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2012年06月21日

プロ野球・セパ交流戦が終了

優勝は、交流戦前半に大型連勝をした読売ジャイアンツで、
セリーグでは初の交流戦優勝を遂げました。
MVPは内海投手でしたが、
他にもノーヒットノーランをした杉内投手や、ホールトン投手といったソフトバンクからの移籍組や、
リリーフの山口投手など、投手陣の安定感が目立っていましたよね。
逆に、交流戦で好成績を収めていたソフトバンクは11位と低迷…
シーズン序盤は主力先発投手の穴を感じさせていませんでしたが、
交流戦では実績ある投手の前に沈んでしまったという形となってしまいました。
優勝したジャイアンツには優勝賞金5000万円が送られるようですが、
東日本大震災の復興資金として寄付するようです。
…まぁ、監督が脅されてポンと1億円払うような人のいるチームですからねぇ…(苦笑)

ライオンズは貯金2で5位という結果に。
あまり白星が伸びませんでしたが、後ろが安定しない中で勝ち越せたのは良しとしませんと。
中村剛也選手と秋山選手が怪我で離脱してしまい、抑えの形も整わない中でのリーグ戦再開となりますが、
処分が解けた涌井投手とオーティズ選手がチームに合流しますし、
ここで再びチームを整え、反撃体制を整えていって欲しいです。
やっぱり、一にも二にもリリーフですね。打線がどんなに良くとも、リリーフが崩れては、勢いが付きませんから。
メンバー的には大分絞れてきただけに、涌井投手は今シーズン一杯抑えに専念し、
左のリリーフに松永投手、ベテランの星野投手かウィリアムス投手、
右のリリーフでは岡本篤志投手と長田投手が8回のセットアッパーを争い、
できれば7回のセットアッパーは若い大石投手か十亀投手に木村投手を加えた3人で争えるようになれば、という感じですかね。


◆プロ野球?ネタ 巨人・原監督が過去の女性問題で1億円支払う
なんつーか… やっぱり「お坊ちゃま」なんだね、としか言いようがないですよね…
これが10万~20万なら、仲介料としてあるのかなと思えますし、
100万ぐらいならば、悪徳弁護士にでも引っかかったのかなぐらいに思えますが、
1億円ですからね、もう桁が違います。
そんな金額を要求する堅気の人間なんているわけねーだろ(苦笑)
それで刑事事件にせずに、ポンと支払っちゃうわけですから、オレオレ詐欺もなくならないわけです。

原監督サイドとしては、週刊文春の報道の「相手が元暴力団関係者」という点に反発しているようですが、
やっぱり庶民の目から見ると、1億円をゆすり取ろうとする人間と暴力団の違いが分からないわけで、
どちらも反社会的分子であることは変わりなく、どちらも同じ恐喝罪なわけですから、
問題の程度としてはそれほど変わらないように思えます。
芸能界を中心に暴力団排除条例の影響が広がっていることで、
暴力団という点に過敏に反応しているのでしょうが、そうでなくとも十分問題があります。
契約金超過問題もそうですが、相変わらず巨人の理屈は庶民感覚を大きく超越し、理解しかねます。

1億円もの資金をどうやり繰りし、税務申告したのかは気になるところですが、
それを除けば原監督サイドは被害者であるというのは分からなくもないのですが、
脅迫の材料が身から出た錆という点や、被害金額の多さ、
結果として反社会的分子に利益供与をしてしまったことには変わりなく、道義的責任はどうしても残ります。
変な例えですが、一緒に戦っていた仲間が、敵に窮地に追い込まれた時に、
「この中から誰か一人だけ助けてやる」と言われ、生き残るために平然と手を挙げられたみたいな感覚、
一言で言えば、「裏切り」なわけですが、
簡単に犯罪性のある事件に屈し、しかもその金額が普通ではないのは、やはり異常に思えてなりません。
一般的感覚からすると、そこまでの金額を要求されながら刑事事件にしないのは、
何か後ろめたい理由があるんじゃないのと思ってしまいます。

