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お久しぶり

随分とお久しぶりになってしまいました。
なかなか忙しいと時間が取れず…
書こうと思っていたことも、時間と共に過ぎ去っていく…


◆ニュースネタ 昨年末から「舌好調」な安倍総理…
口が滑りまくっているというか、もはや手に負えないというか、大丈夫か?
ダボス会議では靖国参拝問題に対して「誤解がある」といい、
記者懇談会では中国との関係を「第一次大戦前のイギリスとドイツ」に例えたり…
祖父・父と比べても、信じられないほどの外交音痴というか、鈍感な人ですよねぇ…

「第一次大戦前のイギリスとドイツ」に関して言えば、先のヨーロッパの新聞報道で、
中国を当時の新興国であったドイツに、日本を衰えた覇権主義のフランスに例えられ、
両国の関係を紹介していたことを逆手に取ったのでしょうが、それは逆手になりません。
例えば、日本人が「第二次大戦前の日本とアメリカの関係のようだ」と言われたら、
満州事変以前の良好な関係を思い浮かべる人がどれだけいるでしょうか?
多くの人は太平洋戦争での衝突、空襲・原爆投下といったものを思い浮かべるでしょう。
第一次大戦で甚大な被害を受けたヨーロッパ諸国からすれば、
過程よりも結果が気になる表現であるのは間違いなく、
いずれ「日本と中国は衝突するのか?」と思うのも、無理からぬことです。
そういうところが、外交音痴というか、日本から離れて考えられない狭さを感じます。

靖国神社参拝に関して言えば、どの国も戦没者を追悼するのは当たり前だと言っても、
靖国神社は戦前に国家神道の中心に置かれ、特攻隊などの精神的拠所とされるなど、
例えは悪いですが、イスラム原理主義の自爆テロのような危うい精神的救済を与えたもので、
追悼の場として簡単に割り切れないのも無理からぬことです。
それに加えてA級戦犯が合祀されていることや、
安倍総理は前政権時に「戦後レジーム」からの脱却を掲げ、憲法改正に前向きなことで、
戦後のサンフランシスコ体制そのものへの挑戦と思われてしまいます。
真に誤解があるのは、安倍総理の方で、どの国も戦犯者を崇めることはしていませんし、
仮に東京裁判の正当性が疑わしく、A級戦犯に罪はないと主張したとしても、
東京裁判がなかったら、国家元首であった昭和天皇が責任を取らされたのは間違いなく、
それは戦後の天皇制に対する挑戦そのものであると言えます。
まさに安倍総理にとって靖国参拝は極めて「私的」なもので、
母方の岸信介氏らが憂き目にあった東京裁判を否定したくて仕方がない、
国の利益に繋がることは何らない、極めて私情による行動だと言わざるを得ません。

やや現在の政治ネタからは外れるものの、「永遠の0」が一部批判を受けているのも、
全く分からないわけではなく、内容よりも「このタイミング」というのに問題があります。
これが民主党政権時だったら問題ないでしょうが、
先のような戦後レジームからの脱却を掲げる安倍政権下となると、
戦争の正当化と受け止められてしまうのも、やはり無理からぬことでしょう。
太平洋戦争の真の戦犯は誰であるのかは、非常に難しい問題ですが、
第一に独走・暴走を強めていった陸軍であることは間違いなく、
第二にそれを黙認どころか支持したマスメディアと一般大衆、
第三に国家元首である天皇、そういった位置づけになるかと思われます。
そう考えていくと、今の安倍政権の支持率や中国・韓国に対する国民の反感、
都知事選で田母神氏のような旧陸軍のような考えの人間の出馬を支える人間がいること、
そういった状況が戦前の戦争を許してしまった国民の雰囲気に酷似しつつあります。

また、そもそも、日本が戦争への道、大陸侵略の道を辿っていったのは、
西郷隆盛らが唱えた「征韓論」が始まりで、明治維新の変革の中で、
取り残された人達、とりわけ武士の不平不満を逸らすことが目的でしたが、
富国強兵が優先されたために、征韓論は一旦置かれたものの、
今度は自由民権運動や貧富の格差の問題を覆い隠す為に、大陸侵略の道へ進みました。
要は、強力な覇権主義を唱える背景には、必ず国内の不平不満は付きものなわけで、
それは今の中国や韓国、そして日本も全く同じ状況にあると言えます。
外交は外交と独立していることはありえず、必ず国内問題とのセットで考える必要があります。


◆ニュースネタ 従軍慰安婦問題でNHK新会長が失言
昨年の橋下大阪市長にしても、安倍総理にしても同じなのですが、
誰も彼もが従軍慰安婦問題を断片しか見ていません。
だから同じ間違いを繰り返すんですよ。
従軍慰安婦問題は戦後処理の問題だけではありません。
「女性の人権に対する蹂躙」という今日的問題です。
そこが日本の反応とアメリカ・ヨーロッパの反応とが異なる最大の理由なんですよ。

もし、彼らに「女性の人権に対する蹂躙」という意識が欠片でもあったならば、
従軍慰安婦は必要だったとか、他の国もやってるではないかと、口が裂けても言えないでしょうに。
彼らの発言は戦争被害者を刺激するだけでなく、
日本の女性をも侮辱していることに、何故気が付かないのか、
そこらの無神経さ・鈍感さが未だに日本の政治が男社会であることを痛感させられます。

