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やるせない気持ち

何とも言いようがない…あまりにも、あまりにも…

9日夜に起こった新幹線のぞみで起きた殺傷事件。
こちら
被害女性を庇って襲われた男性が、どの時点で亡くなったのかは分かりませんが、
この話によれば、10分以上犯人に馬乗りになられて殴打されていたらしく…
10分以上殴り続けることはかなり大変なので、
常に殴っていたとは思えませんが、それでもあまりにも異常な状況です。
周囲は恐怖でパニック状態だったでしょうから、
冷静な対応などできなかったとは思いますが、あまりにも不憫過ぎて…
例え、既に亡くなっていたとしても、一刻も早く助けてあげて欲しかった…
助けに入った人を誰も助けられなあったという事実があまりに悲しすぎます…
裏を返せば、犯人が死亡男性に固執したことが被害の拡大を防いだとも言えますが、
1人の犠牲による救済なんて、やはり認めがたいものがあります…

そして袴田事件の再審請求も高裁で棄却。
こちら
世論的には再審容認という感じなのに、民意の忖度は全くナシ。
確かに証拠品の鑑定結果は両者ともに微妙な所はありますが、
かといって昔の鑑定結果が正しいとも思えないだけに、気持ち悪さしか残りません。
裁判の基本は「疑わしきは被告人の利益に」なのにも関わらず、
一度裁判を経て判決が決まった途端、「疑わしきは再審せず」。
勿論、一方で死刑囚が失効逃れのために再審請求をするケースがないとは言いませんが…
杜撰な証拠が通ってしまった裁判を否定することが、
これほどまでにハードルが高いというのはやるせなさを感じてしまいます。

一方で死刑囚として再度拘禁しなかったことは当然のように思えて不可思議。
東京高裁は地裁の再審決定にはケチを付けているものの、
かといって袴田事件の死刑判断には踏み込んで判断していない。
袴田さんは死刑囚であると明確に認定していないのは、よく分かりません。
穿った見方をすれば、検察・裁判所のミスを認めないために、
時間稼ぎをしている、袴田さんが亡くなるのを待っているとさえ思えます。
最高裁での決定が何年かかるか知りませんが、おそらく高裁への差し戻し審議となり、
グルグル延々と回し続けるんじゃないでしょうか。
クズ過ぎる。


話を新幹線のぞみ号の事件に戻しますと、
駆け付けた車掌さんの手にしていた武器は、取り外した座席だったという話で、
新幹線の治安対策は本当に大丈夫なのか?と疑念しか出てきません。
乗っている車掌さんも2人では有事に対応できるのは事実上1人で、
それではさす又を持っていたとしても、1人じゃ何もできませんよ。
根本的にJRの危機管理対策がなっていなかったと言わざるをえません。
とてもじゃありませんが、こんなことでは長距離移動の新幹線には乗れません。
多少時間がかかっても、鈍行各駅停車で何かあったら、
すぐに下車できるように準備を怠らないとするしかない。
今の新幹線で安全な旅を期待するのは無理というものです。
根本的に安全対策を練り直さなければダメでしょう。


◆ニュースネタ 財務省の文書改ざん問題の不明点
財務省が森友学園問題の文書改ざんに関する内部調査結果を公表しましたが…
ニュースこちら

先日公開された森友学園との交渉記録も然り、
今回の内部調査結果も一番大事な部分がごっそり抜け落ちてしまっています。
どうして財務省は文書の改ざんに手を染めたのか、そこが分かりません。
会見で麻生財務大臣が、答弁の修正ではなく文書の改ざんをした理由を問われ、
「正直分からない。それが分かれば苦労せんのですよ」と答えた時点で、
この内部調査の結果は評価に値するものではないと認めたようなものでしょう。

予想通り、財務省の自浄作用は0(ゼロ)だったわけで、
これで幕引きとすることは許されず、
最低でも改ざんを指示したと認定された佐川氏の再度の証人喚問、
それでも事態が解明されないのならば、
第三者委員会による徹底調査も必要になってくるでしょう。
こんなもので納得できるわけがない。
もう少し信じてみようと思えるようなマシなシナリオを用意できなかったのか?


