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日曜日にも

国会を開いているというのは、ちょっと不思議な感じがします。
GW返上で国会を開いているようですが、毎年どこぞこに遊説しに行ったとかいう話ばかりを聞くだけに、
今年のような形の方が正常で良い感じがしますね。
普段、平日だと直接見聞きできない国会中継を自然とチェックできるという意味では、
今後も継続して欲しいなと思ったりもします。

そんな国会中継をラジオで聞いていて思ったのは、野党(与党の小沢系議員を含む)の質問レベルの低さです。
みんな感情論を振りかざすばかりで、「そうですか、大変ですね。でも…」と答えるしかない質問を出しては、
それに対して理屈で無碍に扱う政府の姿をマスコミを通して糾弾する手法ばかり取っているのは、呆れ返るばかりです。
バカじゃねーの。
一番閉口したのは日曜日の最後の国会質問で、
公務員給与の削減と今回の公務員の過重労働を絡めて質問していたことで、
それを質問すること自体には意味があると思うのですが、それに拘る理由がさっぱり分かりません。
野次の中で「そんなんじゃやってられないよ!」みたいな言葉がありましたが、それってどういう意味なんでしょうか?
確かに賃金ありきの民間労働においてはその理論は当てはまりますが、
公務員の場合は公務が先にあり、公務のための生活保障として給与が支払われるわけですから、
建前上、賃金のために働いているわけではない公務員には当てはまらない話です。
つまり、公務員給与の削減と公務員の過重労働は別の問題となります。
なのに、それに突っ込んで質問するというのは、明らかに感情論による揚げ足取り、
政府の無碍な対応を引き出して、マスコミに過剰ピックアップしてもらおうという魂胆が見え見えです。
公務員の立場を代弁するという意味で、その話を取り上げること自体には価値がありますので、
質問者の方を責めているわけではありませんが、前述の野次を飛ばした議員はなんなんでしょうか。
彼はきっとお金のために政治をやっているのでしょう。バカじゃねーの。

これが国民の声を代弁しているのかと思うと悲しくなります。国民ってバカなんですね(苦笑)


◆ニュースネタ 復興税構想
消費税増税の話が出てくるとアホかと思うものの、当然考えなければならないことなのですが、
正直言って、旬を逃してしまったように思います。
国民の了解を取るなら、4月中に構想を固めるべきでした。もう遅いと思われます。
世論調査の結果ではまた復興税に前向きな結果が出ていますが、
時間が経てば経つほど、その数が減っていくことは目に見えており、旬を逃した感は強いです。
増税ありきには反対だとか抜かしている間にもう手遅れ、バカなことばかり言っているからこうなる。


◆ニュースネタ 日本の安全(?)神話
富山県砺波市の焼肉店で集団食中毒事件が起きたそうで…
福島原発問題も然り、どうもこの種の人為的ミスには同じ精神原理から来ているように思えます。
日本人の精神として「事故を起こさない努力」をするのだけれども、
その努力が続けられている限りは問題ないものの、
それが長期に渡ると「事故は起こらないもの」という暗示じみた呪いにかかってしまい、
安全に対する神経が薄くなり、重大な事故を起こす。
そして慌てて大惨事となってしまう、これが日本人の安全神話の崩壊構図です。

これとは逆に、欧米では「事故は起こるもの」と考え、
事故が起きたときに最小限に済むよう努力を重ねています。
今では計画が頓挫しつつありますが、アメリカの新幹線構想で問題となったのがこの点でした。
アメリカでは列車事故が起こると想定し、
自動車と衝突しても新幹線には支障を来たさないような弾丸性能が重視されるとのことです。
日本ではそもそもそういったことは想定せず、車両は入らないものとして計画されていますので、
この点が性能的に大きな問題となったようです。
今回の福島原発問題におけるアメリカやフランスの素早い対応を見ていると、
同様に原発事故が起こるものとして準備し、商売としてきたことがよく分かります。

そういった精神構造の違いがどこから来るかと考えれば、
やっぱり宗教・文化的風土から来ているのではないでしょうか。
欧米諸国の精神構造の基盤となっているキリスト教では「原罪」の思想が強く、
言わば「欠陥品」としてスタートしていることで、
マイナスの面から出発してプラス面に運ぶ考え方になっているのだと思われます。
逆に日本人は、陰陽思想の影響が強く、陰気は陰気を呼び込むといった考え方で、
事故が起こる前からマイナスの面を語るのは「不謹慎」であると片付けてしまう傾向があります。
だから、事故が起こらないような準備はするものの、
事故が起こった後のための準備は、同様の事故が起こるまでは対処しようとはしないわけです。
そして、陽気が陽気を呼ぶという発想から、いつしか「事故は起こらないもの」に変質するわけです。

今回の焼肉店の問題も、福島原発における対応も、拙かった点は勿論あるでしょうが、
別に彼らの人格自身に大きな問題があったわけではありません。
どこにでもいる普通の日本人です。
そんな普通の日本人なら誰もが犯してしまう事故が一体どこから来ているのか、
これを機会にしっかりと考えてもらいたいです。
そうしないと、形を違えても重大な事故を引き起こし、
事後対応の拙さから大惨事を引き起こしかねないと思います。


◆ニュースネタ 東京で学生に向けて被害者遺族の講演
中学生か高校生のどちらかだったのか記憶にないのですが、
ニュースで被害者遺族が講演を行い、命の大切さを教える教育を行ったという話が流れました。
それ自体は意味のあることだと思うのですが、
その後に続けたニュースキャスターのコメントが気になりました。
「犯罪を許さない考えを作る」…ん?

確かに、犯罪は許せません。
私達はいつ犯罪被害者になるか分かりませんし、被害者遺族になるか分かりません。
けれど、逆に、いつ犯罪加害者になるかも分かりません。
簡単に思いつくのが交通事故でしょう。
自動車を運転している人はいつでも事故を起こし得るし、
それは原付を運転していても同じ、はたまた自転車を運転していても同じことが言えます。
実際に自転車のスピードの出しすぎで、歩行者にぶつかり、死なせてしまったケースはあります。
いつ犯罪被害者になるのか分からないのと同時に、
いつ犯罪加害者になるのか分からないのが現代の社会です。

そう考えると、犯罪を許さないとする考えはある種の危険性を持ちえます。
それは「犯罪者を許さない考え」になることです。
犯罪者を許さないという考えは、前科者を排斥することに繋がり、
更正を妨げるだけでなく、再犯の可能性を強めたり、
技能を持った人間であれば、人的資本の損失にも繋がり、社会的損失ともなります。
犯罪者への蔑視が強まってしまわないか、そこに危惧を感じてしまいます。

中学生・高校生にその区別ができるのかと考えると、正直疑問の残るところです。
命の教育とは何なのでしょうか。
それは偏った情報を教えることではないことは確かです。
むしろ、バランス感のある人間を育てることが命の教育になると思うのですが…


◆サイト更新情報 西武ライオンズ応援日記を再開
もうこのタイミングを逸すると、今年は更新しないだろうと思い、ようやく更新しました。
明日からようやく本拠地の西武ドームでの試合となりますし、
最下位からの逆襲の獅子の思いを込めて、
「ここまでのあらすじ」という形で開幕から今日までの試合を簡潔にまとめました。
今年はデーゲームも多いので、打者ごとの結果だとか細かい情報は書かないことにします。
所詮は道楽なので、お付き合いいただける方のみどうぞということでお願いします(^^;

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