もう一つ、変なのは、原監督の謝罪の前に、清武氏を糾弾する文章が先に出てきたことです。
それを原監督自身が出したかどうかは、かなり疑わしいのですが、
もし、そうならば、やはりお坊ちゃんで、今回の事件に何ら問題意識を抱いておらず、
後から騒がれたから、とりあえず謝罪してみました、という風にも見えてしまいます。
今でも何が問題なのか分かってないんじゃないですかね。そう疑っちゃいますよ。

巨人ファンの中には、そんな1億円もポンと出せるなら、
ポケットマネーで良い外国人を連れてきてくれよと思ってたりするんじゃないでしょうか。
いやはや、この金銭感覚は理解できませんねぇ…


◆ニュースネタ 著作権法改正 違法ダウンロード刑事罰化
適用範囲が際限なく広げられ、罰則の濫用が懸念されることもあって、
著作権者からの訴えで罰する「親告罪」となったわけですが、
それじゃ、実際にどうやって運用するの?という疑問も出てくるわけで…
著作権者が違法DLした個人を訴えても訴訟費用がかかるばかりでメリットが少なく、
際限もなくなってしまうだけに、現実的に個人を訴えるのは厳しいものがあります。
ありうるとすれば、JASRACのような著作権団体がまとめて取り立てるパターンですが、
逆に、それだけ大量に著作権侵害を犯している人を探すのも難しいでしょう。

となれば、現実的には違法アップロードがされているサーバーの管理運営者を狙うことに。
その場合にどう法律が運用されるかですよね。
過去のカラオケ法理のように広く著作権侵害の幇助を認めるのか、
それとも「違法であることを知って」を厳密に捉えて、
著作権侵害の報告を意図的に黙殺した場合にのみ認めるのか、そこらが微妙な問題となり、
サーバーの管理運営者はより管理責任が厳しく問われそうです。
とはいえ、1秒ごとに全てのアップロードしてあるものをチェックしろと言われても無理なわけで、
ネットがますます管理された息苦しい空間にされつつありますね。

で、実際に、こういった罰則化が著作権法違反を抑制したところで、
音楽業界が目論むように、CDが売れるようになるかと言えば、それはないでしょう。
だって、違法DLしている人は、必ずしもそれを欲しているとは限らないからです。
前々からCDを買っていた人が違法DLへ転ぶわけではなく、
レンタルCDで済ましていたような人、つまり必ずしも必要としないライトな層なわけで、
そういう人が違法DL禁止になったからといって、CDを買っているかと言えば、買ってないでしょう。
興味を無くすだけで、売り上げは全く伸びません。
逆に、興味を沸かすこともなくなるわけだから、
ライトな層が余計に離れてしまい、売り上げが落ちる可能性もなくはないでしょう。
結局、トントンで変わらないというのが私の見解です。

まぁ、少なくとも経済的にはトントンで変わらなかったとしても、
新しい文化の創作という意味では、大きく落ちてしまうのは間違いないでしょう。
なんだかんだで模倣は創作の第一歩ですからね。

2012年06月18日

最近の刑事ドラマを見ていて思ったのですが、
「犯人隠匿」や「身代わり出頭」を安易に批判する傾向には少し違和感を感じます。
いや、まぁ、ドラマ的にそれらは盛り上げに使われるだけで、
ドラマ的に「悪」となってしまうわけですが、
最近は全否定する傾向が強く、人間的感情までもが蔑ろにされている印象を受けます。
「愛している人を守りたい」、その思いはそれで尊重すべきでしょう。
その行為が結果として罰せられるのは致し方ないことですが、
その感情は否定できないと思うわけです。
それが「情け」なんじゃないですかねぇ。

例え、それが究極的な殺人という行為であっても同じだと思います。
殺人行為を肯定するわけではないですが、
人を殺したいほど憎いという感情や、殺さなければいけないほど思いつめた感情は、
どんな刑罰を用いたところで否定することはできないでしょう。
問題なのはそういった負の感情のままに流されて行為に及ぶことであって、
負の感情自体は否定してはいけないように思います。
負の感情を否定することは、負の感情を感じないのではなく、
負の感情に「気づかない」だけになってしまうからです。

浄土真宗の親鸞聖人が唱えた「悪人正機説」もそういうことを言ったものでしょう。
言葉の響きから誤解されがちではありますが…
誰にだって負の感情はあるわけで、それに気づかないフリをして負の感情に流されるのか、
それとも負の感情に気づき、それと向き合ってどう生きるかを考えるのか、
それが「悪人正機説」の言いたいことではないでしょうか。

