みずいろの雨
今朝の夢の中で、カーラジオから音楽が流れてきたんですが、
夢の中で自分はその歌を偉く気に入っていて、実際スゴイ良い歌だった記憶があるのですが、
起きてみると、あっさりとその歌を忘れていました(苦笑)
メロディは八神純子さんの「みずいろの雨」っぽかった気もするんですが、
歌ってたのは何故か林原めぐみさんだったような。
歌詞はみずいろの雨よりもポジティブで、恋愛の曲というよりも普遍的な曲だと、
夢の中のオレは論評していた気がします。
誰か、今朝オレが夢見た歌をCD化してください(爆)
◆ニュースネタ 改正臓器移植法に基づく脳死者の臓器提供が行われる
法律的・社会的問題は改正時に指摘したので、
(簡単に列挙すれば、人間の細分化の問題、脳死者の人権、
臓器売買の消極的容認可能性、人道的見地から移植の自己決定権の侵害可能性)
今回はオーソドックスな宗教観に基づいて語ってみようかと思います。
人間の肉体と魂を分離して考えることは、人間の歴史の中で珍しくはなく、
肉体が滅んでも魂は滅ばないとする考え方は多くの宗教で見られます。
それが実際にそうであるのか、
それとも人間の生命の儚さに対するセンチメンタリズム、救いとして考えられたのか、
それは分からないところではありますが、
現実として肉体と魂を分離する考えは、一般的な宗教観だと言えましょう。
それをどう分かつかというのは所論あるでしょうが、
日本の考え方ですと、霊糸線で繋がっている間は肉体の感覚を魂が共有し、
霊糸線が切れると魂となり、もう肉体に戻れないといった感じでしょうか。
そういった古来の宗教観に基づけば、脳死の場合は霊糸線が切れていませんから、
摘出された臓器の痛みは魂にダイレクトに伝わるということになりましょう。
生きたまま肉体を刻まれる感覚って、どんな感じなんでしょうね。
一度味わって…みた…くないです。そこまでMじゃありません。
幽霊とかそういう類の話では、自分が死んだことに気づかないという話をよく聞きます。
葬式とかそういうのは死んだ人に死んだことを自覚させる意味もあるとか、ないとか。
そう考えると、事故などで突然脳死になった場合、
それこそ本当に生きたまま肉体を刻まれる感覚を味合わされるということに。
そんでもって臓器はバラバラに運ばれているわけか… 完全にホラーですね。
非科学的な話だと言われればそれまでですが、
そういった宗教観が長らく日本の社会に存在してきたことも事実で、
それらを非科学的だと頭ごなしに否定することは、非社会科学的な話でしょう。
愛は科学的に解明できないから、存在しないのか。
そんなわけありませんし、愛に基づいた人間の行動も当然研究対象になります。
それと同様に、宗教観に基づいた人間の行動も、科学的に尊重しなければならないでしょう。
勿論、移植によって助かる命もあるわけですから、臓器移植は有効な手段だとは思いますが、
どんなに医療が発達しても、人間が死を免れるわけでもなく、
また、普通に助けられる命であっても助けられないケースも多いわけで、
臓器移植に賛成することが全てではないことは分かってもらいたいです。
戦争や災害時のような非常時でもないのに、
「命の選択」を迫られるというのは厳しいものです。
◆ニュースネタ 各地で高齢老人が不明に
100歳以上の老人の生死不明のケースが多くなっているとか。
まぁ、役所が一人一人生存を確認するわけにもいかんので、
死亡届を持って生死が決まるのは分かるんですが…
いやはや、日本の戸籍制度も当てにならなくなってきましたなぁ…
昔、海外の最高齢者が実は死んでいたというニュースを聞いて、
海外の戸籍制度の杜撰さを笑ったものですが、日本もぶっちゃけもうダメですね(^^;
よく分からないのが、老人が徘徊などで失踪したケース。
当然、捜索願とか出すものだと思いますが、何年も見つからない場合に、
失踪宣告とか受けたりしないんですかねぇ…
遺産分割でも発生しない限り、敢えて死亡したとされる必要もないということか。
そういう意味では、相続人が多く発生するであろう兄弟姉妹が多い場合は機能しますが、
一人っ子だったりして相続人が少ない場合なんかは、
余計に失踪宣告や死亡届が提出されなくなっちゃうかもしれませんねぇ。
なんつーか、こういうのこそ教育が必要なんじゃないかなぁとも思ったり。
