「積極的平和主義」の末路
先日の人質事件を巡る政府の対応が様々に評論されていますが、
そもそもの安倍政権の「積極的平和主義」という考え方自体が招いた惨事のように思えます。
もう20年前になる1990年代中盤の国連が挫折した「積極的平和主義」、
その末路に日本が足を踏み入れ始めた、そう思わずにはいられません。
…と、まぁ、ここでは三山に語りつくしている国連の積極的平和主義の挫折、
ひいては冷戦が終結したのに国連軍が創設されなかった理由でもあるのですが、
それを何度も語るのもアレなので、アニメの話でもしようかと思います(笑)
◆アニメネタ『伝説巨神イデオン』(ネタバレあり)
「皆殺しの富野」の代表作といえば、『機動戦士ガンダム』シリーズですが、
皆殺しの際にある作品というと、『伝説巨神イデオン』でしょう。
ヒロインの首が飛ぶわ、体はバラバラに千切れるわ、最後はみんな死んじゃうわ、
ある意味で規制が緩かったからこそ作れた作品?
今の時代にこれを地上波放送したら、どうなるんでしょうね(^^;、と思う壮絶な作品。
簡単にネタバレありで説明しちゃいますと、
地球人(と呼んでるだけで私達の文明の地球とは限らない)と、
バッフクラン(異星人)を巡る戦いを描いたSFロボット作品です。
圧倒的な軍事力を誇るバッフクランに地球人は壊滅的な被害を受けますが、
発掘中だった謎のロボット「イデオン」に地球人が乗り込み、戦うというお話。
ただ、この「イデオン」は普通のロボットではなく、「意志」を持っており、
相手の軍隊を壊滅寸前というところで突如として動かなくなったり、
イデオンソードやイデオンガンという恐ろしく強い兵器を持ちながらも、
地球人が自由にそれを使うことはできず、イデオンの意志次第という制約つき。
スーパーロボット大戦でイデオンを使用して、歯がゆい思いをした人も多いでしょう(笑)
どうして「イデオン」はそんな不自由な兵器だったかと言えば、
イデオンは過去に滅んだ文明の遺産・意志の集合体とも言うべきもので、
地球人とバッフクランの対立を良しとはせず、
彼らに対話の機会を与えるために、敢えて戦力の均衡を図っていたわけです。
軍事力に劣る地球人を助けながらも、バッフクランを壊滅までは追い込まず、
常に一進一退の戦いをしていたわけですが、
その間に両軍とも多くの人々を殺し合い、失い合う中で憎しみが膨らみ、
最後は互いの星を滅ぼし合うまでに戦い合ってしまい、
調停に失敗したイデオン共々に両文明を滅ぼしてしまう、というお話。
そんな暗いお話の中にも「メシア」という象徴的な存在もあって、
もう少し救いのあるお話でもあるのですが、そこは実際に映像としてご覧下さい(^^;
「死んだ後でも~ いつか見つかる~ 生き続けたら~ 君は悲しい~」
優しいBGMに美しい戸田恵子さんの声なのに、歌詞は過酷(苦笑)
◆ニュースネタ 「積極的平和主義」の「積極的」とは幻想でしかない
イデオンの話をしたのは、勿論、このためです。
「積極的」平和主義、何が「積極的」なのでしょうか?
例えば、空き地使用権を巡り、のび太とジャイアンが喧嘩しています。
当たり前ですが、ジャイアンの圧勝で喧嘩にもなりません。
そこにドラえもんが喧嘩は良くないと仲裁に入りますが、
どう処理すれば「平和」になるのでしょうか?
そもそも、仲裁をする前にどうすれば喧嘩を一時止めさせられるのでしょうか?
