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夜中の決断と病人の戯言を信じてはいけない

夜は物思いにふけるには良い時間だ。
だけど、夜に物事の大事な決断をしてはいけない。
夜は思考が悲観的になりがちで、極端に走りやすいからだ。

病人の一言は、健康な時では思いつきもしない視点を教えてくれる。
だけど、病人の戯言をそのまま信じてはいけない。
病気の時は心が弱りがちで悲観的な結論を生みやすいし、
そもそも、それが病人の真意とは限らないからだ
(弱気な結論を敢えて否定してもらいたい場合もあり得る)。


世間を騒がせていたTOKIOの山口達也の辞表が受理されたそうです。
果たして彼らの決断が「まともな」状態で判断されたものだったのか、
先日のTOKIO4人の記者会見を見ていると、
とでもまともな精神状態には見えませんでした<特に感情的過ぎた松岡
朝のMC番組で心境を吐露せざるを得なかった国分が一番冷静で、
これだけ短期間のうちに心の整理が本当にできたとは思えません。
自分には上に書いたような、「誤った判断をしがちなケース」に
当てはまっているようにしか思えんのですわ…

先日の会見で松岡が「TOKIOが甘えの構造になっていたのなら~」と
言っていて、実際に自分もその点は多少なりともあったとは思いますが、
逆に言えば、「甘え」というのは完全に取り攫って良いのか?とも思います。
家族や仲間、人間が群れるという行為が「甘え」というのならば、
人間の社会構造は全てが否定されてしまいます。
完全に自主独立した存在ならば、そもそも群れる必要性がありません。
群れることが「甘え」でしかないのならば、人間社会は成り立たないわけです。
ある程度の「甘え」を許容しながら、全体として前に進むことに、
集団の意義があるわけで、「甘え」を完全に捨て去ることが正義とは思えません。

今後、ジャニーズ事務所が山口達也氏の更生にどう関わるのかは分かりませんが、
仮に復帰までの青写真が描けているのならば、特に問題はないと思います。
逆に全く青写真が描けておらず、
TOKIOのメンバーに山口達也氏の現状を質問することが「タブー」にされるなら、
まさに「臭いものに蓋」、
財務省のセクハラ騒動同様に事件を放り出したと見做されかねません。

TOKIOはメンバーの絆を重要視してたからこそ、
リーダーの城島が「1人メンバーが抜けるようなことがあれば、
芸能界から足を洗うという覚悟」を示していたのでしょうし、
だからこそ福島の復興のシンボルにもあり得たのだと思います。
「5人のメンバーの絆」を大事にしてたからこそ、今があるわけで、
絆を捨て去った4人のTOKIOが受け入れられることは難しいでしょう。
山口達也氏との絆を「無かった」ことにすることはできません。
それはもう「TOKIO」という存在との矛盾が生じてしまう、
いずれ解散に至るのは必定でしょう。

逆に敢えて逃げずに、メンバー外になっても山口達也氏との絆を変わらないことを
アピールすることができれば、さらに深い意味での福島復興にシンボルになります。
原発事故によって散り散りになってしまった福島の人々、
それでも「絆は変わらない」と本当の意味でアピールすることができます。
敢えて目を瞑らず、耳を塞がず、口をつむがず、
否定せずにそのままの絆をあり続けることで、
4人でもTOKIOはTOKIOであり続けることができると思います。

山口達也氏に関しては謝罪と更生が第一ですが、
全てが終わったら、芸能界復帰ではなく、福島で農業すれば良いんじゃないかと。
むしろ、それが真のTOKIOの完成に近づくかもしれません。
TV番組だとか、芸能人としてのイメージだとか、ボランティア的な活動でも、
「芸能人」という大人の事情がもたらす色眼鏡から脱することはできません。
芸能人という殻から脱したからこそ、できる活動があると思います。

山口達也氏が芸能人としてTOKIOに復帰することは難しいでしょうが、
TOKIOでやってきた活動を嘘にしないためにも、
今まで行ってきたTOKIOとしての活動を通じて、
新しいTOKIOの絆を私達に見せて欲しいと思います。

今回の事件と騒動を「無かった」ことにするのではなく、
今回の事件があったからこそ、各々活動が充実したと振り替えられるように、
道は違えども、各々の「TOKIO」の道を作っていって欲しいと願います。


◆セクハラ事件に思う 「戦う難しさと戦った後の難しさ」(上記執筆前)
財務省事務次官のセクハラ問題は、セクハラと戦う難しさを露わにし、
TOKIO山口達也の強制わいせつの問題では、
戦った後の収拾の難しさを露わにしたように思えます。