感情に任せるままに愚かな行為をしてしまうことは、勿論、批判されるべきですが、
だからといって、感情そのものを否定していては、人間らしい喜怒哀楽を喪失しかねません。
負の感情を安易に否定することは建前だけで生きる偽善を生みかねないだけに、
昨今の流れは少々違和感を感じずにはいられないです。


◆ニュースネタ 混迷する消費税増税法案
私自身は増税には賛成するものの、今回の法案にはとても賛同できるものではありませんが。
だって、上げることしか決まってないんだもの。中身のないものにどう賛成せよと。
もっとも、日本人は決めることが苦手なので、上げることを決めないと中身の話もできないのでしょうが…

根本的に、なぜ消費税増税なのかと言えば、少子超高齢社会だからです。
日本の社会保障は、租税と保険料負担で賄われていますが、
租税の中心は所得税や法人税といった直接税が主で、
保険料負担は年金・医療保険料で運営されています。
どちらも、働いている人、現役世代を対象にしていますから、
負担する現役世代が減り、保険を使うだけの退職世代が増えれば、破綻することは必定です。
そうなると、社会保険の自己負担に加えて、退職世代にも租税負担を負ってもらうことが必要となり、
世代に関係なく負担が来る消費税がターゲットになってくるわけです。

ただ、消費税制度そのものにも問題があり、
低所得者層に相対的負担増となる逆進性の問題、零細小売店が免税される益税問題、
そもそも10%の値上げだけで事足りるのかという問題もあり、
そこら辺が全く解決していない以上、何とも言えないところです。


◆火葬に見る日本人の死生観
今年の4月に天皇陛下がそれまでの土葬ではなく、火葬を希望する旨を発せられました。
むしろ、それまで土葬だったことに驚きを隠せないわけですが、
それだけ遺体の最終処理方法として火葬が定着していることを現しているかと思います。

諸外国ではどうかというと、まだまだ土葬の国も多く、
ある意味、バイオハザード等のゾンビ映画はアメリカやヨーロッパの方が恐怖感が強いでしょうね。
日本で墓場の死体が動き出したといってもリアリティがありません。せいぜい骨骨ロックです。
かつて、ヨーロッパ等でペストのような感染症が大流行しながらも、
日本でも感染症は流行したものの、壊滅的被害をもたらすまでに至らなかった理由として、
土葬ではなく火葬が行われていたことが挙げられるなど、火葬の方が衛生的な面は否めなく、
火葬の費用的問題はあったにせよ、昔から火葬が行われていたことは事実のようです。

それでもヨーロッパ等で土葬が行われる理由として、キリスト教の復活思想があると思われます。
つまり、人間が一度死んでも、「その肉体で」生き返ることを想定しているため、
いつ魂が戻ってもいいように、肉体をそのままにしておくということです。
キリスト教ではありませんが、エジプトのミイラもそういった考えです。

では日本人はどうであったかと言えば、火葬に抵抗感がなかった理由は2つ挙げられるかと思います。
1つは仏教思想によるところです。
仏教では輪廻転生で肉体からの解脱を奨励するため、執着を絶つために肉体を燃やすわけです。
生き返る時は、「別の肉体で」生き返ることを想定しているため、肉体を保存しておく必要がなく、
むしろ、本人や親族が現世に執着する原因となりかねないため、肉体を消失させた方がいいわけです。

もう1つの理由が、日本の八百万の神の思想、火の神「カグツチ」の影響です。
カグツチ自身は母であるイザナミの死因となってしまったため、父のイザナギに殺されてしまいますが、
その血と死体から多くの神々が生まれたと、古事記は表しています。
つまり、カグツチ=火は再生の象徴なわけで、
日本の祭りは昼よりも夜が重視され、火を多く使ったものが多いように、
火は破壊の象徴というよりも、恵みの象徴であり、生命の再生を意味するわけです。
ですから、日本人が諸外国の人と同じように現世への復活を望んだとしても、
火による再生の儀式、つまり火葬を行うという結論に至るわけです。
日本人の間で火葬が広く受け入れられたことは、ある意味で必然だったわけです。