第一に問題の根本原因となっている「8億円の値引き」が適切だったか否か。
財務省は適切だったという立場を変えてないように思えますが、
だったら手の込んだ文書の改ざんなんてする必要がないわけで、
このまま公開しては野党から激しいツッコミを受けると思う程に、
怪しい色をした取引だったということでしょう?
怪しくないなら、そのまま公開すれば良かっただけのこと。
国会対応でてんやわんやで忙しかったというならば、
そのまま文書を出すか、取引の証拠書類を徹底的に破棄すれば良かったはず。
そのどちらも選択せずに、文書の改ざんという手の込んだ仕込みをすれば、
そりゃ国会対応が疎かになるぐらいに忙しくなるわけですよ、当たり前です。
何で自ら仕事を増やすような馬鹿なことをしたのか、
「8億円の値引き」が適正なら、そんな馬鹿なことをする必要はないはずです。

第二に答弁の修正ではなく、文書の改ざんに手を染めた理由です。
忙しい人が考えることは「仕事を減らすこと」です。
先も書いたように、わざわざ文書の改ざんをして自ら仕事を増やす馬鹿はいません。
文書の改ざんを指示できるのは、この問題に対して「暇な人」しか考えられず、
なんで「忙しいはず」の佐川元理財局長が、
わざわざさらに忙しくなるような文書の改ざんの指示を出すのか、
合理性は皆無です。
もう自棄になって、「全部書類を提出するので好きにお探しください!」、
「こんな書類があるからいけないんだ! 全部捨ててやる!」なら分かります。
でも手間のかかる文書の改ざんをやろうとは思わないでしょ、忙しいんだから。
ですから、文書の改ざんの指示は忙しくない人、
少なくとも財務省理財局以外の人間でないと説明が付かないんですよ。

問題発覚の原因となった件の国交省の文書に関しても、
わざわざ出向いてこっそり差し替えようとしていた事実が明らかに…
こちら
どうしてここまで手の込んだことをしなければならなかったのか、
忙しい人間がわざわざ仕事の手間を増やす理由が分かりません。

第三に、そもそも何で佐川元理財局長は嘘の答弁をしたのが分かりません。
証人喚問でも、近畿財務局の決裁文書を見ていたのか否かを問われましたが、
大阪地検の捜査を理由に答弁拒否、
今回の報告書でも明確にはされていません。
近畿財務局の決裁文書等を見ずに答弁書を作成した印象もありますが、
具体的なことは当事者の口、佐川氏の再度の証人喚問で確かめる他ありません。
ろくな確認もせずに佐川氏があのような答弁をしたとするならば、
国会に対して嘘の発言をしていたこともそうですが、
件の官房長官のレクでも嘘を吐いた可能性もあり、その場で何を話したのか疑問です。
佐川氏がいつ近畿財務局の決裁文書の内容を認識したのかは重要な問題です。

報告書の通りならば、政府・官邸をも騙していた可能性が高いわけで、
どうして真相解明まで1年もかかったのか疑問が残ります。
もっと安倍政権が主導的に動いていたら、財務省に責任を押し付ける形で、
早期に森友学園問題は終止符を打てたかもしれません。
それをダラダラと引き延ばすことになったのは、
何ら主導的に調査を行わなかった麻生財務大臣と安倍総理の責任でしょう。


最後にこの調査報告書の評価として、
政府は「発端は佐川氏の国会答弁。忖度はなかった」という見解に対し、
新聞社は「発端は安倍総理の国会答弁。忖度を否定せず」と評価が分かれています。
改ざんの発端が佐川氏の国会答弁であるとするのは無理があります。
なぜなら、最初に改ざんした部分が国会議員や安倍昭恵夫人の名前だったからです。
佐川氏の国会答弁が発端なら、
それよりも先に学園との価格交渉を伺わせる記述を削除するのが当然です。
国会議員の名前を最初に削除したのですから、
安倍政権への忖度とは言わないまでも、与党自民党に忖度したのは明らかです。

