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『食事中に●●をしてはいけません』

子どもの頃にそう言われた経験が誰にでもあるはずです。
『食事中に物を食べながら喋ってはいけません』
『食事中にTVを見てはいけません』
『食事中にスマホを弄ってはいけません』等々。
各家庭によって色々なルールがあったと思います。

日本の伝統的な作法によれば、食事中のお喋りは正式な場では御法度。
食事をする際は食事に集中するのがマナーであり、
会話は食事の合間、配膳される前で終えるのが基本です。
つまり、日本においては会話と食事は別個のものであり、
食事というものは一種の神聖な行為であって、
生命への感謝・生産者への感謝・料理人への感謝を捧げるもので、
食事をする時は食事に集中するのがマナーであり、
集中を欠く行為はしてはならないものだったわけです。

それが今はどうですか?
ノミ二ケーションやお喋りしながらの会食等々。
あなたは昨日の昼の食事の味を本当に覚えているのですか?
会食した相手のくだらない会話に上書きされていませんか?
何度も言いますが、ダメなものはダメなんです。
日本の伝統的な作法に則り、食事は食事に集中し、
会話は会話で別個に行うべきなんです。
喋りながら食事するとのが行儀が悪いんですよ。お分かり?
何度も言います。ダメなものはダメなんですよ…


後で『ファクターX』の存否について書くつもりですが、
個人的には遺伝形質の違いが起因するというよりは、
生活習慣の違いに起因する方が大きいと思っています。
考えるに、アジア圏と欧米圏で感染率が異なっているのは、
パーソナルスペースの違いや食習慣の違いでしょう。
ハグやキスといった接触文化の多い欧米圏とは違って、
アジア圏は過度な接触を嫌う傾向にあることから、
元々、『三密』を嫌う文化が強かったように思います。
また、食習慣でも箸を使うことが多く、
欧米のパン食やアジア圏でも手を使うことが多いインドも、
比較的感染が広がっているように思えます。
個人的には、遺伝形質説よりも生活習慣の違いと考えています。


今、私達はコミュニケーションの一つの曲がり角を迎えていて、
より密着することが積極的なコミュニケ―ションであるという思い込みを
改める時が来ているように思います。
一度災害関連の話でしたことがあるかもしれませんが、
寄り添うことが救いになるとは限りません。
共に引っ張られて悲観論に走ってしまう可能性があるからです。
逆に、親身でない方が、同情されない方が救いになることもあるのです。
正面から抱き合っていたら、相手の顔を見ることはできません。
ある程度、距離があるからこそ、相手の顔や全身を見れるんです。
抱き合うばかりがコミュニケーションではないということを、
今の人々は学ぶべきだと思うわけです。

◆ニュースネタ 経済の首絞める「コロナ対策も経済も」の両面作戦
『経済を優先しなければ、生活が持たない』という主張は当然理解できます。
ただ、コロナ前のやり方で経済を回しても生活がもたないのも事実。
それじゃ経済優先論者がコロナ後の新方法を提案しているかと言えば、全くの問題外。
古い旧来のやり方で経済を回しても回らないのが現状なんですよ…
それはもう昔の夢物語を語ってるようなものです… 現状分析ができてない。

今、一番物理的にも精神的にも破綻する恐れがあるのが病院でしょう。
●都医師会 PCR検査1400カ所に 「抑える最後のチャンス」
医療現場は政治家が言っているよりも切迫しています。
現状ではコロナ患者を受け入れれば受け入れるほどに、
病院の経営状況は悪化し、人的資源も枯渇していくという惨状…
コロナ患者には感染症対策が必須ですから、使える病床が限定され、
治療にあたる医療関係者も細心の対応をしなければならず、人員も必要で神経も使います。
コロナ患者を受け入れれば、逆に風評被害で一般外来が避ける可能性もありますし、
他の手術への影響も指摘されており、コロナ患者を受け入れるメリットが感じられない程です。
真面目に社会貢献をすればするほどに、先細っていくという現状を変える必要があるものの、
国会は閉じたままで、改善される余地がありません。
この調子だと秋・冬にコロナ患者の受け入れをストップせざるを得なくなるか、
物理的にも精神的にも病院が破綻するかのどちらかになるでしょう…

観光業やスポーツを始めとする興行も絶望的な状況ですね…
Gotoキャンペーンが成功しようとも、外国人観光客は全く期待できません。
旅行代理店はともかくとして、実際に受け入れるホテル・旅館は感染症対策が必須で、
真面目にやればやるほどに回転率が悪くなり、赤字経営になること必至です。
例えば、プロ野球は5000人規模で観客を入れていますが、
一番少ない楽天生命パーク宮城で3万人なので1/5、
一番多い東京ドームは5万人規模なので1/10しか入れられないわけですから、
経営的に見れば苦しいのは当然です。