一方で、日本では儒教の影響も大きく、遺体を損傷しないという考え方もあります。
「斬り捨て御免」といった武士社会であっても、命を奪った後の肉体の損壊はご法度で、
仏さんを大事にするという風潮がありました。
これと火葬が矛盾しないかという問題がありますが、
火葬は単なる合理的な遺体の処理方法ではなく、日本人にとって「再生の儀式」なわけですから、
死んだ肉体をそのままに燃やして天に届けることこそが、完璧なる再生の儀式に通じるのです。
日本人にとって、死者の肉体は天へ返すために大事なもので、
火葬を通して死者の輪廻転生の儀式を完成させるわけです。


近年は日本人の間でそのことが忘れられているのではないか、そういう危惧を抱いています。
臓器移植法の改正による脳死者の子どもの臓器提供、
家族の承諾なしに解剖ができる死因究明法の成立…
確かに、どちらも合理的な理由はあります。
でも、そういった日本人の死生観が形骸化することによって、
人間の尊厳を貶めているようにも思えるわけです。
上記のように、単純に火葬といっても、遺体への敬意の念や復活を望む故人への想いがあるわけで、
それを単なる合理的な遺体処理方法として捉えるのは、いささか心が貧しいかと思われます。

教育界で叫ばれている「生命の教育」というのは、一体何なんでしょうね?
日本人に火葬が受け入れられている事実以外にも、
お通夜と葬式を行う日取りが決まっているのも、日本人の生と死の表裏一体性を表しており、
誕生の儀式の逆をなぞって死後の祭事を行っているわけです。
葬式で戒名を付けてもらうのも、誕生後の命名の儀の逆ですし、
3回忌とか7回忌は七五三の逆です。
火葬のタイミングも宗教的理由があり、肉体と精神を結ぶ霊糸線が切れるのが約48時間後とされるので、
お通夜・葬式と時間をかけているのは、そのタイミングを待っているためです。

私はこういうことが「生命の教育」だと思うんですがね。
日本人の宗教を毛嫌いする気持ちは分からなくもないですが、
伝統や文化を理解する上で宗教は避けられないもので、
そこに何があったかを知ることは大事な教育だと思うのですが…
もうそんなことを考える人間も減ってきているんですかねぇ…

2012年06月12日

今更ながら

アニメの『C3(シーキューブ)』を見ました。
委員長の上野錐霞がエロ可愛すぎて、もう…
クールで凛々しいし委員長キャラがボンデージ姿ってのも凄い設定ですが、
呪いで物理的損傷では死なないという設定をいいことにやりたい放題してるのが…(苦笑)
錐霞回の第10話なんて、実際は骨が折れまくっている痛々しいシーンなのですが、
そこをシーンカットして編集すると、どう見ても一人遊びしているようにしか…(爆)
第12話で敵に捕まって、内臓をこねくり回されているシーンも(実に痛々しい表現ですが)、
苦悶のシーンが別の場所に異物を突っ込まれているようにしか見えません(爆)
その他にも際どいシーンが満載でしたが、元々がクールで照れ屋なキャラだけに、
恥ずかしがるシーンが多く、あざとさが感じられず、とにかく凄かったです(笑)

内容の方は呪いのアイテムの擬人化という面白い設定ながら、
あまりシリアスには展開せず、ライトタッチに描かれていたのは評価の分かれるところ。
もうちょいシリアスでも良い感じもしましたが。
まぁ、でも、メインヒロインのフィアがヒロインにあるまじき悪人顔をすることもあるし、
そういう意味ではシリアス路線もあるにはありましたが…
それと、1期のOP主題歌が良い感じですね。サビへの入りが非常に好き。
個人的にああいう音程の上下がはっきりしている曲が好きですね。

今は『ベン・トー』を見てます。
スーパーの残り物半額弁当を巡るバトル、という馬鹿馬鹿しい設定ながらも、
その馬鹿なことを真剣に取り組んでいる様が漢を感じさせてくれます。


◆ニュースネタ1 「死刑」は抑止力となるのか?
先日、大阪で通り魔事件があり、
出所後の生活不安から自殺を試みるも失敗し、人を殺せば死刑になると思って事件を犯したとか…
前もありましたよね、死刑になるから事件を起こした、という事件が。
こうなってくると、死刑制度は抑止力になるどころか、
犯罪を助長させているとさえ言えるわけで、死刑の抑止力論は完全に説得力を失いつつあります。

死刑制度が存続している理由として、常に言われ続けているのが「抑止力」です。
生命を奪うという極刑が存在していれば、刑罰を恐れて犯罪を犯さないという理論なのですが…
…納得できますか?

