« 2015年05月 | メイン | 2015年08月 »

2015年06月21日

面の皮はきっとオリハルコン製。

お久しぶりでございます。
なんとなく生きてたらもうすぐ誕生日とか、そんなのないないありえないorz
全部ガルパンが好きすぎるのが悪いんです。ラジオが楽しみすぎて生きてるのが辛い。
見てみたら3ヶ月ぶりなんすね…ホントすんません。

タイトル?特に意味は無いですよ。ええ。
とりあえず近況。

■自転車。
運動不足解消のために久々に乗り回そうと思い、老朽化してたハンドルグリップ、ブレーキ、ライト、ベルを一気に交換したのが4月初旬。
以来、忙しくて一度しか乗ってないorz
タイヤを25cに下げようかと思ったり、サドルも交換しようかと考えたりもしたけど、思いとどまっておいて正解だった模様。
大体5月6月忙しすぎんねん…毎週のように本土と離島を往復してる。

■やきう。
センバツは準決勝〜決勝だけ見れませんでした。これはもう今さらな上に、もうすぐ夏の大会ですし、そちらを楽しみにしたい。

プロは…情報だけ追ってますが、今年の交流戦は色んな意味で酷かったですねー。
こういう交流戦ならむしろ8月〜9月上旬にやれば良いのにとか思っちゃう。
優勝争いがかかってるのに直接相手を叩けないジレンマ…
楽しそうじゃない?なんか凄いピリピリした交流戦になりそうで。

あと個人的に秋山・野上・十亀の三選手が今年頑張ってるのが嬉しいです。
去年苦しんだだけに、期するものも大きいはず。

どうでもいいけど、4月までのロースコアゲームの嵐は何だったんだろうね?

■KindlePaperWhite
先月買いました。今月末に新しいの出るとか、そんなんいちいち考慮しとられんよ。
FireHDと違って、ArchLinuxでもプラグアンドプレイで認識されるのが○。
一応FireHDもPC接続出来ますが、MTPなどという腐った方式なので接続にすごく時間がかかる上に、すぐ切断されるわで実用に耐えないのが難点。

で、PaperWhite。
本当に2週間くらい充電しなくても良いのには驚きました。
そもそも漫画に限らず、本はカラーじゃなくてもいいので、商用自炊限らず、ヘビーローテのものをこちらに突っ込んで読むことにしました。
Amazonの自炊ソフトがwineで使えたのも大きい。
結果、FireHDはどうしてもカラーじゃないとダメな本を読む用と、野球ゲームをする為の機械へ…

スマホも変えましたが、まぁこの話はそんなに。
パネル型インターフェイスにハァハァしてます(ぉ
多分これだけでどの機種か分かる。

以上、近況。
以下、毒。

いまさら某都構想の話でも無いですが、生活に関わる重要な法案を民意に委ねる流れはいいですね。
自衛権うんたらもそういう方向に持って行こうとか誰も考えないのか…
そもそもクソみたいな投票率で当選しておいてイコール民意だなどと、一体どの面下げて思うのか。

先日、某要職の御方が某離島へ来られた模様ですが、思いっきり船の便を捻じ曲げられて大層いい迷惑を被った次第でございます。
その数週間前には、隣県出身の某I破氏も、これまたご大層に取り巻きを20人近く引き連れて来島しており、政治屋連中は本当に何がしたいのかと…小一時間と言わず、一日かけて問い詰めたい。
某K氏の時も書いたけど、そういうのはオマエラの仕事じゃないんだよ。

あと、文科省のブレっぷりは、昨今の教育機関や教職員の堕落した姿を見ると今更に感じます。
取り戻そうとすると数世代を要するけども、取り戻す気もないらしい。そもそも方向性がおかしいことにすら気づいていない。
そういった教育受けた連中が今後も次々に官僚として登用されるから、気付くはずもない。
まぁだからこそ、投票権の引き下げなんて愚策を嬉々として提出して受け入れられるのでしょうけど。

2015年06月19日

国公立大から人文社会学系学部がなくなる?

文科省はどこに行こうとしているのでしょうか?
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150616-00000076-mai-soci
記事の本筋ではないので、詳細は分からないのですが…
再編の目的が何なのかよく分かりません。
理系や法・経済といった実学以外は役に立たないということなんでしょうか?
民主党の事業仕分けよりも酷くないですか? もう1番以外は切り捨てという印象…

確かに、大学の人文学系はその位置づけが曖昧で、所謂「ゆるい」印象がありますが、
だからといって、それぞれの学問が役に立たないかと言えばそうではなく、
本格的に勉強しようという人にとっては大事な分野であり、
社会研究には必要で、それが結果として現実社会の解釈・問題点を浮き彫りにすることができる、
そういう意味では必要とされなければならない学問です。
人文学系に批判が来る背景には、やはり「就職」の問題が絡んでいる点は否めなく、
大学が「学問研究の場」としてよりも、「就職までのモラトリアム」と考えている節があります。

