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政治色が強すぎる五輪

開幕したら少しは盛り上がるかと思いましたが…
大会直前の北朝鮮の参加表明から始まり、政治色の強さが色濃く出ている気がします。
北朝鮮参加に関する見解は概ね同意で、北朝鮮は時間稼ぎと米韓軍事行動へ楔を打ち、
韓国とオリンピック委員会は一時の安寧を望んだ結果、でしょう。
双方共にこれで本当に平和になるなんて思ってもいませんし、
ある種の打算の産物という極めて政治的な結果だったように思えます。

大会が始まって感じるのは各競技の開始時間…
フィギュアスケートはアメリカの放送局に合わせて午前早くから、
逆にスキー競技はヨーロッパの放送局に合わせて深夜近くまでとバラバラ。
時差がほとんどない韓国ということもあって、競技時間のバラツキを強く感じます。
こちらも金を出したもの勝ちというIOCの政治色を感じずにはいられません。
全てが打算の産物のように見えて、どうも違和感ばかりが…
東京五輪も同じような形になったとしたら… ちょっと困りますねぇ(苦笑)

そんな中でも、日本人のメダルラッシュが始まると、多少持ち直した感もあったり。
特に14日のスノボ・複合の銀メダルは、あと一歩というところまで行きながらも、
最後の最後で王者の意地や力強さを見せつけられての敗退となり、
悔しい思いにも駆られましたが、内容は素晴らしかっただけに満足感一杯でした。
この後も競技中心に盛り上がっていくことを期待したいです。


◆政治ネタ 安倍総理の朝日新聞批判
総理はまるで森友・加計学園問題全体が誤報であるかのように言ってますが…
具体的に指摘しているのは『安倍晋三記念小学校』の名で資金集めした時期のみで、
それが正しかろうが間違っていようが、問題の解明に全く繋がらないだけに、
そこだけしつこく繰り返して誤報を指摘するのは、どうにも筋違いに思えてなりません。

安倍総理は朝日新聞が森友学園の籠池氏への取材を元に記事を書いた点を批判しますが、
籠池氏が本当に真実を語っているかどうかは分からないものの、
籠池氏が問題の一方当事者であることは間違いないわけで、
籠池氏への取材の是非が問われてしまうのも変な話です。
それなら、もう一方の当事者である安倍夫人も取材に応じれば良い話で、
それこそ国会で直接対決させれば良かった話では? やり口が迂遠です。

最近の朝日新聞がやや揚げ足取り気味に政権批判をしている印象は否めないものの、
その中には森友・加計学園問題のように政官民の癒着を感じさせるものがあったりと、
重要な指摘があることは間違いありません。
一国の総理が、国会の場で特定新聞社の名前を出して批判するのはいかがなものか。
昨年には自身の憲法観を掲載した「読売新聞を熟読してください」と言ったり、
公に特定新聞を贔屓し、特定新聞を批判することは、言論弾圧に当たらないのでしょうか?
既にかなり際どい所を行っちゃってる感じがするのですが…
同じく『フェイクニュース』と言って特定新聞を批判するトランプ大統領ですが、
アメリカ国民の中ではそれを批判的に受け止められていることが救いでもあって、
逆に日本はそういった言論弾圧を国民が甘受してしまっている辺りは、
もう救いようがないな~と思っちゃったりします…

