球人は壊滅的な被害を受けますが、
発掘中だった謎のロボット「イデオン」に地球人が乗り込み、戦うというお話。
ただ、この「イデオン」は普通のロボットではなく、「意志」を持っており、
相手の軍隊を壊滅寸前というところで突如として動かなくなったり、
イデオンソードやイデオンガンという恐ろしく強い兵器を持ちながらも、
地球人が自由にそれを使うことはできず、イデオンの意志次第という制約つき。
スーパーロボット大戦でイデオンを使用して、歯がゆい思いをした人も多いでしょう(笑)

どうして「イデオン」はそんな不自由な兵器だったかと言えば、
イデオンは過去に滅んだ文明の遺産・意志の集合体とも言うべきもので、
地球人とバッフクランの対立を良しとはせず、
彼らに対話の機会を与えるために、敢えて戦力の均衡を図っていたわけです。
軍事力に劣る地球人を助けながらも、バッフクランを壊滅までは追い込まず、
常に一進一退の戦いをしていたわけですが、
その間に両軍とも多くの人々を殺し合い、失い合う中で憎しみが膨らみ、
最後は互いの星を滅ぼし合うまでに戦い合ってしまい、
調停に失敗したイデオン共々に両文明を滅ぼしてしまう、というお話。

そんな暗いお話の中にも「メシア」という象徴的な存在もあって、
もう少し救いのあるお話でもあるのですが、そこは実際に映像としてご覧下さい(^^;
「死んだ後でも~ いつか見つかる~ 生き続けたら~ 君は悲しい~」
優しいBGMに美しい戸田恵子さんの声なのに、歌詞は過酷(苦笑)


◆ニュースネタ 「積極的平和主義」の「積極的」とは幻想でしかない
イデオンの話をしたのは、勿論、このためです。
「積極的」平和主義、何が「積極的」なのでしょうか?
例えば、空き地使用権を巡り、のび太とジャイアンが喧嘩しています。
当たり前ですが、ジャイアンの圧勝で喧嘩にもなりません。
そこにドラえもんが喧嘩は良くないと仲裁に入りますが、
どう処理すれば「平和」になるのでしょうか?
そもそも、仲裁をする前にどうすれば喧嘩を一時止めさせられるのでしょうか?

2人とも平等に半分ずつにすれば良いとドラえもんは言うかもしれません。
でもジャイアンは言います。「先に空き地に来ていたのは俺だから俺が優先」と。
それではジャイアンが使えば良いとドラえもんは言うかもしれません。
でものび太君は言います。「空き地はみんなのものだ。僕も使いたい」と。
そもそも、仲裁前に喧嘩している2人をどう静めるか。
ドラえもんは秘密道具で2人を止めるかもしれません。
でもジャイアンは言います。「俺の方が勝ちそうだったのに邪魔しやがって」と。
のび太君も言います。「普段から一緒なのに邪魔するなんて酷いやい」と。

大岡越前が大岡裁きと呼ばれる名裁きができるのも、
町奉行という肩書きがあるからこそ、町民が恐れる権威があるからです。
町奉行よりも権威のある将軍様は関係なしです。

基本的に対等な立場である国家間の仲裁は生易しいものではありません。
それを仲裁する国家が両国家にとって認めるべき中立的存在であること、
そしてその中立性の維持は非常に難しく、均衡を取ることは至難の業です。
「積極的」平和主義、ある意味で「積極的」となった瞬間に平和は崩壊します。
対立している両者の真ん中に入ることはできず、
結果的に片方に加担せざるを得ない、
または両方から相手に加担しているように思われる、
「積極的」になった瞬間、平和の均衡、それは戦いの均衡であるかもしれませんが、
いずれにせよ、3当事者の力関係は崩れ、否応なしに争いに巻き込まれてしまいます。

『伝説巨神イデオン』のイデオンは両者の争いを止めようとするために、
両者の力の均衡を保とうとした結果、殺し合いを激化させてしまい、
結果、3者が滅ぶという姿を描いています。
これこそが「積極的」平和主義の末路。
「積極的」になった瞬間、均衡は崩れ、問題の当事者に巻き込まれるわけです。
国連も90年代中盤にPKF部隊の派遣によって、中立者から当事者と化し、
攻撃のターゲットとなってしまい、甚大な人的被害を被った過去があります。

結局のところ、「積極的」平和主義など幻想でしかありません。
平和主義を「積極的」にすれば、均衡の破壊にしか繋がらず、
仲裁者ではなく、片方に加担する手先と化してしまうのです。
中東和平で積極的な貢献、誰がそう思いますか?
ただでさえ、アメリカの犬と思われている日本ですから、
何をしても仲裁者としてではなく、アメリカの手先としかみなさないでしょう。
それが「積極的」平和主義の末路なんですよ。「積極的」は双方の「平和」を破壊する。