飲酒運転や窃盗といった比較的軽微な犯罪には当てはまるかもしれません。
いわゆる「割りに合わない」ということです。
人生を捨てていない状況で、刑務所に入れられたり、生命を奪われたら、犯罪なんて割りに合いません。
しかし、逆に人生を完全に捨ててしまった状況であれば、人を殺すことも厭わなくなりますし、
そもそもにおいて、そんな損得勘定を考えるほど頭が働いていない場合が多いです。
そんな状況で死刑が抑止力になるのでしょうか。なりませんよね。
死刑の意味を考えられるから抑止力として働くわけで、
考えられない状況で、考えた末でも犯罪に走る思考状態で抑止力として働くわけがありません。

他に死刑制度を存続する理由としては、「目には目を歯には歯を」という被害者の報復精神がありますが、
完璧な裁判制度が存在すれば、それも可能となるかもしれませんが、
杜撰な捜査等による冤罪事件が後を絶たない現在においては、却って罪悪感を生み続けることになりますし、
そもそもにおいて刑罰が被害者のための制度ではないだけに、存続する理由としては弱いです。
あとは、刑務所の維持費用の観点から、終身刑よりも死刑の方が経済的という考え方もありますが、
人の命に経済的も非経済的もあるわけがなく、
それなら食べすぎの人や電気の浪費家を死刑にした方が経済的と言えるわけで、理由としては弱いです。

他の理由がやや非人道的とも思える観点だっただけに、「抑止力」が盛んに言われてきたわけですが、
その考え方がそもそも誤りであることを意識し直す必要があると思います。
なぜ、「死刑」にするのか。もう一度考えて欲しいですね。


◆ニュースネタ2.0 「東電は社員を守らない最低の企業である」
国会の福島原発の事故調査委員会が論点整理を行ったようですが、
東京電力の言い分に乗っかるだけで、政府の過剰介入を批判するものとなってしまいました。
役割上、行政府、とりわけ政府がどうあるべきかに主眼が置かれているのは分かるのですが、
あまりにも一方的というか、東京電力の言うがままのように思えてしまいます。

なにより分からないのが、
東京電力の清水元社長の「退避」が政府の言う「全面撤退」ではなかったということです。
それでは誰が「退避」するんでしょうか? 最低限の人間を残すって、それは誰なのよ?
東京電力の「社員」だけは退避させ、残りの下請け労働者や関連企業の社員は残すということ?
それとも現場のことではなく、東京も危険だから、自分達経営陣が退避するってこと?
誰を退避させようとしたのかが曖昧で、
それじゃ最終的に退避させた結果、誰も残りませんでした、それは全面撤退でしょ?
東京電力の取締役クラスが現地に赴いていて、それで「退避」というなら表現は分かりますが、
誰も行ってない状態で「退避」って、誰を逃がすつもりだったのか意味が分かりません。

そもそもに関して言えば、別に東京電力が全面撤退を申し出ることは不自然ではありません。
一企業人とすれば、作業員の安全が確保されていない状況で、
作業を続けさせるというのは明らかな労働者軽視であり、非難されるべき事柄です。
社員を守ろうと思うのならば、
最低限、安全が確保されるまで「一時撤退」すると判断するのが当然でしょう。
その結果、甚大な放射能漏れで被害が拡散しようとも、それは一企業ではどうしようもない問題です。
一企業であるなら、社員を守ろうとすること、それが是でしょう。
そう考えれば、政府の言う「全面撤退」ではなく、
人員を残すつもりだったとする東電の主張する「退避」は、明らかな労働者の軽視であり、
一企業としてあるまじき判断だったと非難されるべき事柄でしょう。

どうして、そう言わないかと言えば、民意が原発を放置するとは何事だという方向に傾いたからでしょう。
逆に労働者軽視だと批判されていたら、今頃、どうやって言い訳していたんでしょうね?
全く逆になっていた可能性もあります。