そう言う意味では誰に対しての「忖度(そんたく)」だったかは別としても、
財務省が政治家の意向を忖度して改ざんに及んだ可能性は高いと思われます。


◆ニュースネタ 安倍総理が欠く概念『機会の平等』
毎度のことながら、森友・加計学園問題における安倍総理の答弁は噛み合いません。
こちら

森友学園問題に対して、
>「不正はしていない。政治の世界において大きな問題になってきた贈収賄では全くない。
> そういう文脈の中において、私は『一切関わっていない』ということを申し上げている」
加計学園問題に対して、
>「私が食事をごちそうしてもらいたいから、
> 国家戦略特区を特別にやるなんて、考えられないですよ」
という発言が出てくること自体が、この問題を理解しているように思えません。

森友学園問題は贈収賄の類の問題ではありませんし、
加計学園問題は安倍総理の贈収賄の可能性はありますが、
問題の本質はそこではありません。
特定の「お友達」のみが優遇措置を受けているのではないか、そこが問題なんですが、
安倍総理は、そもそも、それ自体が問題と思っていない節があります。
自分が「特権階級」だから、特別扱いを受けるのは当たり前、
自分が特別なのだから、自分の「お友達」を特別扱いをするのも当たり前、
そういった独裁者的思考が垣間見えることが多々あります。

「李下に冠を正さず」、森友・加計疑惑で支持率が急落し、
国会で連日のように集中審議が行われるようになって以降、
安倍総理が頻繁に使っている故事成語です。
意味は、低木の李(すもも)の樹の下で、帽子(冠)を直そうとすると、
泥棒と間違われるので、そのような疑わしい行為はしない、ということです。
一見すると、適切な故事成語に思えますが、この言葉を使うこと自体、
森友・加計学園問題の本質を理解しているようには思えません。
つまり、安倍総理は森友・加計学園問題は、
「不正ではないけれど、疑わしく見えるに過ぎない問題」に過ぎず、
疑わしく見えなくすれば良い=適当に説明できれば十分、と考えてる節があります。

森友・加計学園問題の本質というのは、先の故事成語に喩えれば、
加計理事長が李を取るのは自由、
籠池氏が李を取るのは…まぁ、許可しないでもない(後に禁止)、
京都産業大が李を取ろうとしたら…「あんたはダメェ!」、という話。
ごくごく簡単に言えば、『えこひいき』な話なんです。

その『えこひいいき』=差別の理由が何なのか。
加計学園問題で明らかになったのは、
後付けに加計学園以外に許可されないように条件を締め付けたことでした。
そしてその条件の締め付けに合理的な理由がない。区別ではない、明らかな差別。
国家戦略特区の会議に加計学園と京都産業大の獣医学部の計画が並んでしまえば、
明らかに見劣りする加計学園が排除されかねない、
それを総理なのか、官僚らは恐れて京都産業大をそもそも選考から外すよう画策した。
完全な差別です。そして差別を受けた理由が、「お友達優遇」なのです。
それに国民は怒っていることに何故、気づかないのか?

「平等に取り扱え」、おそらく安倍総理がこの言葉を聞いて思い浮かべるのは、
『結果的平等』であって、共産主義の失敗を挙げて平等など馬鹿げてると言うのでしょう。
しかし、現代に求められているのは、『機会の平等』です。
裕福な家に生まれた人間も、貧乏な家に生まれた人間も、
等しく教育を受ける機会を与えられる、
その機会を活かせるかどうかは個人の才覚次第、今の平等は『機会の平等』です。
人間は平等とはいっても、実際のスタート地点は異なるわけです。
ゴールまで短距離で一直線な人もいれば、ゴールまでが長く紆余曲折の人もいます。
格差によってゴールまでの難易度が違いすぎるため、
スタート地点の補正をしようということです。
200M走のようなコーナーのあるトラック競技において、
外周であればあるほどにスタート地点が前になるのと同じことです。
それが今日の「平等」の考え方です。

その視点を安倍総理は徹底的に欠いていると言わざるを得ません。
森友・加計学園問題を「庶民のやっかみ」程度にしか思っていない。
だからいつも真剣みが足りない。
だから「贈収賄ではない」とか「大きな問題ではない」と簡単に言えてしまう。
違うんですよ、安倍総理のお友達とお友達以外とが区別され、
自分のお友達に優遇措置を与えることによって、
差別的取り扱いをしているのが問題なんです。
そこを履き違えている以上、この問題が解決することはありえません。

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