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検察官の定年延長はTwitter世論の反対を受けて“先送り”

こちら ツィート250万超⇒470万超
こちら 政府の狙いは合法化
こちら コロナの政府対応で誤魔化しが効かなくなった?
こちら 慌てた公明党の反対を受けて断念か

朝にツイッターを見た時は何事かと思いましたが…まさか、ここまでバズるとは…
芸能人も自粛が続いていることで、社会の諸問題をじっくり考えられていることが、
今回は良い方向に作用したということでしょうかね。
森友・加計・桜を見る会問題で行った誤魔化しが通用しなくなった証拠です。

問題は言うまでもなく、2項の内閣の承認による更なる定年延長でしょう。
検察は行政機関の一種ですが、検察官は政府も捜査対象としているだけに、
そこに恣意的な人事を認めてしまえば、独立した判断が不可能になってしまいます。
もっとも、実際に運用した場合に、内閣の恣意性がどれだけ反映されるかは未知数…
その基準が定まっていないだけに、裏を返すと、
内閣は検察側の定年延長の申請があれば、自動的に認めざるを得ないとも解釈できます。
そこに内閣の恣意で定年を延長する正当性がなく、延長基準も全くないようでは、
黒川氏の定年延長を正当化するための改正と言わざるを得ないでしょう。

今回の一件で特徴的だったのは、マスメディアが興した潮流ではなく、
Twitterというソーシャルメディアが興した潮流が、
政権の方針を動かしたという流れでしょう。
Twitterで話題になるまでは、コロナ報道に押され気味で、
それほど大きな話題になっていませんでした。
それがTwitterでバズったことで、マスコミがそれを追いかけ始め、
それを報道で見た人達がさらにTwitterをリプするという循環が生まれました。
コロナ騒動による自宅待機等の影響があったとはいえ、
これだけソーシャルメディアの声が政治を変えた例は記憶にありません。
不幸なことに今のマスメディアは政治記者クラブに縛られ、政権の犬と化していますから、
逆にソーシャルメディアの方が健全な見方をしているという皮肉な流れになっています。
マスメディアの既得権益化が進み、ソーシャルメディアが新しい潮流を生むという、
社会の新しい流れが今後生まれていく可能性を感じました。


◆ニュースネタ 芸能人の賛同に対する批判で考えるテレビの終焉
「職業差別が根底にあったのかぁ」
残念ながら、そういう考え方をする人間は確かにいますね…

ただ、それを引き起こしたのがテレビ業界であることも確かだったりします。
自分はテレビのバラエティをほぼ見ません。
それは番組の作りが「人を笑わせる」のではなく、「人を笑う」ものだからです。
笑いを取りに行くのではなく、人に笑われに行く。
おバカタレントが受けるのも残念ながらそれが理由です。
人に笑われに行くから、芸能人がバカにされる。人を下と見て嘲け笑う。
その構図に子ども時代に気付いたので、テレビのバラエティはほとんど見ませんでした。

つまり、そういうテレビ業界全体の「自嘲」な番組作りが、
芸能人全体に対する社会的イメージを傷付けてしまった感は否めません。
だから、政治的発言をすると叩かれる。
2004年のプロ野球再編問題の元巨人オーナーの渡辺恒雄氏が言った、
「選手ごときが」と同じです。
「芸能人ごときが何を言っているのか」そう思っている輩が一定数いるということです。
これが「笑い」を勘違いしたテレビ業界の末路です。

外出自粛でテレビも再放送ばかり。
プライバシー保護の必要性もありますが、
自宅周辺の取材や自宅でできるような番組作りは、幾らでもできるはず。
視聴率至上主義故に、取材対象は大きくなければならないという雑な番組作りが、
コロナ騒動によってその限界が明らかになり、
結果的に取材対象が小さくて済むYoutubeの動画配信に負けちゃうわけですよ…
今後はテレビも地に足の付いた番組作りが必要とされてくるように思います。


◆ニュースネタ 緊急事態宣言の一部解除を決定
本題に入る前に呆れた話がコレ。
こちら 緊急事態宣言の延長後、解除条件を早期に作成する意向

……
………それじゃ、どうやって延長するという判断をしたんですか?
基準がなかったのに、ただ自動的に延長したのか。何も考えてない証拠…
延長したのならば、相応の理由があったはずですし、
専門家会議も統一的な見解は出せなかったにせよ、幾つかの判断基準はあったはず。
それを全く示せずに、説明もできないというのは、何をもってして政治判断をしたのか?
何も考えてない。そこに合理性がないじゃん。
憲法改正のように自分の好きな話題かどうか、親しい友人からのお願いかどうか、
自民党の政治家に有利に働きそうかどうかでしか、政治判断ができていないのでは?
つまりは、利己的。非常に利己的。
合理的な政治判断をする気もない以上、何を言っても「指摘は全く当たらない」のでしょう。
だって、合理性=論理で判断するのではなく、
好き嫌い=感情の問題でしか判断できないエゴの塊なんですから…
そんなもん、もう政治家失格でしょうよ。
判断基準が好き嫌いの人間に、どうやって国民全体の問題を考えられるというのか…

