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国公立大から人文社会学系学部がなくなる?

文科省はどこに行こうとしているのでしょうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150616-00000076-mai-soci
記事の本筋ではないので、詳細は分からないのですが…
再編の目的が何なのかよく分かりません。
理系や法・経済といった実学以外は役に立たないということなんでしょうか?
民主党の事業仕分けよりも酷くないですか? もう1番以外は切り捨てという印象…

確かに、大学の人文学系はその位置づけが曖昧で、所謂「ゆるい」印象がありますが、
だからといって、それぞれの学問が役に立たないかと言えばそうではなく、
本格的に勉強しようという人にとっては大事な分野であり、
社会研究には必要で、それが結果として現実社会の解釈・問題点を浮き彫りにすることができる、
そういう意味では必要とされなければならない学問です。
人文学系に批判が来る背景には、やはり「就職」の問題が絡んでいる点は否めなく、
大学が「学問研究の場」としてよりも、「就職までのモラトリアム」と考えている節があります。

そんなに実学重視にするならば、大学に行く必要性など全くないわけで、
高校卒業での就職を進めた方が断然マシでしょう。
問題があるのは大卒重視な企業風土の問題であって、学問を弾圧するのは筋違いのように思えます。


今回の「君が代」問題を含めて、どうも最近の文科省は無神経のように思えます。
ロボットチックな感情のない人間の育成、そんな文科省のような人間が目標なんでしょうかね。
プロ野球界に「野球くじ」を求めるなんて、どういう神経をしているのか?
1970年代に「黒い霧事件」が起こり、とりわけパリーグ・西鉄のイメージ凋落は甚だしく、
実質的な人気回復まで30年以上の歳月を擁したというのに…
つい最近でも、相撲界で闇賭博の対象とされたりと、神経を尖らせるような事件もあったのに…
サッカーに比べて偶然性に左右されにくい点が多いので、
賭博対象として危険な面が多く、八百長の疑いが常にかけられる危険性があります。

君が代や国旗掲揚の問題にしても、学問の自由=大学の自治に由来することが多く、
戦後まもなくを除けば、大学闘争時代でも比較的自治が認められていたのにも関わらず、
その自由を侵しかねない要請を平気で行う神経ってのは…
まさに「歴史を知らない」としか言いようがなく、
彼らが排除を求める人文学社会学系をもっと勉強しては?、と思っちゃいますねぇ(苦笑)


◆政治ネタ 二転三転する「晋・安保法制」の説明
「審議中の安保法制は憲法に違反しない」ことを説明するために、
憲法学者の意見を聞いたら、そりゃ判断基準が「憲法」なわけだから当然違憲を主張、
それを野党に突っ込まれたら、「合憲とする憲法学者もいる」と主張し、
その人数を挙げろと突っ込まれたら、3人しか挙げられず「数ではない」と主張。
でも、やっぱり憲法学者の多数派は「違憲」なので、
今度は砂川事件判決を持ち出し、学者の意見は関係ない司法はこう判断してると主張。
…何から突っ込んだら良いのか分からない次元に突入してます(苦笑)

まぁ、普通の憲法学者ならば、違憲だと判断するのは当たり前のことです。
なぜならば、憲法を研究しているのだから、憲法が基準なわけで、
そこから法律を判断すれば、違憲と判断するのは当然のことです。
「自衛」を「正当防衛」と同種に考えるならば、それは条件反射的なものであり、
「交戦権」は「権利」なのだから、そこに思考の余地が生まれる、
それはもう条件反射じゃないよね、自衛じゃないよね、ってコトなわけで、
色々条件つけたりして考えてる時点で、憲法が否定する交戦権に引っかかるワケです。

確かに、それらはあくまで「学説」で、拘束力は持ちませんから、
司法の判断として「判例」を挙げるのは、分からなくもありません。
…分かりきった結論だったのに、憲法学者に聞いちゃうアホもアホですが(苦笑)
でも、そこで「砂川事件判決」を出してしまうのは、もっとアホっぽい(苦笑)


ごく簡単に判決をまとめると、在日米軍基地の合憲性が問われた事件でしたが、
最高裁は憲法9条の「戦力」は「自国の戦力」を指すので、米軍は関係ないよと言い、
こういった「高度な政治性を有する案件は司法審査になじまない」とする
所謂「統治行為論」をぶち挙げて、事実上の違憲審査の丸投げをしちゃった判決です。
結局、この判決のせいで、最高裁の違憲審査能力は民事部門にほぼ限定されてしまい、
法律の世界では忌むべき判決と言えるものです。

さらに、罰の悪いことに、近年明らかになった事実として、
砂川事件判決がなされる前に、在日米軍と接触・報告がなされていたことが報道され、
司法の独立性を害した事件として、さらに悪名を負うこととなりました。
一審では「違憲」と判断していただけに、事実上の司法介入があり、
政府と米軍の圧力によって捻じ曲げられた判決だと言えましょう。


そんな判決を今更、取り出さざるを得ないというのは、
逆にそれだけ合憲性の論拠が薄いことを示すものに他なりません。
砂川事件判決を取り出すことは、「学説」も関係ない、「司法判断」も関係ない、
つまり、誰も口を出すな、政治家が判断すれば良い、そう考えているということです。
「砂川事件判決がある」=「政治に口を出すな」、そういう意味です。
最終的に、審議時間だけを形式上確保し、強行採決するのが目に見えてますね…
死ねよ、コラ。

それと…集団的自衛権を行使するかどうかはその国の自由ですから。
国際法上、認められているから行使しなければならない義務があるわけではないし、
集団安全保障体制が正しく機能する保証もないし、
却って緊張が高まって安全が確保されない可能性もあるわけで、
「集団的自衛権」=「安全」「当然だ」みたいな馬鹿の一つ覚えの繰り返しでは、
全くもって議論が進まない。アホじゃねーの?
終いには、軍事情報だから具体例は出せない、
ホルムズ海峡の機雷除去は例外的、それでどう国民は判断すりゃいいの?
結局、与党政治家に任せておけ、国民は黙ってろ、そう言ってるとしか思えません。

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