「憲法」とは何か
安倍政権になってから、改憲や自主憲法制定の議論が度々出てきていますが、
そんな話の中で出てくる「憲法押し付け論」、私は極めてアホな議論だと思います。
そもそも、「憲法」とは何かと言えば、
それは「国民が統治機構に信託するための約束」とも言うべきものです。
つまり、普通の法律は国民を拘束するわけですが、
憲法の場合は国民を直接的に拘束するのではなく、拘束対象は公権力なわけです。
分かりやすく言えば、政府とは国民の代理人であり、
政府に信託する内容を定めているものが「憲法」なわけです。
政府は憲法の範囲を超えて仕事をすることは国民との契約違反であるので行えず、
国民の側からすれば、憲法の範囲内で政府が仕事をしてくれるという期待があるわけです。
憲法の制定者は「国民」であって、「政府」ではなく、
憲法が拘束するのは「政府」であって、「国民」ではありません。
そういった当たり前の事実から考えるに、
今の政府・自民党のいわゆる「自主憲法制定」とは、まるで「自主」ではありません。
憲法を押し付ける相手が、
かつてのGHQ=アメリカから政府・自民党に変わるだけ、です。
真の「自主憲法制定」とは国民が憲法草案を作るべきであって、
それを政府、国会議員が率先して行うのは、そもそも矛盾している話です。
自分達を拘束するルールを自分達で定めようというのですから、
そりゃ自分達の有利になるルールを作ることは目に見えているでしょうに。
真に「自主憲法制定」を行うのなら、政府・政治家を排斥し、
有識者と国民による憲法制定会議に完全に委ねられるべきです。
今の政府・自民党の「改憲」「自主憲法」とは、
国民を完全に無視した「改憲の押し付け」なわけで、それは到底認めることなどできません。
逆に国民の側から改憲の要請が出てこなかったのは、
GHQが作った憲法草案が極めて民主的だったために他なりません。
イギリス・フランス・アメリカ・ドイツワイマール等々、
自由権から社会権に至るまでの近代民主主義要素が広く取り込まれたことで、
明治憲法のような国民が大きな不満を持つものから、
尊敬の念さえ抱ける民主的な憲法ができあがったためです。
確かに、日本国憲法制定の過程はお粗末だったと言わざるを得ませんが、
逆に長きに渡り国民がそれに異議を申さなかったことは、
国民が日本国憲法を追認している証拠でもあるわけです。
憲法改正を投げかけるのは、政府ではなく国民であるべきで、
また憲法草案を作るのも政府ではなく、国民であるべきです。
政府・自民党による改憲・自主憲法制定の「押し付け」は問題外と言うべきでしょう。