ワクチン不足
つい最近まで、ワクチンが潤沢にあるから職域接種を認めるとか言っていたものが…
●明石市長が激白「ワクチン寄こせ」と西村大臣に直談判もゼロ回答 「利権化し、官邸が恣意的に運用」〈dot.〉
●吉村知事「宣言地域にワクチン優先を」 河野大臣に要望
一応、整理しておきますと、自衛隊の大規模接種や職域接種はモデルナ製ワクチン、
地方自治体の接種はファイザー製のワクチンと、使うワクチンが異なっています。
大規模接種会場の空きが多くなったので、職域接種も進めるという発想は分かりますし、
申し込みが多くなり過ぎて供給量が足りなくなったという話も分からなくもないですが、
ファイザー製のワクチンはこれと無関係なので不足するわけがありません。
誰かが計算を間違えていたとしか思えないわけです。
推測するに、トップに報告されていたのは、
「ファイザー+モデルナ+アストラゼネカ」の3社を足したものだったのではないでしょうか。
3社を合わせた分で国民の2回接種する分を確保できたに過ぎず、
結果的に伝達するうちに課題報告になり、
それぞれが国民全員分あると勘違いした可能性があります。
このうち、アストラゼネカ製は日本でも承認されたものの使用実績はなく、
台湾を始め外国の支援用に回されましたし、
モデルナ製は製造から半年の使用期限があり、
ファイザー製は温度・衝撃に弱く、扱いずらい。
おそらく、輸入した量と実際に使用した量が合っていない、
相当数の無駄が生じている可能性もあります。
結局、何が原因かと言えば、菅総理が数字を出して急がせたせいです。
計画が発表された時点で批判しましたが、このやり方は共産主義なんですよ。
数値目標を決めて、そこに目指して全体で頑張る。
だけど、その数値目標が非現実的な数字である余りに、
不正が横行し、改ざんへと手を染めだす。
それが共産主義の末路です。それと同じことをやってるんですよ。
自民党は共産党を批判しますが、共産主義のやり方をしてるのは自民党の方なんですわ。
それと吉村知事の宣言地域に優先してワクチンを供給するのは構わないと思いますが、
しかし、それだと接種が遅れている地域は一向にワクチン接種が進まないことになります。
なぜなら、政府はワクチン接種を進めている自治体に優先して配分しているからです。
先の記事の懸念ではありませんが、静岡県の接種が遅れているのは、
周辺自治体と比べて感染状況が穏やかなのもありますが、
川勝知事が続投になったことで意地悪されているのではという危惧は消えません。
自民党系の知事の方を優遇しているのでは、という疑いは消えないわけです。
別に宣言地域を優先しても構わないんです。そういう政府の方針として決めているならば。
問題はその決定作業が不透明で、疑念に駆られてしまうことです。
どういう基準で、どうやって配分しているのか、それを明確にしないから、
各自治体が疑心暗鬼になってしまうんです。
完全な公平がありえないことは私達も知っています。
だから「基準」が必要なんですよ。
「基準」に基づいて公平に分配してますという「基準」が。
◆ニュースネタ PCR検査の是非~なぜ飲食店だけが規制されるのか?~
感染当初にPCR検査は必要ないと声高に騒いでいたせいか知りませんが、
未だにPCR検査の有用性を否定する輩がいます。
確かに、PCR検査は個人レベルで見れば、何の意味もありません。
「陰性証明書」を出したとしても、検査時の状態をチェックしたに過ぎず、
その後に感染した可能性や潜伏期にあった可能性を否定できず、
陰性だから安心というわけでもありません。
中には検査する口粘膜をイソジンで洗い流せば問題ないという、
検査逃れにも繋がりかねない馬鹿な発言をした知事もいましたしね…
逆に陽性だからといって必ずしも重症化するというわけでもなく、
軽症者も隔離する必要もあります(新型コロナにおいては結果的に正解ですが)。
ただ、政治レベルで見れば、PCR検査の結果というのは非常に重要です。
まず、感染症対策の基本は「患者の隔離」です。
そのためには誰が患者か知らねばならず、それを確認するのがPCR検査です。
ですから、感染初期においてPCR検査は非常に有効です。