前者のセクハラ事務次官に関しては、もはや言うまでもないでしょうが、
女性がセクハラ被害を訴えることの難しさ、
記者という「相手にお願いする立場」の弱さ、
取材対象からの多少の行為は目を瞑らざるを得ない報道機関の弱さ、
報道されても権力で押しつぶそうとする政府・行政機関の汚さ、
被害者なのに「ハニートラップ」などと揶揄される傍観者の恐ろしさ…
セクハラ被害と戦うことの難しさを端的に表した事件です。
(というか、まだセクハラ事務次官は認めてないし、謝罪もないし…
 辞任を認めてから、調査結果を出してこれ以上の調査はないって…卑怯な)

後者の強制わいせつの事件では、
被害者側の想定以上に大事になってしまった雰囲気があります。
そもそも、発端となったNHKの報道において、被害者側の意思はあったのか?
既に報道当時から示談は成立していたと思われますし、
被害者側が事件を公にするメリットがあったのかどうかは疑問の残る所。
実際の所はどうだったのかは分かりませんが、
週刊誌等に感づかれたことで、発端となった番組を抱えていたNHKが
先に報道して番組を強制終了することで、責任を逃れた可能性もあります。
事実はどうだったのかは分かりませんが、いずれにせよ、
被害者の処分感情等の意思は全く報道されることなく、
マスコミの不祥事叩きばかりが先行して、事態が大きくなり過ぎました。
果ては山口達也の解雇、TOKIOの解散など、
被害者側としても思ってもいなかった事態にまで転び始めており、
逆にTOKIOファンから被害者に向けられる目が厳しくなる可能性もあります。

戦う上で問題になるのは、被害者側の勝利ラインをどこに設定していたのか。
前者の場合は、最初から「事務次官に相応しくない」という一点にあったので、
「事務次官の辞任」という一応の成果は得ることができました。
勿論、現時点で「謝罪の意思」がない点では不満足な成果でもありますが。
一方の後者の場合は、勝利ラインをどこに設定していたのかが分かりません。
「加害者の謝罪」で十分なのであれば、事件を公にする必要はありませんでしたし、
「事件後もTVで出演してるのは我慢ならん」ならば、一応の成果はありましたが、
事態はそこよりも悪化しているのは間違いありません。

勝ち取りたい「利益」をどこに設定するのか、
そこを誤ると事態は悪い方へ悪い方へ転がっていく例のように思えました…

というか、TOKIO事件での記者の「隠ぺいではないか?」という質問自体が、
この問題で被害者側を置き去りにしている証拠でもあったりするんですよね…
マスコミが騒ぎたかっただけのような気が…


◆ニュースネタ セクハラ事務次官の事態の収拾方法
セクハラ罪がないというのは理解できますが…それでいいのか?
女性記者に対する威力業務妨害罪の可能性はあるように思えますが。
セクハラ事務次官が女性記者に対してした失礼なセクハラ行動、
財務省と麻生財務大臣がした強圧的なセクハラ調査方法、
今後、その女性記者は政治系の取材活動はできないことが予想され、
十分罪に問えるように思えるのですが、いかが?

麻生財務大臣は「前次官の人権なども考えないといけない」と言ってますが、
財務省の最終報告はそれを踏まえたものと言えるのでしょうか?
結論的には状況証拠が揃っていて、前次官の証言はそれを覆すものではないので、
セクハラはあったと認識しているということなのですが、
その前次官の証言・主張がないのは人権が保護されてると言えるのか。
今後、前次官がセクハラ報道を争う上では、
この財務省の最終報告書も不当だと言わなければならないわけで、
本当に前次官の人権に配慮されたものだとは、とても思えないわけですが。

もっとも、前次官の裁判発言は明らかな「脅し」で、
実際に裁判をやるなんて恥の上塗りはしないと思いますが…
それだけに、今後謝罪の機会もないというのは気持ち悪くて仕方がない。

結局、国民の意識からはセクハラ次官は忘れ去られ、
財務省の見せたセクハラ問題に疎い古い体質のみが記憶に残り、
そして、この問題に一向に関わろうとしなかった安倍総理の消極的姿勢、
「女性活躍」が嘘っぱちであることだけを印象付けることになっちゃいそうです。
野党はセクハラ問題に対して積極的に追及していきなさい。