そんなに実学重視にするならば、大学に行く必要性など全くないわけで、
高校卒業での就職を進めた方が断然マシでしょう。
問題があるのは大卒重視な企業風土の問題であって、学問を弾圧するのは筋違いのように思えます。


今回の「君が代」問題を含めて、どうも最近の文科省は無神経のように思えます。
ロボットチックな感情のない人間の育成、そんな文科省のような人間が目標なんでしょうかね。
プロ野球界に「野球くじ」を求めるなんて、どういう神経をしているのか?
1970年代に「黒い霧事件」が起こり、とりわけパリーグ・西鉄のイメージ凋落は甚だしく、
実質的な人気回復まで30年以上の歳月を擁したというのに…
つい最近でも、相撲界で闇賭博の対象とされたりと、神経を尖らせるような事件もあったのに…
サッカーに比べて偶然性に左右されにくい点が多いので、
賭博対象として危険な面が多く、八百長の疑いが常にかけられる危険性があります。

君が代や国旗掲揚の問題にしても、学問の自由=大学の自治に由来することが多く、
戦後まもなくを除けば、大学闘争時代でも比較的自治が認められていたのにも関わらず、
その自由を侵しかねない要請を平気で行う神経ってのは…
まさに「歴史を知らない」としか言いようがなく、
彼らが排除を求める人文学社会学系をもっと勉強しては?、と思っちゃいますねぇ(苦笑)


◆政治ネタ 二転三転する「晋・安保法制」の説明
「審議中の安保法制は憲法に違反しない」ことを説明するために、
憲法学者の意見を聞いたら、そりゃ判断基準が「憲法」なわけだから当然違憲を主張、
それを野党に突っ込まれたら、「合憲とする憲法学者もいる」と主張し、
その人数を挙げろと突っ込まれたら、3人しか挙げられず「数ではない」と主張。
でも、やっぱり憲法学者の多数派は「違憲」なので、
今度は砂川事件判決を持ち出し、学者の意見は関係ない司法はこう判断してると主張。
…何から突っ込んだら良いのか分からない次元に突入してます(苦笑)

まぁ、普通の憲法学者ならば、違憲だと判断するのは当たり前のことです。
なぜならば、憲法を研究しているのだから、憲法が基準なわけで、
そこから法律を判断すれば、違憲と判断するのは当然のことです。
「自衛」を「正当防衛」と同種に考えるならば、それは条件反射的なものであり、
「交戦権」は「権利」なのだから、そこに思考の余地が生まれる、
それはもう条件反射じゃないよね、自衛じゃないよね、ってコトなわけで、
色々条件つけたりして考えてる時点で、憲法が否定する交戦権に引っかかるワケです。

確かに、それらはあくまで「学説」で、拘束力は持ちませんから、
司法の判断として「判例」を挙げるのは、分からなくもありません。
…分かりきった結論だったのに、憲法学者に聞いちゃうアホもアホですが(苦笑)
でも、そこで「砂川事件判決」を出してしまうのは、もっとアホっぽい(苦笑)


ごく簡単に判決をまとめると、在日米軍基地の合憲性が問われた事件でしたが、
最高裁は憲法9条の「戦力」は「自国の戦力」を指すので、米軍は関係ないよと言い、
こういった「高度な政治性を有する案件は司法審査になじまない」とする
所謂「統治行為論」をぶち挙げて、事実上の違憲審査の丸投げをしちゃった判決です。
結局、この判決のせいで、最高裁の違憲審査能力は民事部門にほぼ限定されてしまい、
法律の世界では忌むべき判決と言えるものです。

さらに、罰の悪いことに、近年明らかになった事実として、
砂川事件判決がなされる前に、在日米軍と接触・報告がなされていたことが報道され、
司法の独立性を害した事件として、さらに悪名を負うこととなりました。
一審では「違憲」と判断していただけに、事実上の司法介入があり、
政府と米軍の圧力によって捻じ曲げられた判決だと言えましょう。


そんな判決を今更、取り出さざるを得ないというのは、
逆にそれだけ合憲性の論拠が薄いことを示すものに他なりません。
砂川事件判決を取り出すことは、「学説」も関係ない、「司法判断」も関係ない、
つまり、誰も口を出すな、政治家が判断すれば良い、そう考えているということです。
「砂川事件判決がある」=「政治に口を出すな」、そういう意味です。
最終的に、審議時間だけを形式上確保し、強行採決するのが目に見えてますね…
死ねよ、コラ。