つまり、真面目に感染症対策をすればするほどに、赤字経営が続いてしまうわけで、
今の感染状況で経済を回し続けても、黒字にすることは不可能でしょう。
そうなると感染症対策に手を抜いて儲けようとする輩が出てくるわけで、
再びそこから感染が広がっていってしまうわけですから、
この悪循環は延々と終わりません。

さらにその先に待っているのは9月の雇用調整助成金切れによる大量失業、
来年の東京オリンピックの中止という絶望的な状況です。
どうして、4-5月の緊急事態宣言による自粛が無駄になってしまったのか?
その分析をすることなしに、いい加減に経済を回したところで、
誰も救われないという結果が待つのみでしょう。


◆新型コロナウイルス問題 『ファクターX』は存在するのか否か?
ラジオを聞いてたら、耳を疑うような発言を聴きましたねぇ…
要約すると、「日本人は『ファクターX』を持ってるから重症化しにくい。
よって過敏に対応せずとも良い。マスク着用等も必要ない」的な感じの話…

日本人の遺伝形質には新型コロナに対応できる『ファクターX』があるから、
感染者数・死亡者数が少ないという主張はチラホラ見かけるのですが…
確かに、その可能性は否定できませんが、
仮に『ファクターX』が存在するならば、早期に特定して血液抗体を作れば良い話で、
その段階に至っていないということは、貴重なビジネスチャンスを逃しているか、
そもそも『ファクターX』の存在や効果が証明されていないか、のどちらかです。
少なくとも効果が証明できるのならば、日本人全員が献血しまくって、
世界中の人々に無料で配れば、新型コロナの脅威がなくなるわけで、
来年のオリンピックも安心して開けるはずなのに、
そういう動きにならないということは、つまり… 現時点では夢物語…

「『ファクターX』があるから、コロナ対策をしなくていい」という主張は、
「『信仰心』があれば、コロナに感染しない」という主張と同じで、
その結果、対策をしなかった教会やモスクがどうなったのかは、
火を見るよりも明らかなことでしょう…
そういうのを『似非科学』と言う…
現時点では『ファクターX』は存在しているとも存在していないとも言える。
まぁ、単にPCR検査数の少なさに起因するサンプル数の少なさや、
感染したウイルスのタイプによる差異、
元々の生活習慣の違いによる影響の方が大きいと思いますけどね…
そんな『ファクターX』があるならば、早く抗体を作れという話です…

もっとも、もし、仮に日本人にしかない『ファクターX』が見つかったとしても、
それによって即座に日本人以外も大丈夫とはならないので、
海外との出入国の自由が緩和されるわけでもなく、
日本に来る外国人は全く無事だとは言えないので、社会学的には無意味でしょう。
いくら日本人が『ファクターX』があるから感染者が多くても大丈夫だと言っても、
世界的には感染者数が大事な要素であって、日本に対する警戒心は薄れることなく、
日本に来る外国人は感染してしまうという話になってしまうので、
来年の東京オリンピック開催は不可能になります。
鎖国状態は変わらないので、経済が良くなるという話でもないわけで、
ただ単に日本人の心だけが安心するだけという、無意味な結果に終わるでしょう…

結局、『ファクターX』を提唱する人は何が言いたいのか…理解しがたい。
日本人でも多くて感染者の10%、少なくとも1%は重症化してるわけですから、
日本人全体で見れば、1000万人≒東京23区の人口、
100万人≒仙台市の人口が生命の危機に晒されるわけですから、
東京23区や仙台市が壊滅する規模の災害を放置できるのでしょうか?
安易な楽観論には乗らず、しっかりと対策をすることが必要だと考えます。


◆ニュースネタ いったいどっち? 帰省巡る混乱おさまらず
こういう時に簡単に見分ける方法は、「誰が責任者であるか」です。
失敗した時に責任を取らされる人は、当然多くの情報を集めています。
逆に、安全圏にいる人間は好き勝手に自分の都合に曲解して言いたい放題できます。

GoToキャンペーンの責任は国土交通省にあり、
コロナ対策の責任は西村内閣府特命担当大臣にあります。
菅官房長官が実際的にGoToキャンペーンを主導・宣伝しているものの、
実際上の責任者ではありません。
つまり、調子のいいことを言っている人間は明らかです。