確かにNHK新会長の言う通りで、戦後処理としては、従軍慰安婦問題は解決済みです。
しかし、問題の本質は、国際社会における重要な立ち位置にある日本が、
そういった女性の人権に対して無頓着であることが問題なのです。
例えとして、著作権コピーを挙げれば、経済規模の大きな国がやっていれば大問題ですが、
比較的規模の小さい太平洋の諸島国家がやっていても、それほど重要ではありません。
第一次世界大戦の戦勝国の一員となり、アジアの代表として国際連盟の常任理事国となった日本、
そして、経済発展を遂げて国際的に重要な位置を締めている今の日本、
そういった国際社会における立ち位置が重かった国が、女性の人権を蹂躙したことを認めず、
一時謝罪はするものの、散発的に問題発言を繰り返し、
未だに問題の本質を理解できていないところに、真の国際的失望があるわけですよ。

こんな発言をしてしまう日本ならば、「集団的自衛権」を容認したら、
モチベーションが上がり難い日本以外の第三国支援の場合に、
「慰安婦でも付けてみたらどうか」と真顔で言い出しかねません。
そこが問題の本質。今日的な意味で、女性の人権に対する姿勢が問われているのです。
従軍慰安婦問題は戦後処理の問題だけじゃないことを日本の国民は自覚すべきです。


◆ニュースネタ 中国脅威論は大日本帝国脅威論でしかない
ここ10年、中国脅威論をよく耳にするようになりましたが、
彼らの話す「中国」と私のイメージにある「中国」は全く一致を見ません。
彼らの話「中国」は、まるで戦前の日本、軍国主義下の大日本帝国です。
過去の日本を見て「中国は脅威だ」と叫んでいるタイムマシンな頭が最も脅威です(苦笑)

中国の国民性を一言で現すならば、「羊頭狗肉」です。
「羊の肉を売ります」という看板を表に掲げながら、実際に売るのは犬の肉、そういう諺。
この言葉は中国のしたたかさを示すとともに、ある種の現実主義者的側面を表しています。

中国は日本と異なり、1つの王朝だけで成り立った歴史ではありません。
所々怪しさは残るものの、日本は天皇家という王朝1つが連綿と続いているのに対し、
中国は数多くの王朝が興っては滅び、興っては滅びを繰り返し、
三国志のように天下統一を目指し、多くの地方国家が戦い合ってきた歴史です。
その中では権謀術数もあり、騙し合い・騙され合いで外交力を磨き、
多民族を統治するための寛容の精神の重要性、そういった基本姿勢を生んできました。
彼らにとって「交渉」とは命を賭けた勝負であり、
契約してしまえば、売ってしまえば、こっちのもの、それが中国の基本姿勢です。
資本が入ってきたと思ったら、中国系企業に全部利権を持っていかれたり、
中国製品を買ったけれど、品質が悪くてアフターサポートもない…それが中国の当たり前。

もう1つ重要なのは、中国ほど無宗教な国はないということです。
日本は明治からのたった100年で天皇を現人神と思い込む位に純朴でしたが、
中国は仏教や儒教・道教といった哲学的な教えは多いものの、
キリスト教やイスラム教のように一神に従うというような面はほとんどありません。
毛沢東の行った文化大革命はそういった面があり、
今も内陸部の農村においてはその影響が残ってはいるものの、
都市部においては、やはり文化大革命のような妄信的な教えは普及せず、失敗に終わりました。
それはある種の中国人のリアリストな側面の現れであるように思えます。
仮に、中国が軍事化を強めているとしても、
それが戦前の日本のようなファシズムに染まることがありえず、
表面上は共産党政権に従っているフリをしていても、その実はそうではなかったりするので、
軍国主義で一枚岩となり、侵略活動へと暴走していく危険性はほとんどないと言えます。
少なくとも、アメリカと正面衝突しようと考えるほど、夢想家な国民でないことは確か。

そういった中国人の国民性を考えるに、やはり中国脅威論には違和感があります。
どんなに軍事力が強まったとしても、中国が沖縄を軍事力で支配することは考えられず、
むしろ、沖縄を日本から独立させるように画策する方が、中国らしいやり口です。
そういう意味でも米軍基地の沖縄への押し付けこそが、中国脅威論の最大の敵とも言えます。
対中国のために沖縄に米軍基地が必要だ、それこそが中国の思う壺ってことですな。


(追記)
◆スポーツネタ ヤクルト・バレンティン選手のDV事件に見る日本の鈍感さ
従軍慰安婦問題における女性への人権侵害に対する鈍感さを論じましたが、
今回のヤクルト・バレンティン選手の事件においても、同様の危うさを感じますね。

まぁ、正直、日本人の感覚として、実質的に婚姻状態が破綻しているとはいえ、
自宅内に監禁(軟禁)する行為が、DVに当たるという感覚はないのですが、
その感覚の差そのものが、人権に対する意識の弱さそのものな気がします。
多少なりともバレンティン選手に対する責任追及や、
ヤクルト球団への厳しい処分の要求があってもいいのに、
そういったものは一切なく、キャンプに間に合うかを気にする辺りは…
まぁ、異常ですね。気持ち悪いですわ。

DVの何が問題かといえば、パートナーとしての夫婦の関係性も問題ですが、
もう1つ問題なのが、子どもに対する影響ですね。
家庭内暴力を目撃した子どもが、暴力に対して許容的になってしまったり、
逆に暴力に過剰に怯え、人間関係を上手く構築できなくなる恐れがあります。
現在の日本が直面している「いじめ・体罰問題」を解決するためには、
「平和な家庭」の構築を心がけねばならず、
その意味でもDVの取り締まりは、今後さらに必要になってくるはずです。

そういう観点から見ると、今回の事件は…
まぁ、欧米が従軍慰安婦問題を見る目が厳しくなるわけですよ。人権意識が弱すぎ。

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