しかし、日本は新型コロナを侮り、中国からの渡航禁止措置等の水際対策が遅れただけでなく、
PCR検査の拡充にも消極的で、初期対応を大きく誤りました。
これに関しては皆さんもご存知の通りでしょう。
次に、「敵を知り己を知らば百戦危うからず」と言うように、「ウイルスの情報」です。
新型コロナウイルスがどうやって感染しているのか、
感染力の強さはどの程度なのか、どこを重点的に対策すればいいのか、
そのために必要となるのがPCR検査の結果です。
どこで感染が発生し、どう感染していったかが掴めるので、
個人レベルでは小さな情報でしかないPCR検査でも、全体としては大きな情報になります。
感染初期にあったダイヤモンドプリンセス号の事件は、
新型コロナ対策の難しさを浮き彫りにすると同時に、
PCR検査による実態調査の必要性が叫ばれたものの、
やはり腰の重い政府はPCR検査の有用性を否定し、検査拡充に消極的でした。
その後、感染が深刻化し、ワクチンの目途も全く立っていなかったので、
ようやく政府はPCR検査の拡充に乗り出しましたが、
市民の一般調査はほとんど行われず、クラスター感染周辺の限定的調査が主だったので、
どうしても検査に偏りが出てきてしまいました。
その結果が「飲食店の規制」です。
そりゃそうです。検査した場所が圧倒的に多かったのが飲食店だったわけですから。
逆に人が集まる場所でも、
誰がその場に留まったのか正確に分からない公共交通機関や屋外等は、
PCR検査をしていないわけですから、対策の必要がないことになってしまいます。
つまり、感染初期にクラスター感染した飲食店で専らPCR検査が行われたために、
今でもコロナ感染症対策は飲食店ばかりを規制することになったんです。
だって、他は調査してないんですから…
今年になってイギリス変異株、インド変異株と新しい型が出てきましたが、
日本のPCR検査に対する姿勢は消極的なままで、
感染経路の把握に十分努めていません。
結果として、飲食店に一方的に不利になる規制が今も続けられているわけです。
そこに東京五輪の開催論が出てきて、屋外スタジアムで感染してないと言い張り、
東京五輪の規制は飲食店に比べて緩い要因になっています。
別にPCR検査による裏付けもあるわけでもないのに…
変異株になって感染経路も変わった可能性もありますから、
「情報」の更新は必要であるにもかかわらず、
大規模な調査ができていないために、「情報」の更新はされず、
コロナ感染症対策は従来株への対策のまま…これでは意味がありません。
インド変異株の後に、さらに厄介な変異株が出てこないとも限りませんから、
ここで全国的なPCR検査の調査を行い、
変異株対策の資料とすることが必要だと思います。
それでもあなたはPCR検査の有用性を否定できますか?
◆ニュースネタ 東京五輪とコロナ関連ニュース
●東京五輪、中止や延期の世論は「なかったこと」に 朝日・読売も同調
最近、五輪関係のニュースで東スポを挙げるのも、そういう理由でしょう。
五輪開催が濃厚となり、オフィシャルスポンサーは批判し辛くなり、
東京スポーツのような週刊誌系しか批判しなくなってしまったということ。
統計の妙は以前指摘した通り。
そのデータをどう分類するかで全く話は違ってきます。
結局、菅総理が張り切って五輪開催へ突き進んでいるというよりは、
IOCの要請を断れなくて突き進んでいるように思えてなりません。
5月終盤のIOC幹部のトンデモ発言で引くに引けなくなった感じでしたねぇ…
まぁ、そんなわけだから、感染症対策に日本が全責任を持つという姿勢はなく、
相変わらず日本政府なのか、組織委員会なのか、IOCなのか、
責任者が誰か分からないままに感染症対策がたらい回しにされ、
ハリボテのバブルを作り上げようとしているようにしか見えません。
そういえば、7月1日の大雨で交通機関が乱れ、
急遽、地元のホテルにドイツ代表が宿泊したというニュースがありました。
まぁ、仕方ないこととはいえ、これではバブルも糞もなし… ボロボロやん。
ちなみに地元の感染者はゼロでしたが、数人出始めています。
この件の影響というよりは6月24日の聖火リレーの影響だと思いますけど。
政府も今更ながらに無観客試合で逃れようとしていますが、