人が死んだ時にどういう手続きを踏むべきかとか、学生時代から教えるべきじゃないですかね。
命の教育ってのはそういうのも含まれるように思います。
◆ニュースネタ ヒロシマの日、長崎の日
いつの間に、広島の小学生のスピーチは未来志向になったんだろうか。
個人的なイメージだと、子どもの無邪気な口から原爆の恐ろしさや、
戦争に対する怒りが伝えられることが広島の平和記念式典の意義だと思ってたのだけれども…
ちょっと方向性が変わっちゃってきたような気がしないでもないです。
長崎の方は時間が時間なだけに、なかなかチェックできないのが辛いところ。
それでも被爆者の体験談はやはり心を打つものがあります。
広島の平和記念式典にルース駐日大使が参加し、
謝罪に当たるみたいな論調がアメリカにあるらしいですが、それは違うでしょう。
広島に原爆を投下したパイロットは正しいことをしましたよ。
軍人として作戦に従うのは当たり前です。
問題なのは原爆を落としたこと自体ではなく、その被害規模にあったわけで、
原爆を落としたことを戦争終結を早めたとして正当化するのは分かりますが、
その悲惨な被害に目を瞑ることは違うかと思います。
戦争の時点ではあれが最善に思われたことが、
広島と長崎の悲惨さから、結果として人類を滅ぼす兵器ということが明らかになったわけで、
投下前に原爆の被害をどれだけ予想できていたのかは分かりませんが、
その予想を大きく超えるものであったとするなら、原爆投下の責めを負う必要はないでしょう。
戦争終結の手段とその結果が明らかに不均衡である感は否めませんがね。
アメリカに期待するのはやはりこれからのことであり、
核兵器のない世界の実現へ向けて、具体的行動を取ってもらいたいところです。
◆高校野球 夏の全国高校野球甲子園大会が開幕
ここまでの印象は、「ピッチャーが物足りない」、この一言に尽きます。
全体的に守備もどうかなという面もあるんですが、
スリークォーターからサイドハンドの投手が随分と多いような気がします。
今大会の好投手として挙げられている成田・中川、大分工・田中、
東海大相模・一二三のいずれも肘の位置は低め。
スリークォーターが悪いってわけじゃないんですが…
東海大相模の一二三投手の迷走を見ていると、このままでいいのかなぁと思ったりします。
なんでスリークォーターがダメかというと、今がスライダー全盛の時代だからです。
高校生レベルだと、曲がりの大きな外角のスライダーは大きな武器です。
ボール球でも振ってくれますし、非常に有効な球です。
だけど、これが大学・社会人・プロとレベルが上がっていくにつれて、
ボール球を振ってくれなくなり、スライダーに頼ったピッチングは厳しくなっていきます。
加えて、スライダーは横の曲がりなので、
大きく曲げようと思うと肘の位置が段々と下がっていくため、
投球フォームを崩す大きな要因となってしまいます。
大分工・田中投手はそんな感じでしたね。
スライダーを曲げようと思うばかりに、スライダーを投げる時の肘の位置が下がってしまい、
ストレートとスライダーの肘の位置が完全に違ってしまっていました。
今大会を見ていると、多くの投手がこの「スライダー病」にかかっている印象を受けます。
肘だけでスライダーを投げようとすると、大きな故障になることも少なくないだけに、
もう少し指導者の方々には神経を配ってもらいたいです。
高校野球で勝つためには、スライダーは非常に有用な球ではあるのですが、
その危険性をもう少し理解してもらいたいような気もします。
あと、甲子園のマウンドの状態にもよるのでしょうが、
全体的に前足の踏み込みが甘い投手が多く、上体主導なのも気になるところ。
西武の涌井投手のフォームが理想的なんだと思うんですがねぇ…
今大会は投手の投球フォームに不満を思うことが多いです。
今大会で目立っている選手の論評を少し。
まずは前述の成田・中川、大分工・田中、東海大相模・一二三投手の3人から。
中川・田中の2人はスリークォーター、一二三はサイド、3人とも肘の位置が低すぎる印象。
中川投手はフォームのバランスがまだまだ。
振りかぶる辺りを唐川投手を真似るのはいんですが、問題は足を踏み込んでからのような…
田中投手はスライダー病。早く肘の位置を上げないとフォームがバラバラになっちゃうよ。
