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どらすてぃっく。

件のニュースで…うん、癌細胞だわ…どこを目指してるんだろう?

例のトレードは驚き半分という感じですが、下のリンク先が…ごめん、ちょっと笑ったorz
http://www.kuromatsunai.com/topics/2012/20121220.htm
なんかアレなのでタグは貼らず。
このスナイパーっぷりはすごいですね。選手の人生どころか小さい自治体をも嘲笑って。

大たn…じゃなくて、誰だっけ→キューバときて今度は糸井選手。
せっかくなので、もう一つ連鎖して何かして欲しいものです。

■近況。
CentOSにDAAP鯖入れてオレオワタ\(^o^)/
サーバーでまで地雷踏まなくてもいいのになー。
iTunesではプレイリストと自前アートワークが適用外でした。氏ぬがよい。
結局sambaじゃねーか…もー。
めげずに次はストリーミングを構築しようと企んでます。ターミナルでコマンド打つのが楽しくてしょうがない。

そんなこんなで、仮想OSをデータサーバー化しました。
SAIとiTunesさえ無ければ仮想などと言わずにCentOSで大規模運用するんですが、事情があってこの縛りからまだ離れられない。
まぁCPUコア数もメモリも無駄に余ってるからいいか、って程度のノリです。
windowsから見ればすべてのデータが単一ファイルなので、ウィルススキャンが速い速い。
それ以外のメリットは…検索が早いくらいかね。

昔のもの、といえば、10年前のゲームの主題歌入ったCDとか出てきて、ちょっとテンション上がりました。
こみパとか、月陽炎とか、イノセンとか、もう…なんて言っていいか分からないや。
なんつーか、みずいろは0秒目からズルイですね。
どれくらいズルイかというと、すこやんに癒された直後の→すばらですの!くらい(分かり辛い)
とにかくクセになります。

そして、先日超久しぶりに(5年ぶり?)BLESSプレイしました。やっぱり皐かわいい。
一番いいところで強制終了喰らってリアルに「なん…だと…?」ってなりましたが、そうかパッチか…
なんか悔しいので智津子さんの視線に悶えて終了。
「BLESS 攻略」でググるとウチが1番目。これだけ古ければそうなるよね。

いじょ。
ここからまた暴論入ります。問題あったら消しちゃっておkおk。

いじめとか自殺とかのワードに突っ込んだこと無かったので、大体こんな考えもってますよーってことで一つ。

シツケかどうかはともかくとして、人に言い聞かせるのに多少の痛みを以てすることは私は肯定も否定もしません。
しかし、それが短期的に過度に行われたり、あるいは程度はどうあれ長期的に続くというのは良くない。
それは、これまでの結果が表している通りです。
ここまで来たら、もう理屈じゃありません。そういうモノだと、国民にしっかり通知する義務が国にはあります。
昔がどうとかじゃない。今の子らは自分で死を選ぶんです。識者とかいう詐欺集団に意見聞いてる場合じゃない。
加減が分からないなら、全撤廃するなり神経質なくらいに完全徹底するなりしてみればいい。
どうせ何もできない&長続きしない政権ばかりなんだから、それくらい派手にやってもいいじゃないかと思います。
知恵があるフリをして、いたずらに時間を費やして犠牲を増やしてる連中は猛省すべき。
つか、今学校通ってない年寄りに分かるわけねぇじゃん。社会で一般人のように働いてない政治屋に分かるわけねぇじゃん。
別に教育に始まったことじゃなく…ね。