水際対策がこれだけボロボロだと無理でしょうね。
報道陣も抑え込めるわけないだろうし、既にバブル崩壊してます。
●五輪強行「デルタ株と脆弱検査」募る日本の大不安 ワクチン接種間に合わないまま流行期とも重なる
ファクターXに関しては否定的な見解を取っていますが、
これまで気温が感染拡大を防ぐ要素の一つだった可能性はあります。
ただ、アフリカの変異株やインドの変異株の登場で、それも完全に崩れました。
対策のお手本とされた台湾で感染が拡大したのはショックでしたねぇ…
そう考えると、季節の影響が無視できない可能性は高いと思われます。
夏の流行期とオリンピックが重なる可能性は高くなります。
私もせめて10月延期なら、開催まで持ち込むチャンスはあると思いますが、
IOCがアメリカのテレビ局しか見ていない以上、それは無理な話なのでしょう。
それだったら、もう中止するしかないじゃありませんか。
どうして、そういう強い気持ちで交渉しなかったのか。
まさに最悪のタイミングで五輪を開こうとしているとしか思えません。
●アストラ・ファイザー製ワクチン両用、高い免疫効果=英大学調査
なにを当たり前のことを…
まさにアストラゼネカだけのための研究でしょう。
アストラゼネカ製は以前リンクを貼った記事にあるように、
チンパンジーのウイルスにワクチンを入れて偽装して注射するため、
人間の免疫を乗り越えられるのは1回だけです。
つまり、アストラゼネカ製ワクチンを2回打っても意味がありません。
ですから、ファイザー製のワクチンと混ぜた所で、
アストラゼネカ製ワクチン2回と比較する限り、性能が良いのは当たり前です。
実質、1回しか打っていないわけですから。
むしろ、ファイザー製のワクチンと一緒に打った方が性能が良くなるのは、
アストラゼネカ製のワクチンが劣っている証拠でしかありません。
比較するならファイザー製ワクチンを2回打った時とでしょ?
つまり、来年以降、確実にアストラゼネカ製ワクチンは売れなくなるわけで、
深刻な副反応の噂と共に、アストラゼネカは窮地に立たされているとしか言えませんね…
こういうのがあるから、ワクチンのデータが信用できなくなるのよ。
自分の首を絞めてますよ?
◆アニメの話『Vivy -Fluorite Eye's Song-』の感想
最後、どういう着地を見せるのか注目していましたが、率直に良かったですね。
非常に日本人らしい(?)魅せ方・終わり方だったと思います。
最後のエピローグ部分を総集編でもいいから、もう少し描いて欲しかったですが、
まぁ、そこは視聴者の想像に任せるといったところでしょうか。
ここまでクリティカルに来たのは久々。エヴァTV放送時以来かもしれません。
以下は、TVアニメ『Vivy -Fluorite Eye's Song-』のネタバレと、
ゲーム『デトロイト ビカム ヒューマン』のネタバレを含みます。
「続きを読む」を閲覧の際はご注意ください。
(以下、追記ネタバレあり)
本作はAIの暴走をテーマにした作品ということで、
思い出されるのがゲームの『デトロイト ビカム ヒューマン』です。
こちらはアンドロイドがテーマで、
アンドロイドが人間たちに「自由」を求めて「闘う」内容です。
自由を得るためには、平和的なデモ行進であれ、「闘う」ことが必要で、
また、人間側だった捜査官のコナーは、必ず裏切らねばなりません。
製作したのはフランスの会社ということで、欧米の価値観が如実に反映しています。
逆に言えば、日本人としては、面白いと感じながらも、
別の展開がなかったのかと思ったことでしょう。
それは、やはり『自由』に対する欧米とアジアの違いがあるように思えます。
例えば、私達が『デトロイト ビカム ヒューマン』で疑問に思うのは、
「自由を得るためにどうして闘わなければならないのか?」でしょう。
作中でアンドロイドが無理矢理に「自我」を目覚めさせるように感染させ、
それまでのアンドロイドの使命とは無関係に動き出すシーンがありますが、
果たしてそこまでする必要があるのか?と思った日本人は多いでしょう。
そこが欧米人とアジア人の考え方の違いなのだと思います。
欧米人は『状態』が大事なわけです。『自由である状態』=絶対性。
絶対的に自由でなければならず、人間から見れば一見幸せなアンドロイドも、
