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表現されない自由

昨年末にアメリカで話題となった『ザ・インタビュー』を巡る問題、
何者かによるサイバーテロを受けて上映する・しないで一悶着ありました。
そして、新年早々のフランスでの銃撃テロを巡る問題、
被害を受けた新聞社は風刺画で有名なようで、
過去にもムハンマドの風刺画で一悶着あったとのことです。
これらの事件を受けて叫ばれたのが「表現の自由」、
確かに表現の自由を守ることは大切ですが、
一方で見過ごされてきた問題も露呈されてきているように思えます。

私達には別に「表現される義務」はありませんから、
「表現の自由」が保障される一方で、「表現されない自由」もあるはずです。
それらは、例えば「プライバシーの権利」として認識され、
「侮辱罪」や「名誉毀損罪」によって担保されています。
しかし、「プライバシー」というのは、あくまで特定個人が対象となるわけで、
個人が名指しされて批判されれば名誉毀損(報道目的の公人批判除く)となりますが、
それが個人を特定されない団体、ましてや国家、民族と抽象性を帯びるほどに、
プライバシーは保護されなくなり、同時に「表現されない自由」もなくなってしまいます。

例えば、昨年の『ザ・インタビュー』のケースですが、
一国家元首の暗殺をコメディタッチで描く映画で、
北朝鮮は実際に国連人権委員会に提訴もしましたが差し止めの効果はなく、
個人が特定されるような名誉毀損に当たりそうな場合でも、
国家という枠組みを超えてしまえば、十分に保護されないことが明らかになりました。
中国で相変わらず作られる旧日本軍の残虐悪辣さを描いた映画が、
純朴な田舎の中国人達に偏見の目を抱かせていないのか、甚だ疑問の残るところです。
「表現の自由だから何を描いても良い」「過去・現在の歴史を脚色して何が悪い」、
確かにそうかもしれませんが、一方でそれらが偏見の助長となっている面は否定できません。

今回の新聞社を狙った銃撃テロに関して言えば、風刺内容云々以前の話で、
ムハンマドを描くという行為そのものが「表現されない自由」に違反します。
イスラム教は偶像崇拝の禁止を徹底しており、
途中で頓挫したキリスト教や仏教とは大いに事情が異なっています。
ムハンマドを描くこと自体が不敬な行為なのに、
ましてや、その内容が中傷的なものであったならば、イスラム教徒はどう感じるか、
そんなことは火を見るよりも明らかです。

でも、これらの問題をプライバシーの権利や名誉毀損として訴えることは、
訴訟手続き的にも難しいですし、
仮に訴えることができたとしても、現在の法理では十分に保護されているとは言えません。
特定個人の枠組みを超えてしまった「表現されない自由」は野放し状態となっています。
そんな人々の怒りや悲しみが、ある種の対立を呼び込んでいるのかもしれません。


別の観点からフランス銃撃事件を考えると、
フランスの移民に対する抑圧的政策が影響している面は否めません。
ここ10年のフランスの移民に対する政策、とりわけ多いアルジェリア系住民、
イスラム教徒に対する抑圧的政策はやや常軌を逸している感があります。
あまりにも宗教的寛容さを欠いており、
自由の国フランスが呆れるフランス革命後の無宗教っぷりを露呈していました。
そんな抑圧・強権的政策がアルジェリア系イスラム教徒をテロへと掻き立て、
イスラム原理主義に救いを求めた若者が暴徒化した、そんな現象にも見えます。
…とはいえ、いかなる理由があろうとも、
一般市民を巻き込むような暴力的テロリズムは許容などできませんがね。

「自由」の名の下に、人々を傷つけ合った結果がコレかと思うと… 悲しくなりますわな…
それを見ながら再び「自由」を叫ぶ、
それはちょっと気持ち悪い光景だと言わざるを得んですよ…


◆ニュースネタ 追記 フランス銃撃事件における「自首」報道の真相
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150111-00000010-jij_afp-int
朝方だったか、「犯人が自首した(?)」との報道が流れ、不思議に思っていたのですが…
こういうことだったようです… 要するに、容疑者でも何でもなかったワケですね。

情報の正確性が問われることなく、ただ速さばかりで情報が垂れ流されていく、
ソーシャルメディアの危険性を改めて感じる出来事でした。
これも「表現の自由」を巡る新たな問題の一つだと言えるでしょう。
今までは情報を出す人が特定されるのが基本でしたが、
ソーシャルメディアでは不特定多数の人が情報を出せるわけで、
表現の自由が意図していた「表現をする特定人と表現をされる特定人」との関係性から、
「表現をする不特定人と表現をされる不特定人」と構図が多様化してきています。

こういった訂正報道が出た場合でも、扱いは極めて小さく、
犯人情報に比べれば圧倒的な扱いの小ささです。
「表現の自由」を巡る問題は新たな局面を迎えている、そう思わざるを得ませんね。
誤報の被害にあった少年の今後に傷がつかないことを祈るばかりです。


◆ニュースネタ ナイジェリアで「人間爆弾」の恐怖
『無敵超人ザンボット3』を思い出しました…
同じ人類同士でこのような極悪な所業をするとは…
世界で抗議デモするのならば、ボコハラムに対してじゃねーのとか思ったり…
誘拐して少年兵にするケースは過去に何度もありましたが、
ここまで露骨な「人間爆弾」は聞いたことないですね…
いや、勿論あったのかもしれませんがね…日本の特攻隊だって同種の趣旨なわけですし。
同じ人間同士なのに、ここまで残酷になれるものかと思うと、本当に怖くなります。


◆スポーツネタ 高校サッカーは星稜高校が初優勝
昨年、決勝で涙を呑んだ星稜高校が雪辱を晴らす優勝。
大会中に監督が事故に遭うなど、アクシデントを跳ね返しての優勝は価値があります。
星稜高校の皆様、おめでとうございます。

決勝戦は前半こそ、前橋育英の固さもあって一方的な星稜ペースでしたが、
前半途中からゴールキーパーからのキックでDFの裏をかく攻撃が決まり始め、
後半序盤は逆に前橋育英のペースで、相手のDFの裏を突くシュートで逆転、
しかし、星稜も得意のサイド攻撃で突破口を開き、
前橋育英に勝る個人技を生かしながらボールを支配して同点、
延長戦にもつれこむも、最後は星稜高校が突き放しての勝利と、
なかなかに見所が多い試合でした。
シュートもレベルが高く、決勝らしい好ゲームだったと思いますね~

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