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暴走

風邪ではなく、水疱瘡でした… orz
見ないで、私の顔を見ないで…(いやはや、そういう意味でネットは便利だ)

20歳の時に麻疹にかかって死にそうになりましたが、
まさか30歳で水疱瘡にかかるとは思いもしませんでした。
最初は38度ぐらいの熱が続いていたので、特に意識していなかったものの、
発疹が酷くなっていって、気がついたら上半身を中心に全身へという形。
薬のおかげもあって、ようやく回復に向かってますが…
あとは跡が残らないことを祈るのみです。

何が辛いかって、頭の発疹が酷すぎて眠れないことです。
最初は横を向いて過ごしてましたが、長時間その形を維持できませんし、
正対して寝ることになると頭が痛い、体中にあるので寝返りも打てない。
枕を異常に高くして、頭の設置面を最小限にしてなんとか寝てますが、
酷いときは1日で1時間ぐらいしか寝れないこともありました。
足は元気なのになぁ… なんとも辛い日々です。


◆テレビネタ 奇跡体験アンビリバボー 脳死を考える
病気の時はテレビとラジオが友達、
最近のテレビにはネットも対応しているので、
アクトビラでアニメの無料1話ばかりを見ている日々です(苦笑)
(相変わらず料金設定高いし。1話100円ぐらいじゃないと微妙すぎる)

そんな前振りはどうでもいいとして、
2月10日放送の奇跡体験アンビリバボーでアメリカの脳死患者のケースが放送されていました。
ごく簡単に書きますと、
交通事故で脳死判定となった男性が、その生存時の意思に基づき、
臓器摘出手術を行うことになったわけですが、
従兄弟の看護師が最後の面会をしたところ、生きているかもしれないという不思議な直感に襲われ、
足裏をナイフで切りつけたところ、反応があり、
さらに爪に損傷を与えようとしたところ、同じく反応があって、
これはいよいよ脳死ではないのではないかということになり、改めて検査したところ、
脳死判定は取り消されることとなり、その後に患者は意識を取り戻し、
ついには多少の後遺症は残ったものの、健常者そのものの生活を送るまでに回復したとのことでした。
その患者の話によれば、脳死判定の宣告や時刻、家族の反応等も覚えているとのことで、
脳死判定とされた後にも意識があったことを示す話となっていました。

今までは脳死患者の臓器移植マンセー一色で、
いよいよこの国の人間は生きながら脳死となったかと思っていましたが、
ここにきてようやく少し考え直してみようという流れが出てきたのは嬉しく思います。
紹介された事例は別に脳死判定に間違いがあったわけでもなく、早計だったわけでもなく、
適切に脳死判定がなされた上で、「科学的にはありえない」事例なのですが、
現実にあった事例なわけです。
その番組でも医師の方は「科学的にはありえない」の一点張りで、
脳死ではなかった可能性に言及されていましたが、
私から言わせれば、そういう可能性の言及こそ非科学的に思えます。
だって実際に観測できなかったんでしょう? 科学的に観測できなかったのでしょう?
それこそあなた達の言う「非科学的」な話ではないですか。

その番組内で、唯一、「科学的な」説明がなされたと言えるのは、
「脳にはまだ私達が知らない・観測できない機能があるのかもしれない」との言及です。
これこそが今回の事例の「科学的な」答えでしょう。
理系の人にはなかなか分かってもらえないのですが、
観測したり、計算したり、測量できるものだけが科学であり、それが全てではありません。
逆に実際に観測できないものでも現実として受け止められるものなら、それは科学になり得ます。
社会科学がそういう分野で、宗教、迷信や風習、恋や愛といったものがその典型でしょう。
どういう反応で恋や愛が発生するのかというメカニズムではなく、
恋や愛が何をもたらすか、そんな恋や愛の実存在とは無関係にその関係を論じるのが社会科学です。
そういった考えからすると、理系でよく用いられる「非科学的だ」という言葉は、
極めて非科学的な言葉に映り、
そうやって事象を切り捨てることこそ非科学的な態度そのものに思えてきます。
ソクラテスが言った「無知の知」、
科学万能とされる時代だからこそ、その言葉を戒めにしたいものです。

話を元に戻しまして、今回の事例が極めて珍しい事例であることは分かりますし、
それを持って脳死を死とすることや、脳死患者の臓器移植に全面的に反対する気はありません。
ドライに言えば、需要として必要だからこそ、
そういった苦し紛れの供給方法を取っているのでしょうし、それに反対する気はないです。
だからといって、脳死は科学的だ、臓器移植は合理的で素晴らしいと賞賛する気は更々ないです。
人の死の定義は難しく、現時点で全く何もない所からヒトを一から作り出すことは不可能であるから、
そこにまだまだ分からない点は多くあり、そこに目を瞑りながら移植をしていることを
常に意識しておいて欲しいわけです。
名誉毀損的な言い方をすれば、臓器売買の片棒を担っている意識を片隅に置いておけということです。
常にそうなる可能性を秘めていることを一人一人が意識しておいて貰いたいです。

臓器提供の意思をする我々も、死んでも他の人の役に立つなら、
死んでも他の人の中で臓器が生き続けるなら、といった半端な覚悟で決めるのではなく、
生きながらに体を切り刻まれても後悔はないぐらいの強い覚悟を持ってもらいたいし、
それが必要だと私は考えます。
今回は机上の空論ではなく、「実際にそういうこともありえる」という話だった気がします。


◆プロ野球 日本ハム・斎藤佑樹投手が初登板
実戦初登板で1イニング三者凡退という結果だったようですが…
こちら
ピッチングの評価はこんなところではないでしょうか。
ちらっと映像を見ただけでも、「何?このフォーム?」とか思っちゃう形でしたからね。
体の開きが早すぎるというか、全く閉じてないようにさえ見えたり…
多くの野球ファンはちょっと分からないなぁという感じではないかと思われます。
このままだと変則投手にしか行き着かないように思えます。
よほどのコントロールがないと厳しいのではないでしょうか。
結果とは裏腹に今後に対する不安が増すマウンドだった気がします。

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