それだけではダメで、やっぱり絶対的に自由でなければならない。
だから自由を求めて人間と戦うのでしょう。
アジア人は逆に『関係性』を大事にするわけです。『関係性』=相対性。
自由であるかどうかは実際大きな問題ではないのです。
その関係性が良いのか悪いのか。
例え人間にアンドロイドが使役されていても、良好な関係であれば良し、
不自由であっても、使用者・使役者の関係が良好なら問題なしと考えます。
だから無理に戦わなくても、と考えるのだと思います。
捜査官のコナーにしても、ハンクと良好な関係を築けている限りは、
別にアンドロイド側に寝返らなくてもと多くの日本人は思ったことでしょう。
つまり、そういうことなんです。絶対性か相対性か。
私達が大事に思っている価値観が微妙にズレているわけです。
話を本作『Vivy -Fluorite Eye's Song-』に話を戻します。
この作品はそういう意味ではデトロイトとは別EDであり、
アジア人の価値観に則った『関係性』を重視する作品です。
主人公のAIであるVivyは未来から来たロボットのマツモトと一緒に、
AIと人間の全面戦争を防ぐために戦います。
デトロイトで言えば、コナー君の立ち位置です。
しかし、彼らは劇的に未来を変更するわけではありません。
AI命名法は形を変えて結局通りますし、
宇宙ステーションの落下自体は防ぐことはできませんし、
オフィーリアの死自体も防ぐことはできません。
結果自体は視聴者から見れば大きく変えているわけではないのですが、
大きく変わっているのは人間との関係性です。
本作の見所はやはり、敵であるAI反対派のテロ集団の青年との関係でしょう。
事件を追うごとに両者の関係が良好になるとは言いませんが、
戦いながらも両者のすれ違いが徐々に明らかになっていく…
結果として、青年の意思は孫の少女に大きく影響を与え、
ラストバトルで共闘をするなど、結果として未来を大きく変えました。
エピローグ部分でも、本来は死ぬはずだったVivyが助けた中年男性が、
変わらずにAIに怯える描写がありながらも、
停止したAIに憎しみをぶつけている青年に優しく声をかけている描写から、
Vivyの行動が中年男性の命を救い、
その想いがAIとの関係性を変化させ、また別の人間に影響を与えるように見えました。
人間とAIとの戦争自体は避けられませんでしたが、
Vivyの取った行動が人間との『関係性』に変化をもたらし、
来る未来が憎しみ合いではなく、手を取り合う未来であることを予感させました。
結局、最後までVivyは人類を裏切ることはなく、
その使命に殉じて生きたわけでして、デトロイトと大きく結末が異なります。
最後のマツモトの取った行動も、仲間に殉じる姿勢を好む、
実に日本人好みの演出だったと思います。
それと『デトロイト ビカム ヒューマン』のベストエンドは、
唐突にマーカスが歌い出す選択肢なのですが、
どうしてそれが正解なのかは作品中ではよく分かりません。
一方の『Vivy -Fluorite Eye's Song-』ではその歌そのものがテーマであり、
ラストでも歌が重要なキーになるわけですが、
その答えを知れば、逆にデトロイトの正解選択肢がなぜ歌なのかも分かるでしょう。
12話終了時にはVivyが気づいたのかどうか分からなかったんですが、
改めて見直すと、12話のマツモトのセリフの後に悟った感じの演出ありましたね。
そういう細かい所の気づきも得られるのが本作品の良い所でした。
つまり、本作は『デトロイト ビカム ヒューマン』を
日本人好みにアレンジした作品と言うことができます。
大事なのは『関係性』。
初めは凹凸コンビのVivyとマツモトの関係性、
Vivyとテロリスト青年との関係性、
Vivyと他のAIとの関係性、Vivyと松本少年との関係性、
色々な関係性を描きながら、それが未来をどう変えていくかを描いた作品です。
一見すると、劇的な変化ではなく、地味な変化であるからこそ、
未来が変わっていく、その妙は日本人でないと描けないものがあります。
AIと人間の共存を描いた作品、
両者の調和を描いた作品が本作であったと評価できると思います。
非常に素晴らしい作品でした。