統一教会の代わりに批判される「自民党」
もう矢面に立ってるのはどっちなんだという感じがします(苦笑)
別に自民党が積極的に庇っているわけではないのに、
結果的に批判の矛先が自民党に集中してしまい、庇ってるように見えてしまうんです。
何度も言いますが、国民が期待しているのは「怒り」なんですよ…
統一教会に対する「怒り」。
保守の顔をしていた自民党が裏では反日思想的な統一教会と繋がっていた「怒り」。
統一教会に騙されていたのならば怒れ。加担していたのなら罪滅ぼしに動け。
なのに、どうして犯罪加害者の親のように謝罪することしかできないのか?
そこが国民から見れば理解不能であり、
想像以上に両者の関係が根深く見えてしまう理由です。
◆ニュースネタ 旧統一教会・関連団体と関係があった自民党議員一覧
まず、選挙協力の数が、明らかに「少な過ぎます」。
その理由は公職選挙法上の運動員、
つまりは有償で手伝っている運動員に限定してしまっているからです。
例えばウグイス嬢(日当1万5千円)や事務所の事務員(日当1万円)です。
それ以外の無償ボランティアの活動はカウントしていないため、
統一教会の運動員がゴッソリ抜けている可能性が高いわけです。
今日までの各種報道を見れば、ウグイス嬢の事例はあったものの、
ほとんどが無償ボランティアスタッフでしたから、
そこをカウントしていないというのは明らかに実態を見誤っています。
●自民党ベテラン議員が証言「統一教会の政界担当者が、永田町でやっていること」
そして最も大事なのは「きっかけ」です。
後援会員の勧めなのか、潜り込んだ議員秘書の勧めなのか、
先輩議員や派閥の長からの勧めなのか、国民が知りたいのはそこなんですよ。
発端がどこにあったのかを知りたいのに、このアンケートではサッパリ分かりません。
一番大事な所が隠されており、
統一教会が政治家に接近した経緯が全く伝わってきません。
これでは再発防止策なんて練れません。
また10年・20年と経って名前を変えて反日的宗教団体が潜んできたら、
政治家への接近を防ぐことができませんよ…
どうして今回の問題で国会議員が襟を正さなければならないのか?
それは自民党が反対する外国人参政権と同じです。
参政権を持つ外国人が日本の国益に反する本国の国益を重視した政治判断をしたらどうなるのか?
ですから国政においては司法も外国人参政権を認めてはいません。
あくまで問題になっているのは住民自治を基本とする地方自治の外国人参政権です。
そんな風に外国勢力の影響を国政にもたらすのはとんでもないと主張する政治家が、
明らかに日本の国益に反する活動をしている宗教団体の支援を受けていることは、
政治的矛盾が生じませんか?という話です。
ましてや地方自治における外国人参政権にも反対している自民党ですから、
国会議員だけでなく、地方議員との反日的宗教団体との関係を改めるのは、
彼らの政治的主張に基づけば当たり前のことでしょう?
本当にあなた達は政治家ですか? 自分の主義主張は何処に行ってるんですか?
●北朝鮮で見た「統一教会日本人信者」の実態と、“疑惑の船”取材から繋がった「ある衆議院議員と教団の意外な関係」
●自民党・旧統一教会の調査結果で不備相次ぐ 「十分確認できなかったケース起こりうる」追加公表の可能性言及
早速リスト漏れが指摘される事態となり、公表が無意味なものとなってしまいました。
どうして徹底調査してから公開しないのか?
どうして正直に申告しなかった者は以降罰するとしなかったのか?
一部では「正直者が馬鹿を見た」と揶揄されましたが、
隠しきれなかったら追加発表すればいいというユルユルな調査に終わりました。
いやー、全くやる気が感じられませんね…
●岸田政権、統一教会問題で宗教版「反社チェック」の泥沼に
統一教会と今後関わり合いを持たないというならば、それは何故なのか?
①反社会的集団として認識しているのか、
②政治信条が合わないと認識しているのか、
③単に国民からの反感を避けたいだけなのか…サッパリ分かりません。
多くの人は①と認識しているのでしょうが、それならどうしてそれを明言し、
統一教会の現状を調べ上げようとしないのか?
相も変わらずに手つかずのままに放置し続けるのか?
これで説明責任を果たしていると言えますか?
一線を引くなら、ちゃんと線を引いてください。
このままでは曖昧なままに放置されることが濃厚です。
●参院選前、旧統一教会系応援希望アンケート 自民議員らに配布
もう議連が解散したというなら、その実情を話して下さいよ。
具体的に何をしていたのか、それが潔白を表明する唯一の方法です。
まぁ、おそらく、そんなたいしたことしてないんだと思いますが…
隠すから怪しく思えるのは、森友学園問題以降の政治的な流れ。
ちゃんと公表して統一教会との無関係性をアピールしてくださいよ。
それが説明責任じゃないんですか?
