暑さの次は雷雨
多少涼しくなるから、雷雨もいいかな~とか思ってたら、夜中に激しい稲光…
北関東地域のような激しい雷雨にはなりませんでしたが、
暑さではなく、雷の煩さで寝不足になる感じです。
…なんか、こう、天気にストレスを感じちゃいますなぁ…
先日のデーブ大久保コーチの暴行事件に関しての日記にも書きましたが、
最近は「仁義」の精神が失われていることに酷くショックを受けますね。
「仁義」と書くと、つい任侠映画なんかを思い浮かべてしまい、
今ではマイナスイメージが付きまとう言葉になってしまいましたが、
本来は良い言葉のはずなんですがねぇ…
こういうイメージの独り歩きがいけないんだな。
「仁義」の精神とは何ぞやと考えるに、私も詳しいわけじゃないですが、
「情けは人のためならず」の言葉と同じ側面があるかと思います。
「情けは人のためならず」とは、人のためにならないから情けをかけちゃいけないよ、
という意味なんかでは勿論なく、人にした情けは自分に返ってくるという意味です。
「仁義」というのは何なのかと言えば、他人に対する最低限の礼儀と言えましょう。
他人に何かを教えてもらおうと思うならば、それなりに敬意を示し、殊勝な態度を心がける。
他人に何かをしてもらいたいならば、自分から何かをしてあげる。
他人に何かをしてもらったならば、その人に、また別の人に何かをしてあげる。
そういった一定の社会における人間関係の最低限の礼儀が「仁義」だと言えましょう。
そんな「仁義」を欠く行為でよくニュースになるのが、「入会権」の侵害です。
「入会権」とは村社会であった風習で、村でそれを管理する見返りとして、
村人であれば誰でもそれを利用できることを表現した権利です。
逆に、村人でなければ利用できません。
「共有物」のように分割はできず、引っ越すから分け前を寄越せと言っても、
村人でなければ分け前はもらえない、そんな風習…というか権利です。
例えば、山に生っている山菜とかが村の総有状態にあって、
入会権として成立している場合があります。
しかし、それを知ってか知らずなのか、村人以外立ち入り禁止となっていても、
別の地域から山菜を採りにきた中高年に山を荒らされることが少なくないようです。
彼らの言い分としては、誰のものでもないなら別にいいじゃないか、ということですが…
この言い分は正しいのでしょうか。
まぁ、結論から言えば、入会権が法的に認められている以上、法律的にアウトなわけですが。
そもそも、何で「入会権」なる権利が認められるかということですが、
それは「仁義」の精神を抜きには語ることはできないでしょう。
一言で言えば、村の人が管理しているからです。
村人がその場所で生きるために、世話をしているから村人だけのものなんです。
ごくごく当たり前のことです。
本当の意味で自然に山菜が生っているわけではありません。
野焼きをするなど、村人が予め世話をしたからこそ、山菜が生っているんです。
そういう意味では、村人であれば無条件で利用できる、というのも正確に言えば違うわけです。
正確には、村八分にされていない、村社会で生きる村人であれば利用できる、ということです。
村の中で互いに助け合っている村人のみが利用できる、
仁義を尽くしている者だけが利用できるのが入会だと言えましょう。
人間関係の希薄化が「仁義」の精神を薄めている感は否めませんが、
最初に書いたように、「仁義」とは人間が生きるために尽くす最低限の礼儀です。
「仁義」の世界に、現代的な意味での「当たり前」は存在しません。
金を払ったから何々してくれるのが当たり前、何をしてもいい、そういうことじゃない。
客には客として当然に振舞うべき最低限の礼節、仁義があるわけです。
そういいた「仁義」を欠く行為が、現代社会の摩擦を大きくしているように思います。
んー、思っていたほど上手く説明できなかったなぁ…
シビアに言えば、他人が何かをしてくれるのは当たり前じゃないということです。
自分が何かをしたから、他人が何かをして欲しいから、行動をするわけです。
その引き換えにしたいものが「好意」であれば、「愛情」による行動と言えましょう。
常に想定する相手があってこそ「行為」は成り立ちますから、
他人に「行為」をしてもらいたいなら、自分が「行為」をしてあげるか、
「行為」をしてもらえるように振舞うべきです。
それが「仁義」ということです。仁義を欠く人間は何もしてもらえないということです。
現代はお金の持つ価値観に支配されすぎてしまい、
人間社会を動かしていた「仁義」の価値観が薄らいでしまっています。
けれど、人間は感情の動物ですから、当たり前ですが、
失礼な奴には何かをしてあげようとは思いませんよね。
それを常に自分に立ち返って考えるためにも、「仁義」の精神を大切にして貰いたいです。
今回のデーブ大久保コーチの件に関して言うならば、
2軍の若い選手たちはコーチや先輩が自分に野球を教えてくれるのは当たり前だと思っていないか、
自分は教えてもらえるように日々練習に務めているか、
教えてくれる相手に対して敬意を示しているのか、もう一度考えてもらいたいです。
選手として、後輩としての「仁義」を守っているだろうか、自問自答してもらいたいです。
仮に「仁義」が尽くせていたとするなら、シーズン中にこんな問題は表面化しなかったことでしょう。
少なくとも、オフに出てくる話ですよ。
それが今に出てくるということそのものが「仁義」を欠いていたと思わざるを得ません。
2軍の選手はプロスポーツ選手かもしれませんが、プロ野球選手ではありません。
2軍で幾ら活躍したとしても、球団の銭にはなりません。
選手にとって居心地のいい2軍なんて論外です。
2軍に落ちて「鍛え直してきます」なんて殊勝な言葉は要りません。
2軍に落ちて「悔しい。落ちたくない」その気持ちこそが必要だと思います。
2軍の選手として今何をすべきかを考え、地獄から這い上がってきてもらいたいです。
◆プロ野球 NPB選抜VS大学日本代表チーム
そんな地獄にいる選手達で編成された、おおよそ19~22歳ぐらいのNPB選抜と、
大学日本代表チームの壮行試合が行われたようです。
結果は4-0でNPB選抜の勝利。
プロで地獄を見ている選手の方が勝ちましたね。本当に地獄なのか知りませんが。
注目された大学日本代表チームの投手はいずれも3年生、
変に4年生が登板すると、ドラフトが何だ~と騒がれるから、
ちょうど良かったんじゃないでしょうか。
まぁ、でも東海大の菅野投手は別格だったみたいですね。
来年は巨人入りですか。原監督の甥で東海大相模-東海大じゃ手出せないわな。仁義上。
それはいいとして、攻撃・守備面で大学日本代表は脆さを見せてしまったようで…
強い相手と接戦になったときが心配ですね…
先にプロ入りした選手が相手とはいえ、同い年・年下の選手が主体だったわけですから、
この悔しさを本番に晴らしてもらいたいです。