そういう観点から考えてみても、政府にしか作業員を残すという判断はできなかったわけです。
勿論、政府の対応も現場の作業員に酷を強いる判断でしたが、
こちらは政治判断で、言い方は悪いですが、国民全体との天秤をかけた上での判断ですから、
より多くの人々を助けるための、緊急的判断だったわけです。
それは政府にしか判断できないことで、それを一企業である東京電力ができるわけもなく、
仮に東京電力が判断していたのなら、今頃は労働基準法違反を問われていたことでしょう。
つまり、一企業として判断できる限界を明らかに超えた事故で、
政府の過剰介入などではなく、政府が介入せざるを得ない事故だった、
普通に考えれば、そう結論付けるのではないでしょうか?
一体、何であんな変な結論になるんでしょうか?

電気料金の値上げや原発の再稼動など、東京電力を始めとする電力会社がこれだけ苦労している理由に、
東京電力の経営陣が指揮・命令権を政府に放棄しなかったことがあるように思えます。
つまり、介入してきた政府に東京電力は対応を丸投げすれば良かったんです。
その時は無責任に思えますが、自分たちの社員を犠牲にする判断はできない、
一企業でできる限界を既に超えていると表明していれば、こうはならなかったはずです。
アメリカの報道で福島原発の作業員を英雄視するニュースが流れて、「あれ?」と思った人は多いのではないでしょうか。
勿論、アメリカの英雄志向というのもありますが、
日本では東京電力の経営者の右往左往と要領を得ない会見が目立つばかりで、
「東京電力の自業自得である」という観点が最後まで抜けきらなかっただけに、
現場の作業員の英雄視が薄まってしまい、国民の電力会社に対する信頼が地に落ちてしまったように思います。
政府に矢面に立たせておいて、協力する形で美味しいところだけ持っていくこともできたんじゃないでしょうか?
アメリカが実際どうやってるのか知りませんが、映画とかだとそんな感じですよね(苦笑)
結局、東京電力は権威にしがみついて離そうとしなかったために、見限られちゃったように思います。

NHKの大河ドラマで『平清盛』がやっていますが、そこに出てくる朝廷貴族が東京電力という感じでしょうねぇ…
そこが彼らの浅ましい失敗だったということです。


◆ニュースネタ2.5 「政治」とは何か? ~野田総理が大飯原発再稼動を国民に説明~
大飯原子力発電所の再稼動に関しては、首相が政治判断をしたのは良かったと思います。
福井県知事に判断を丸投げするわけにはいかないだけに、きちんと態度を表明したことは評価できます。
究極の安全は存在せず、真にエコな電力供給方法もないわけですから、
両者の狭間でどうバランスを取るかは政治が決断することです。
勿論、賛否両論あるでしょうが、グダグダ言ってる間に夏が来て、電力を使うわけですから、
ギリギリになってしまったとはいえ、結論を出したことは良かったと思います。

関東圏に住んでいるので関西圏の状況までは分からないので何ですが、
真剣に電力需給の問題に対応していたのか疑問を持つぐらいでした。
少なくとも、私の周囲や関東圏のTVでは計画停電の恐れによるイベントの自粛の声は聞こえてこず、
野球の夏の甲子園大会やプロ野球の試合などの変更議論も聞こえてきませんでした。
大飯原発を再稼動したところで万事問題なくなるわけでもないですし、
原発再稼動反対を掲げるのなら、もう少し真剣に対策を論じて欲しかったように思います。
対策は誰かがやってくれるから、とりあえず危険そうなので反対しとく、そんな空気のように見えました。

福島原発事故の政府の介入にしても、原発再稼動にしても、政治判断というのは簡単なものではありません。
簡単に答えが出るものは政治判断なんて要らないわけで、それは合理的思考があれば容易に判断できます。
問題は簡単に決められない賛否両論のある問題を、どういう形で決着を付けるのか、
その答えを出すのが政治判断なわけですから、
賛否両論があるのは当たり前で、意見を聞きながらも最終的に決めることが政治ではないでしょうか。
簡単に決められることは政治じゃないですし、決めないのも政治じゃないわけです。
難しい問題を決めることが政治なんです。