◆ニュースネタ 賛否別れる「国葬」の問題
イギリスのエリザベス女王との「国葬」と比較され始め、
あちらが「本当の国葬」と揶揄されていますが… まぁ、その通りなんですけど。
国葬賛成派の言うことは、「それ国葬にする必要あるの?」に尽きます。
別に個人的に弔意を表すなら、国葬でなくとも献花すればいいこと。
岸田総理も従来説明を繰り返すだけで、国葬の必要性を説明できませんでした。
そりゃ誰一人として説明できていないんですから無理というものです(苦笑)
●国連総会と日程丸被りで海外要人から総スカン…岸田首相「国葬」の大誤算
最初に9月末という日程を聞いて思ったのは、国連総会との兼ね合いでした。
毎年9月に国連総会があるのは政治的常識であり、
外務大臣も務めた岸田総理が知らない訳がありません。
なのに、どうして国連総会と日程が丸被りするようにしたのか? 意味不明です。
これで弔問外交という付属品も完全になくなりました。
こうなってくると、もう岸田総理の炎上商法なのかと思えてきます(苦笑)
先のイギリスと比較すれば、
第二次世界大戦で有名なチャーチル元首相が亡くなった時は、
議会の議決を経て国葬が実施されています。
それと比較すると、今回の日本の決定がいかに乱暴なのかが分かります。
まるで安倍氏が皇族であるような扱いです。
やっぱり政治家は皇族をバカにしてますよね? 見下してますよね?
も自分や多くの日本人が皇室を尊敬しているのは、
その歴史性ではなく、国民に寄り添う現在の形の皇室の行いを尊敬してるのであって、
単に皇族であるから、政治家であるから無条件に尊敬しているわけではありません。
果たして国民を公平に取り扱ったとは思えない政治家が国葬に値するかどうか…
岸田総理自身も最初はアベノミクスの修正を掲げていたではないですか?
アベノミクスの果実が国民に広く行き渡っていないと主張していたでしょ?
それにも関わらず新しい資本主義は完全に消え去り、
アベノミクスの株価主導の金融政策が引き継がれるばかりか、
国葬によって祀り上げることで、アベノミクス批判さえも封じようとする。
アベノミクスを批判して総理になった男がアベノミクス批判を封じてどうすんのさ?
◆ニュースネタ 沖縄県知事選 自民党が惨敗! 内閣不支持率が支持率を逆転も「当たり前」「失政いつまで続くのか」の声
敗因は政府の発言が信用されなくなったからに尽きます。
統一教会問題も然り、国葬も然り。納得のいく説明が一つでもありましたか?
政府の言い分が信じられなくなれば、「辺野古しかない」という政府の説明も信じられなくなります。
どうして軟弱地盤の辺野古しかないのか? 明確な説明が必要でしょう。
◆ニュースネタ 「統一教会」に関して
●今やすっかり「強大な力を持つ宗教団体」、統一教会問題の実像を探る
まぁ、確かに今の黒幕的評価が過大評価なのは間違いありません。
宗教の規模や政治的影響力も分析の通りだと思います。
ただ、だからこそ問題なんですよ…
30年前にワイドショーを中心に叩かれたのに、まだ教団が継続していることが問題なんです。
私達が見逃したゴキブリが死なずに冬も生き残っていること自体が脅威なんですよ…
その理由に政治との結びつきがあったことは間違いないと思われます。
このまま今回も見過ごしてしまえば、20年~30年後に再び活性化し、
国葬までされた偉大な政治家も信奉していた宗教だと言い張り、
信者拡大や政治家との結び付きを戻すことは間違いありません。
今、私達が統一教会に対して疑念の目を向けていたとしても、
10年後も20年後も一緒とは限らないことは、過去の歴史が証明しています。
忘れてしまった人々には「安倍氏の国葬」があったという事実しか残りません。
それをどう利用されたとしても、即座に嘘だと見破ることは難しくなります。
だからこそ、今、統一教会を解散させるしかないんです。
国として宗教と認められない団体だとレッテルを張るしかないんです。
抜け出そうと思っている信者が抜け出せるようにするためにも、
統一教会を解散させるしかないんですよ。
何度間違えれば気が済むのか。
放置した結果が今であるということを忘れてはいけません。
●「お金集めがすべてに優先される」「狂った組織文化」統一教会元会長の息子が実名告発
●青山学院大の宗教部長が語る「カルト」と「健全な宗教」の違いとは
私は「信じない自由」が保障されているか否かという言い方をしています。
信仰は結局自分が決めることです。
他人に強要されるものではありません。
さらに言えば、自分が幸福になれない宗教は宗教ではありません。
キリスト教でも仏教でも、禁欲的に生きることが良しとされる傾向がありますが、
だからといって、自分が幸福感を感じられない禁欲では意味がありません。
それは単なる『やせ我慢』というものです。
信仰は心の発露であり、自分の心から出てきたものでなければ意味がありません。
他人に寄付を強要されるものは宗教ではありません。
これは統一教会だけでなく、他の宗教にも言えることです。
思考を奪い、信仰を強要するものは宗教ではありません。
宗教は他律的なものではなく、自律的なものなのですから。
それを忘れないでいただきたい。