2人とも平等に半分ずつにすれば良いとドラえもんは言うかもしれません。
でもジャイアンは言います。「先に空き地に来ていたのは俺だから俺が優先」と。
それではジャイアンが使えば良いとドラえもんは言うかもしれません。
でものび太君は言います。「空き地はみんなのものだ。僕も使いたい」と。
そもそも、仲裁前に喧嘩している2人をどう静めるか。
ドラえもんは秘密道具で2人を止めるかもしれません。
でもジャイアンは言います。「俺の方が勝ちそうだったのに邪魔しやがって」と。
のび太君も言います。「普段から一緒なのに邪魔するなんて酷いやい」と。
大岡越前が大岡裁きと呼ばれる名裁きができるのも、
町奉行という肩書きがあるからこそ、町民が恐れる権威があるからです。
町奉行よりも権威のある将軍様は関係なしです。
基本的に対等な立場である国家間の仲裁は生易しいものではありません。
それを仲裁する国家が両国家にとって認めるべき中立的存在であること、
そしてその中立性の維持は非常に難しく、均衡を取ることは至難の業です。
「積極的」平和主義、ある意味で「積極的」となった瞬間に平和は崩壊します。
対立している両者の真ん中に入ることはできず、
結果的に片方に加担せざるを得ない、
または両方から相手に加担しているように思われる、
「積極的」になった瞬間、平和の均衡、それは戦いの均衡であるかもしれませんが、
いずれにせよ、3当事者の力関係は崩れ、否応なしに争いに巻き込まれてしまいます。
『伝説巨神イデオン』のイデオンは両者の争いを止めようとするために、
両者の力の均衡を保とうとした結果、殺し合いを激化させてしまい、
結果、3者が滅ぶという姿を描いています。
これこそが「積極的」平和主義の末路。
「積極的」になった瞬間、均衡は崩れ、問題の当事者に巻き込まれるわけです。
国連も90年代中盤にPKF部隊の派遣によって、中立者から当事者と化し、
攻撃のターゲットとなってしまい、甚大な人的被害を被った過去があります。
結局のところ、「積極的」平和主義など幻想でしかありません。
平和主義を「積極的」にすれば、均衡の破壊にしか繋がらず、
仲裁者ではなく、片方に加担する手先と化してしまうのです。
中東和平で積極的な貢献、誰がそう思いますか?
ただでさえ、アメリカの犬と思われている日本ですから、
何をしても仲裁者としてではなく、アメリカの手先としかみなさないでしょう。
それが「積極的」平和主義の末路なんですよ。「積極的」は双方の「平和」を破壊する。
もし、真に日本が「積極的平和主義」を行いたいのなら、
それ相応の国際的権威を持たなければなりません。
それは国連常任理事国のような名誉ではない。「実」です。
日本が他国から尊敬され、仲裁者として申し分のない「実」を兼ね備えねばなりません。
それは圧倒的な軍事力か、圧倒的な非軍事力のいずれかしかありません。
両者を黙らせるだけの権力装置、圧倒的な警察力、かつてのアメリカのような力です。
そうでない道を選ぶのならば、国連以上に私利私欲のない非軍事力しかありません。
大国の道具と思われている国連以上に信頼される非軍事国家・日本、
平和を誰よりも求め、平和を作ってくれるであろうと期待される日本、
そうであって初めて「積極的平和主義」が可能になるわけです。
今回の人質事件は、安倍首相の発言に端を喫するのは間違いない事実です。
彼の掲げる「積極的平和主義」の見通しの甘さ、
日本人が誘拐されていることを知りながら、外務省の慎重要請を受けながら、
敢えてイスラム国を名指しで批判しながら、
何ら報復に対する備えをしていなかったばかりか、
いざ事件が起きても自ら交渉の立場にさえ立てない無策っぷり、バカです。
武器を持たずに裸で口にマスクだけして出かけていっても笑われるだけです。
「実」を持たずに口だけだったから、こういった人質事件が起きてしまった。
そして再度「罪を償わせる」という口だけの発言をするから、
さらに多くの日本人が危険に遭う可能性を作ってしまった。
イスラム国を非難する気持ちは当然ですが、
それに対する準備を怠っていたこと、無策だったことが最大の問題点なんですよ。
「テロとの戦い」聞こえは良いものの、ちゃんと見通しは立っているのか?
同じく「テロとの戦い」を掲げたアメリカは見通しのない戦いに入り込み、疲弊し、
今やその警察力をも失い、内向的になりつつあります。
日本は具体的にどう「テロとの戦い」に向かい合い、勝利するのか。
日本が中東和平にコミットするのならば、
イスラエルとパレスチナの共存を図る方法を見出しているのか、
親日国のトルコを説得し、クルド人国家の樹立を支えることができるのか、
そうやって具体的にどうコミットしていくのか、筋道を立てているのか?
思いつきの人気取り発言であったのならば、
それのせいで日本人2人が殺された罪は極めて重く、
さらに日本国民を危険に晒した安倍総理には、罪を償わせるべきでしょうよ。