そういえば、感染症対策の分科会が帰省に関する発表をするような話を、
テレビでしていたような気がしましたが… 来週の中頃?
ただ、完全に骨抜きにされていないか心配…
●政治判断の余地大きく 感染指標、官邸の意向反映 新型コロナ分科会
日本の初期対応を誤ったのは、数字を無視して、
政府が安全性バイアスにかかってたせいだと思うんですけど…
『総合的に判断』というのは聞こえが良いように思えますが、
実際は『政治家の偏見で判断』という意味で、
判断材料もろくに説明してくれないので、後に検証もされない責任逃れの産物です。
総合的な判断をするための判断材料がないと判断も糞もないのに…
結局は数字による客観性を無視して、政府の主観を貫くという意味…理解不能です。


◆ニュースネタ 五輪成否、首相の命運握る
現実でオリンピックをやれないなら、バーチャルでやればいいのに…
マリオ総理大臣は何のためにリオ五輪の閉会式でああいうことをやったの?
忘れてんじゃない?
現実の開催が無理なら、eスポーツの大会でもいいじゃないですか。
それによって世界の人達がスポーツ選手のことを知れるなら。
一番難しい権利関係をIOCを説き伏せれば行けるわけですから、
現実での開催とは別個で、
eスポーツとしての五輪大会ゲームも視野に入れてもいいと思います。

五輪が中止なら、出場予定選手枠パックは無料提供にして、
追加で大会に間に合わなかった出場候補選手枠パックと、
エディット選手枠パックを有料販売して儲けましょうや(笑)

そういう話に至らない所が頭ガチガチな老人共って気がしますが…
もっとも、今から1年後にゲーム化されてないような
マイナースポーツの作成が間に合うのかというと、難しい面もありますが…
仮に幻の東京オリンピックとなってしまうのならば、
ゲームくらいでは存在させてあげて欲しいですけどねぇ…


◆アニメネタ 『ガンダムNT(ナラティブ)』
Abemaの無料放送があったので、ガンダムUCと一緒に見ました。
(NTは8月9日21時から48時間限定放送。お早めに)
いやー、率直に面白かったですね。
これで『ニュータイプ論』にも終止符が打たれたかなと思います。

自分の中で『ニュータイプ論』が決まったのは、
『ガンダムX』の「ニュータイプは幻想だった」という解釈ですが、
当時はXの不人気も相まって、かなり叩かれた記憶があります。
個人的には戦争後の雰囲気も相まって、Xは好きな作品だったので、
そういう叩かれ方をしたのを残念に思ったものですが、
まぁ、『ニュータイプ』という概念を信じていたガンダムファンからすれば、
裏切りにも思えたのかもしれませんねぇ…
もっとも、原作者である冨野氏が実際にそう考えていた節はなく、
わりと超能力的な描かれ方をしていただけに、
『ニュータイプ=幻想論』を受け入れられない立場も理解はできました。

ただ、その後の『ガンダムTheOrigin』で、
ニュータイプ論の始まりが語られたことで、
地球から捨てられた宇宙移民の宗教的な要素が強められ、
『ガンダムUC』で『逆襲のシャア』のサイコフレームが再定義されたことで、
サイコミュを使えることがニュータイプの条件でなくなり、
ニュータイプの概念化が深まり、
この『ガンダムNT』によってそれが決定的になったと言えます。
それでもニュータイプが概念だったと考えるのは嫌だという人には、
受け入れがたい作品かもしれませんが、
ガンダムファンには1つの答えとして受け取ってもらいたいように思います。

裏を返せば、ニュータイプは存在しないというわけではなく、
分かり合おうとする心さえあれば、
それだけで誰でもニュータイプとも言えるわけです。
考えるに、ガンダムの世界の住人って、
現実よりもドライで現実主義的で損得勘定で動く人間が多いんですよね…
そういうのを超えた人情とか絆で動くのがガンダムチームなわけで、
荒廃した世界でも人間らしい心を失わないことがニュータイプの条件と言えます。

あと本編とは関係ありませんが、
昔、PS2で発売された『サンライズ英雄譚』というゲームがあるんですが、
あれの1章は『逆襲のシャア』と『ドラグナー』を合体させた世界で、
サイコフレームの共振によって時空を超えるという話でしたが、
『ガンダムNT』のサイコフレームの解釈からすれば、
それもあながちあり得ない話ではないのかなと思ったりもします。
アムロとシャアが異世界に飛んだという解釈するのも面白いですね。

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