最近では朝日新聞だけでなく、毎日新聞や東京新聞まで一方的な非難に晒されることも…
自分の認識では朝日はともかく毎日はまだマシな感じなんですけどね…
読売は安倍政権ご用達新聞という感じで、自己批判できる辺りに余裕を感じられますが、
元文科省の前川氏の偏向報道があったりと、やっぱりご用達新聞だなという感じですし、
産経は完全に安倍政権ヨイショというか、尻尾振ってる犬のような露骨なヨイショ記事…
今はネットでも自分の好きなニュースしか見ないこともあって、
より人目を引き付ける偏向報道の方が好まれる傾向が強く、
そこが両者の溝をガンガンに深めている印象もあります。
…で、そういう人達は自分のことを偏っていないと思ってる節がある…
自分の興味あるニュース、自分にとって耳触りの良い言葉のニュースこそ「イイネ」で、
自分の興味のないニュース、自分にとって耳が痛いニュースが批判の対象になる。
そんな傾向を一番強く表しているのが、実は自民党の若手議員だったりして、
この国はもうダメだよなと思っちゃう所以だったりします… 偏ってることに気づけ。


◆ニュースネタ 憲法改正の争点
憲法改正に関して、幾つか判断材料はあると思うのですが、
一番大事なのは「それを憲法に書く必要性があるのか否か?」です。
憲法は国家と国民の約束事であり、第一義的に拘束する対象は「国民」ではなく「国家」。
ですから、基本的には「国民」から見て、
「国家」に容易に改変されては困るものを憲法で定めておく、と考えるべきでしょう。
逆に言えば、「国家」から見て、「国民」に改変されて困るものがあったとしても、
具体的な法律を定めるのは「国家」の方なので、憲法で定める意味がないわけです。
「国家」は憲法の精神に則って、「法律」で「国民」を拘束することができるわけですから。

そういう視点から言えば、野党が批判しているように、
憲法9条に自衛隊を明記することは意味がありません。
国民が自衛隊の廃止を望んでいるわけではなく、具体的に自衛隊法が廃止される恐れもない。
今の共産党でも自衛隊の即時廃止は主張していないわけですから、
具体的に明記する意義が見出せません。
やはり、そこには別の意図、9条を改正したという具体的事実をもって、
さらなる改正を促すのが狙いではないかと邪推してしまうわけです。

他にも参議院議員は各都道府県1名以上と明記するのも意味がありません。
有権者にとっての投票価値の平等の面で問題があるものの、
選挙制度の影響を直接受けるのは議員であって、「国家」側の問題です。
「国民」の視点から見て「国家」を制約する必要性があるのか否か、
例えば環境権や地方自治の明記といった具体的な必要性が高いものを
優先的に改正すべきでしょう。最初から利権の確保に走り過ぎ。

今の自民党の憲法改正論議はそこが致命的に足りてない。
「国民」の視点から考えてないから、説得力をもって伝わってこないんですよ。
単に自分達に都合の良いように変えようとしているに過ぎません。


◆ニュースネタ 古賀茂明氏のアベノミクス批判
アベノミクスの問題点をコンパクトに批判していると思います。
そもそも『アベノミクス』とか言って、固有名詞を付けだした頃から眉唾モノでした。
単なる『通貨安戦争(しかもアメリカの残りカス)』に大層な名前を付けている辺りが、
詐欺商売の始まりと言いますか、ネームバリューに囚われがちな日本人の悪癖という感じですよねぇ…
本質を見ることができない、名前で騙されちゃう。
今の日本は『無宗教』という感じですが、かといってフランスのように『合理的』というわけでもない、
何か特定の『神話』にすがりたがってしまう。
『アベノミクス』にもそういう『神話』しか感じられなかったんですよねぇ…

結論から言えば、アベノミクスで労働者の生活は豊かになりません。
賃金の上昇よりも、差し引かれる社会保障等の税金の方が多いので、手取りは現状維持もしくはマイナス。
それに対して物価が上がっていくので、生活は苦しくなる一方です。
結局、内需は拡大するどころか縮小する一方で、輸出頼みの経済に拍車がかかり、
どんどん国内需要は先細っていっちゃうわけです。
安倍政権になってからは世界経済が回復基調だったから良かったものの、
一度でも世界経済の好循環が止まれば、
その反動を最も受けるのが日本という構造に変化しつつあり、
「円は比較的安全だ」というのも、既に『神話』のように思えます。

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