以下、ちょっとリクツっぽく文章連ねてみます。
トップダウンシステムの下で「教育」をするとき、当然必要なのはストッパーです。
ストッパーのないトップダウンはどこの世界へ行っても一方的に理不尽な暴力へと発展します。
しかしながら、トップからすれば、何らかの正当性と自信を自身に適用して下のものと相対しなければ、システム自体が成り立たず、正当性を信じ込ませるためには、強気な姿勢は多かれ少なかれ欠かせません。
ところが、大抵の人間には、強気な姿勢が続くと自分が正当だと思い込んでしまう、というトラップが待ち受けます。
トラップにはまると、自制心と公平性を失い、自分のコントロールが利かなくなります。
不思議なもので、心を失うと攻撃対象が一つに絞られがちです。俗にいうインネンです。受動系の文の通り、トップ自身のの意識では決定されません。場の流れがそうさせます。
被害を受ける当事者にとっては、非常に理不尽極まりないのですが、周囲からすれば良い隠れ蓑になるので、割と公然とインネンはつけられます。それも長期的に。
それがトップダウンシステム下におけるイジメの根幹であり、よく耳にする、庇えば最後、次は自分が標的になるかもしない、という心理の正体です。
それでいて、対岸の火事で済んでいるうちに、「誰か」が火を消してくれないかと考えます。
だから、最悪の事態は避けられにくい。

さて、崩壊しないためのストッパーとして考えがちなは「法」であったり「第三者」であったり、様々です。
現状、ストッパーは自前でどうにかするしかないような気がします。
第三者は役に立ちません。理由は先ほど述べた通り。
「法」はどうでしょうね…個人的にはむしろ窮屈すぎるくらいですが、校則社則レベルではどうしようもないと思います。
そういえば、学校で言えば、教育委員会ってのは「法」であり、「第三者」でもありますね。
頼もしいストッパーだと良いのですが。

コメント

しかし、まさか2人ともトレードとは…f(^_^) <リンク先
片方なら珍しくないですが、両方だと狙い撃ちしたとしか(苦笑)
そういった関係各所に気を回す余裕がないほどの駆け込みトレードだったのでしょうね。
今オフの日ハムの脱線ぷりはすさまじいですなぁ。

現在、ブルーレイディスクを中心にデータの再整理をしている関係で、
私も昔のCDやゲームを改めて目にする機会は多いです。
昔の音楽だと『夜が来る!』辺りはまだ現役ですね。
音楽ファイルの更新は特にしていないので、昔の音楽をそのまま聴いていたりします。
『みずいろ』はねこねこ関係をまとめたファイルの中では、
やはり頭と最後を占めるに相応しく、最初をノーマルバージョン、
最後をアコースティックバージョンで締めています。

BLESSはCD-DAのハードルがなんとなく高くて最近はプレイしてなかったり。
もしも願いが1つだけ叶うなら、BLESSのフルボイス版の発売を願います(^^;

いじめ問題に関しては、こちらを見る前に文章を書いちゃったので、私見はそちらに。
要は体罰は効率が良くないことを共通認識とすればいいことで、
それはスポーツ科学的にも立証済みなのですから、講習会等を積極的に行うべきでしょう。
そうやって踏み込んだことができない辺りは、
まだ体罰に対する容認姿勢が少なからず存在するということなのでしょうね。
大阪の橋下市長のやり方には賛同できませんが、体罰を許さないという姿勢は評価できます。

そういえば学生の頃に角川の『聖なる予言』という本を読んで、
暴力によってエネルギーを奪う云々みたいな話があったのを思い出しました。
暴力を用いずとも謀で人を貶めたりと、人間は稚拙な行為しかしねーなぁと思ったものです。
結局、子どものままに育った大人達が子どもを教えてるってことなんですかねぇ…

私は子どもの力を信じているので、最終的には子ども自身で解決させる方法を支持したいです。
第三者圧力は歴史的に上手くいかない傾向が強いですから… 完全平等な仲裁者なんて無理。
法は最終的に当事者の認識の問題になるので、
体罰教師には効果がありそうですが、子どもには難しそうです。
教育委員会は、教育においては法による画一的な処理が適当ではないから、存在するのに、
そういう仕事を全うできているかといえば…
仲裁者であるべき人間がトップダウンに加わっているようではダメでしょう。

心はドラスティックに、行動はマイルドに。そういう形を期待したいです。

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