それと…集団的自衛権を行使するかどうかはその国の自由ですから。
国際法上、認められているから行使しなければならない義務があるわけではないし、
集団安全保障体制が正しく機能する保証もないし、
却って緊張が高まって安全が確保されない可能性もあるわけで、
「集団的自衛権」=「安全」「当然だ」みたいな馬鹿の一つ覚えの繰り返しでは、
全くもって議論が進まない。アホじゃねーの?
終いには、軍事情報だから具体例は出せない、
ホルムズ海峡の機雷除去は例外的、それでどう国民は判断すりゃいいの?
結局、与党政治家に任せておけ、国民は黙ってろ、そう言ってるとしか思えません。

2015年06月02日

批判なくして政治なし

最近は安倍政権によるメディア弾圧の方便として、
公職選挙法改正による選挙権年齢の引き下げにおける教育の方便として、
「政治への中立性」が叫ばれていますが、そもそも「政治」とは何でしょうか?

答えを一言で言うと、
「政治」とは「自分の問題を社会共通の問題として考えて解決すること」です。
一人の問題を全体として考えること、それが政治の発見なわけです。
つまり、政治の始まりは「現状に対する不満」なわけで、
現状を肯定できるのであれば、政治は不要なんです。
最も身近な政治的団体、生徒会や町内会を見れば分かるでしょう。
別に問題が起こらなければ必要ないけれども、問題が起こるから必要な組織です。
ですから、「政治」を語る上で、「批判」は避けては通らぬものなわけで、
批判のない政治はもはや政治ではありません。

そう考えていくと、「政治への中立性」はいかにも矛盾します。
政治は批判から始まるのに、中立では何も始まらず、事実を淡々と述べるだけ。
政治批判を許さないようでは、そもそも政治が始まっていない段階なわけで、
それで国民の政治参加が拡大するわけがありません。
「YESマン」が欲しいなら、それは人間である必要はない。
ロボットにでも選挙権を与えた方が、
よっぽど合理的判断をしてくれるのではないでしょうか(苦笑)


◆ニュースネタ 公職選挙法改正による選挙権年齢の引き下げ
20歳以上から18歳以上に選挙権年齢を引き下げる法案が審議されていますが、
私は前提となる条件が全くクリアされておらず、時期尚早と見ています。
1つは公務員の政治活動禁止の問題、2つ目が選挙システム(投票所)の問題です。

1つ目は公務員の政治活動が絶対的に禁止されている状況では、
「選挙教育」など夢のまた夢、全くもって無理な話です。
選挙管理委員会の選挙カーのように、
「あなたの大切な一票です。投票に行きましょう」では投票に行きませんよ。
なぜ投票に行かなければならないのか、
根本的なことを教えずして若者の選挙離れを防ぐことはできません。
上でも書いたように、政治は批判から始まるのに、
それを教える教師(公務員)が政治批判をできない、
すれば逮捕されかねない世の中ですから、選挙教育などできるわけがありません。

2つ目は選挙システム自体の問題です。
現状の選挙システムで何が一番問題なのかといえば、「投票所」の問題でしょう。
おそらく投票に行かない人の最大の理由はこれだと思います。
近年の「ネット選挙解禁」が「ネットによる電子投票解禁」でないと知った若者の落胆は、
記憶に新しいところでしょう。
例えば、大学生で考えてみると分かりやすいのですが、
実家から離れて下宿しているような場合、住民票を移していなければ、
選挙は実家の選挙区ということになり、投票所に行くのが億劫になってしまいます。
高校生に引き下げれば、少しは緩和されるでしょうが、それでも距離の問題は残りますし、
「友達と選挙に行く」ことも同じ選挙区でなければ事実上不可能なわけで、
それでは若者の選挙参加を促進することはできません。

結局、今の選挙制度は自治体が機能していることが前提となっているわけで、
地域社会に参加していない若者には適合していない制度であることは明らかです。
「ネット投票」はセキュリティ面の問題で難しいとしても、
「電子投票制度」を充実させ、投票所に束縛されず、
どこからでも投票できるシステムに改めなければ、全く持って意味がありません。
それに加えて、「満○○歳」というのも現状に即応しているとは言えず、
その合理的必要性も全くないわけで、「誕生日を迎えた高校3年生」ではなく、
「高校3年生」全体、その年度に18歳になる人全員に与えないと意味がありません。
投票できる人・できない人がいて、どう教育するのか、どう投票率向上に繋がるのか。
最初に選挙に行けなかった人・行かなかった人は、一生選挙に行きませんよ。
20歳なら社会人になるなど、「友達社会」から家族を通じた「地域社会」への回帰が進みますが、
18歳では依然として「友達社会」、選挙システムが適合していないわけです。

根本的な投票率改善策を打ち立てずに、選挙権年齢だけを引き下げてしまえば、
さらなる政治的無関心、投票率の悪化を呼ぶことになるでしょう。
最初だからこそ、万全な対策を講じてから、選挙権年齢を検討してもらいたいです。