一二三投手は思い切ってサイドにしたものの、腕だけで投げている感じで、
サイドの下半身主導の投球ができておらず、シュート回転が酷すぎに。
誰だ、サイド転向を勧めた奴とか思ってしまう…
3人とも140キロ中盤をマークするなど、速さはあるものの、
フォームに欠陥が多く、球速ほど威力を感じないんじゃないかと。
中川投手はツーシーム系の動くストレートを持っているから、その分だけ何とかなってますが。
一番いいと感じたのは福井商の長谷川投手。
まだまだ荒っぽい感じはあるものの、本格派右腕という印象です。今後という意味では楽しみ。
仙台育英の2番手・田中投手はプチ佐藤由規投手といった印象。
ストレートもスライダーも荒削りではあるものの、伸び盛りなだけに今後の成長に期待。
打たれはしたものの延岡学園の左腕・坂元投手のフォームも良かったかな。
今日はストレートでコースを付けず、結果が残せませんでしたが。次の試合に期待してます。
センバツ優勝の興南・島袋投手は、
センバツ時は高校生だからこその低めのコントロールの良さ(プロではボール)でしたから、
トルネードの投球フォームから低めに外れた時に、
どれぐらい細かくボールの高さを調節できるのか知りたかったわけですが…
そういう試合になりましたね、初戦は。
フォームバランスが悪く、低めに球が外れる苦しいピッチング。
それでも抑えてしまう辺りはさすがですが、上のレベルを考えると、
高校生レベルでのコントロールの良さだけでは通用しないように見えました。
センバツよりもボールに力が出てきただけに、その点をどれだけアピールできるか。
打者では北照の又野投手と西田捕手のバッティングが際立っていました。
又野投手はピッチングでは雨の影響もあったのか、前足の踏み込みが悪く、
全体的に球が浮き気味で、投手としての限界を露呈する結果に終わってしまいました。
プロも注目する打撃ではホームランを放つなど活躍。
確実性では昨年の堂林選手には劣るものの、長打力は上という印象を受けました。
もう少し打者として見たかったですねぇ…
試合としては今日の仙台育英と開星の試合が面白かったです。
開星は風に泣かされた感じがしますね。
仙台育英の勝ち越し打も風に押し戻されてセンターが落球するものでしたし、
最後の打球も風がなかったら左中間をそのまま抜けていたかもしれません。
しかし、仙台育英のレフトに回っていた三瓶選手のキャッチは凄かったですね。
まさにスーパープレー。あの強風下では奇跡ともいうべきプレー。
打った瞬間は完全に抜けたと思っただけに、あのダイビングキャッチには驚かされました。
それにしても開星の白根投手は2年生とは思えない体型ですね。レスラーかと思った(笑)
球速は常時140キロをマークし、変化球の精度も増したものの、
相変わらず左肩の開きが早く、ボールが見やすいのがネックか。
というか、サイドならもう少し体を絞った方がいいんじゃないのと思ったり。
オーバースローだとあまり関係ないけれど。
◆高校野球 沖縄県代表が夏に優勝できない理由?
http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2010/08/05/31.html
大会開幕前にこんな出来事が。
沖縄代表の興南高校が練習試合をして怒られたようです…
夏の地方予選中、甲子園滞在中というのは分かるのですが、
地方予選終了から甲子園大会までの間も練習試合なしって変じゃないですか?
これを春に例えれば、1月末に出場校が決まってから試合をしてはいけない?
そうはならないでしょうに。ぶっつけ本番やん(^^;
沖縄県代表が決まったのは7月18日、全国で一番乗りです。
一番最後に代表が決まったのが8月1日の大阪代表・履正社。
この2校の条件は同じでしょうか?
どう考えても実戦から離れてる沖縄代表の方が不利じゃないですかね?
条件を同じにするというならば、
地方予選の決勝も同時期に行われるようにすべきでしょう。
それが無理なら、練習試合ぐらい許可してやったら、と思いますが。
なるほど、沖縄代表が夏に勝てないわけです。実戦離れし過ぎてますもん。
まぁ、それは多少こじつけ感はあるものの(2戦目以降は関係ないですし)、
考え直すべき事案ではあると思います。