もし、真に日本が「積極的平和主義」を行いたいのなら、
それ相応の国際的権威を持たなければなりません。
それは国連常任理事国のような名誉ではない。「実」です。
日本が他国から尊敬され、仲裁者として申し分のない「実」を兼ね備えねばなりません。
それは圧倒的な軍事力か、圧倒的な非軍事力のいずれかしかありません。
両者を黙らせるだけの権力装置、圧倒的な警察力、かつてのアメリカのような力です。
そうでない道を選ぶのならば、国連以上に私利私欲のない非軍事力しかありません。
大国の道具と思われている国連以上に信頼される非軍事国家・日本、
平和を誰よりも求め、平和を作ってくれるであろうと期待される日本、
そうであって初めて「積極的平和主義」が可能になるわけです。


今回の人質事件は、安倍首相の発言に端を喫するのは間違いない事実です。
彼の掲げる「積極的平和主義」の見通しの甘さ、
日本人が誘拐されていることを知りながら、外務省の慎重要請を受けながら、
敢えてイスラム国を名指しで批判しながら、
何ら報復に対する備えをしていなかったばかりか、
いざ事件が起きても自ら交渉の立場にさえ立てない無策っぷり、バカです。
武器を持たずに裸で口にマスクだけして出かけていっても笑われるだけです。
「実」を持たずに口だけだったから、こういった人質事件が起きてしまった。
そして再度「罪を償わせる」という口だけの発言をするから、
さらに多くの日本人が危険に遭う可能性を作ってしまった。
イスラム国を非難する気持ちは当然ですが、
それに対する準備を怠っていたこと、無策だったことが最大の問題点なんですよ。

「テロとの戦い」聞こえは良いものの、ちゃんと見通しは立っているのか?
同じく「テロとの戦い」を掲げたアメリカは見通しのない戦いに入り込み、疲弊し、
今やその警察力をも失い、内向的になりつつあります。
日本は具体的にどう「テロとの戦い」に向かい合い、勝利するのか。
日本が中東和平にコミットするのならば、
イスラエルとパレスチナの共存を図る方法を見出しているのか、
親日国のトルコを説得し、クルド人国家の樹立を支えることができるのか、
そうやって具体的にどうコミットしていくのか、筋道を立てているのか?
思いつきの人気取り発言であったのならば、
それのせいで日本人2人が殺された罪は極めて重く、
さらに日本国民を危険に晒した安倍総理には、罪を償わせるべきでしょうよ。

2015年02月03日

最悪の結末

事件発生当初から厳しい観測がなされていた人質事件ですが、
1人目の湯川氏の死亡が伝えられ、2人目の後藤氏と思われる人物も殺害されるなど、
最悪の結末を迎えることとなってしまいました。
一時は解放されるのではないかという報道もあって、
好転するムードもなくはなかったので、それだけに衝撃は大きかったですね…

結局、日本政府として何ができて、何ができなかったのか、
何をすればよかったのか、今後どうすれば良いのか、
私達一般国民にはその交渉過程も政府の対応も何ら見えないものだけに、
しっかりと検証を重ね、今後の教訓としてもらいたいです。
自衛隊派遣だとかそれ以前の話でしょう?
交渉すら参加できないのだから、軍事力を用いる前段階の外交力の欠如という話。

まぁ、そういう政治的な話は置いておくとして、
私達が忘れてはならないのは、
今、私達が感じている悲しみ・怒り・苦しみ・恐怖・戸惑い、
そういった諸々の感情を紛争地の人々は毎日のように、毎時間のように感じているということです。
そんな苦しい現実に直面しながらも、彼らは生きていますし、
時には小さな幸せをかみ締めて笑顔を見せてくれるわけです。
そんな紛争地の人々の心の苦しみ、そして私達と変わらず生きている人間の有様、
そういったものを少しでも感じ取ることができたのならば、
ジャーナリストとしての後藤氏の死に対して、多少の慰めになるのかなと思ったりもします。
後藤氏のようなジャーナリストがいたことを忘れることは、ある意味で容易ですが、
そうではなく、居たということを私達は正しく認識しなければならないでしょうね。


◆ニュースネタ 戦後70年を迎えるにあたって
日曜のNHK海外ネットワークにおいて、戦後を巡るドイツの対応が放送され、
アウシュビッツ収容所を始めとして虐殺されてしまったユダヤの人々の、
かつての住まい付近の道路にネームプレートを打ち込む様子が放送されました。
その中では、1人のドイツ人の男性が自宅付近にネームプレートがないのを不思議に思い、
自ら過去を調べて、若くして殺されたユダヤ人の少女のことを知り、
遺族とともに、彼女のネームプレートを埋め込む光景が映し出されていました。

それを見て思ったのは、過去を顧みる、現実を直視するというのは、
こういうことなのだと云うことです。
日本人が果たして同じようなことをしてきたのか、
いや、これからも同じような取組みができるのか。
「一億総懺悔」と言いつつも、責任を曖昧にしたまま、
各人がその罪を蓋にして語らず、ひたすら現実を生きてきた日本人…
「忘れる」という消極的な方法でしか罪を認められず、
今では前提にあった「罪」だけが忘れ去られ、
戦前の日本を肯定するような言説まで幅を利かせる始末…
戦争の反省とは何なのか、改めてそれが問われているように思います。