で、話を戻しまして、相変わらず会見の方も要点が伝わらないイミフ会見でしたね…
企業支援策や労働者の直接支援等の経済支援策は評価できますが、
都市部以外が何を基準にして解除されたのか明確な理由は話されませんでしたし、
都市部の解除条件が具体的に何なのかも示されませんでした。
結局、緊急事態宣言が解除されて何か変わるのかと言えば、
国の責任でストップさせていた社会が、再び自己責任の社会に戻るだけで、
感染時の社会的リスクは却って高まると予想されるだけに、
コロナ感染リスクは下がる所か、社会的には上がってしまうという、
よく分からない解除効果になっています…

根本的な問題は「何のために緊急事態宣言を出したのか」ということなんですよね…
そこが判然としないから、解除も判断できないのだと思います。
結論から言えば、当初の目的は「行動制限」だったはず…なんです。
感染者が各地に散ってクラスター感染を起こすのを防ぐために、
自宅に縛り付けようというのが、緊急事態宣言を出した目的でした。
しかし、日本では公共交通機関の規制が行われなかったため、
十分には機能せずに、地方への感染伝播を止められませんでした。
そこで緊急事態宣言の対象を全国に拡大するという荒業を取らざるを得なくなった訳です。

それによって地方経済が大打撃を受け、解除要求が高まってますが、
しかし、ここで解除してしまえば、都市部から地方への移動が再燃するのは避けられません。
とりわけ、解除地域と継続地域の間で学校再開の差異が分かれてしまえば、
教育環境を求めて都市部から地方へ流れることを止めることは難しくなります。
本来の目的であった「行動制限」を行うことなしに、
感染が再度地方に広がることを防ぐことはできません。


結局、やることが過剰過ぎながらも、要点を全く抑えてなかったんです。
公共交通機関の移動を許可制にして制限をし、
各人の行動記録を自発的に取らせておけば、
万が一クラスター感染が起ったとしても、
地域ごとに封じ込めは容易でしたし、
休校措置や経済を止める必要性もなかったはずです。
目的を見失った政治的判断のせいで、経済が殺された感は否めません。
今の解除の段階で考えるべきは、当初の目的です。
改めて公共交通機関の移動を制限し、
感染時に各人の行動記録を把握できるよう準備を整えた上でなければ、
緊急事態宣言は解除できないように思えます。

別にね、近所で仕事して、近所で買い物する分には問題なかったと思います。
感染が広がったら、その地域全体を封じ込めればいいわけですから。
地方自治が発達せず、東京一極集中の判断に委ねてしまった故に、
諸外国のような地域ごとのブロック封鎖ができなかったんですよ。

休校措置の解除等も適宜進めていいとは思いますが、
やっぱり行動制限をしないことには、
富山県や石川県のような感染拡大を引き起こしかねません。
一時的に地域をブロック化させて、人の往来を制限することが、
感染封じ込めの優先課題のように思えます。


(追伸)
上は会見翌日に書いた内容でしたが、案の定、そこから気が緩み過ぎてるような…
移動制限をしなければ意味がないのに、既に通勤体制は復活…意味ねー
これで観光が再開し、人の流れが分からなくなってしまえば、
第二波は確実に広まってしまうでしょう…
まぁ、一番思うのは…感染者数はともかく、死亡者が変わらずに出ている状況で、
鎮静化も糞もないだろうと思うんですけど…

仮にコロナが沈静化した後、世界がどうなるかは正直未知数。
こちら
コロナ期のミニマリスト的な生き方が重要視されるようになるのか、
反動で大量生産大量消費の欲望に基づいた資本主義的生活に戻るのか、
ちょっと判断できずにいます。
長い目で見れば、ミニマリスト的な生き方になっていくんじゃないですかね…
飲食を含めたサービス業はかなり淘汰され、製造業回帰の流れを生むでしょうが、
その製造業も昼夜勤務が多く、人間の生活リズムとは乖離が激しいので、
現時点で予想しているよりは伸びない可能性の方が高いかもしれません。
作っても売れない時代になっちゃうし。
そう考えると、人間の生活リズムに根差した原始的な産業へ回帰する流れが強まりそうですが、
そこに情報産業と組み合わせたミニマリスト的な職業が誕生しそうかなぁ、
ってのが個人的な予想ではありますけど、それまでどれぐらいかかるかも正直分からん。
コロナ騒動は職業観を変えるチャンスでしたが、
政治家と官僚は保守的過ぎて一向に進みませんでしたし、
気付きを得ても、それが実現するのはもう少し先なのかもしれませんねぇ…


◆スポーツネタ 甲子園大会は中止? 地方大会は開催?
現時点では甲子園大会の開催は難しいように思えますが、
それこそセンパツ中止前に検討した無観客試合・縮小大会はあり得るんじゃないですかね。
練習不足で選手の方が心配ではありますが…
それこそ甲子園球場にに拘らなかったり、7イニング制に短縮したり、
厳しい球数制限を予め公表しておいたりすれば、
大会らしいものを開くことは不可能ではないように思えます。
大規模な全国大会を開こうと思うから苦しくなるわけで、
小規模な大会であれば、現段階で諦めなくても開催にこぎつけられるように思います。

問題なのは、今年の高校3年生の受験体制がどうなるか、でしょうね。
地方大会の成績は大学推薦にも関わってきますし、
開催しない不利益がダイレクトに野球部員に影響してしまう可能性は否定できません。
プロを目指す選手にとっても、アピールの場がなくなってしまうわけですし、
全面的な中止は将来的な面からも不利益を被りかねないだけに、
過去の大会に囚われない、柔軟な発想でカバーして貰いたいものです。

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