◆ニュースネタ 柳瀬氏の証言変更で野党が審議復帰か
以前も触れましたが、参考人招致では昨年の焼き直しになるだけなので無駄でしたが、
柳瀬氏が「愛媛県の職員と会ったことは認める」姿勢に転じたため、
全く同じにはならなくなったことで、妥協ポイントができた感じでしょうね。
…もっとも、防衛ラインが変わっただけでしょうが。
「首相案件とは言った記憶がない」とか、
「加計理事長と安倍総理の関係等の話は記憶にない」だとか…
せめてボケ老人っぷりをアピールして、さっさと退官していただきましょう(苦笑)

野党の審議拒否に関しては色々と言われてましたが…
まぁ、なんつーか、学級会より酷いですからね…
先生が(自分で作成していない)遠足のしおりを配って、
そこに「おやつは500円まで」と書かれているのを児童が見て、
「バナナはおやつに入りますか?」
「500円は税込みですか? 税抜きですか?」
「友達と合わせた金額でお菓子を買っても良いですか?」等々、
色々な質問をしたとしても、
「しおりに書いてある通りで、おやつは500円までです」としか答えない。
その意味は「下手な許可を与えたことで、後で責任問題になりたくない」ため。
それって議論として成り立ってんの?

今やマスコミが報道する国会風景は「わりとマシな絵」に過ぎず、
実際の国会は与野党の議論が全く噛み合っていません。
政府は与党の質問に対しては、過剰に積極的に(自己主張強く)答えるも、
野党の質問に対しては、同じ返答を長々と行う質問時間テロ戦術…
全く議論になっておらず、少なくとも話し合う意識のある
学級会の方が100倍マシという有様です。

国民の声は与党だけにあるわけではないのですから、
野党の質問に対しても、国民の声だとして真摯に答える姿勢を見せて欲しいです。


◆ニュースネタ 期待薄い「国民民主党」
真摯な姿勢が足りないのは、『民進党』も一緒か…
共産党や公明党が組むメリットはどこにあんの?
自分達は政権を取りに行く政党だから配慮して貰えて当然と言うのか?
そんな自民党と変わらない高飛車な政党に誰が協力するのか、いるわけないでしょ。

希望の党との合併話や立憲民主党の合流がならなかった背景に、
具体的に何があるのかは分かりませんが、
『民進党』が我を捨てられなかったのは確かだと思います。
我々が本家本元の中道政党『民進党』だという驕りがある。
昨年秋に二大政党制実現のために『民進党』の看板を捨てたのとは大違い。
『民進党』の看板にしがみついて、ここが中心だと叫ぶことの何と滑稽なことか。
昨年の選挙の勝者は間違いなく立憲民主党であり、民進党ではない。

結果、生まれるのは連合の支援だけを集めた『連合党』。
連合に拘ったから内紛続きでゴタゴタになったのに、本当に懲りない。
連合から精神的に独立したからこそ、立憲民主党は無党派層に食い込めたわけで、
ここでゴリゴリの連合党を作ったところで、
無党派層の支持を得られると本当に思っているのでしょうか?
どう考えても無残に座礁するのが目に見えてるのに…
その時に立憲民主党に頭を下げて、入れてもらえるのかどうか。
もうそこまで考えておいた方が良いと思いますよ?


◆プロ野球ネタ イチロー選手が事実上の引退?
まぁ、そういうことなんでしょうが…
試合に出ずに練習だけ、しかもコーチとしてベンチに入ることもない…
正直、この処遇に耐えられる選手は、余程の精神力の持ち主じゃないと無理です。

例えるなら、一昔前のリストラ時に行われた「窓際族」みたいな感じ?
いつも通りに会社に出社しても、仕事はなく、
日がな窓から外を眺める日々…
イチロー選手の給料が選手としてのものなのか、コーチとしてのものなのか、
球団職員としてのものなのか、どうなるかは分かりませんが、
「給料泥棒!」と叫ばれかねないプレッシャーと戦うのは容易ではなく、
自主退職に追い込む手法としてよく行われてきました。

ポジティブに言えば、現役が繋がったと言えますが、
ネガティブに言えば、飼い殺しとも言える、
怪我をしているわけでもないのにこの処遇は辛いものがあります。

ただ、そこは並の選手ではないイチロー選手のことですから、
「試合のための練習」「準備としての練習」を
我々が思いつかないような「新たな練習方法」として昇華し、
モチベーションを損なわずに来期以降へと繋いでくれると思いたいです。

来年の日本での開幕戦が引退興行とならないように、
イチロー選手には選手であり続けて欲しいですね。

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