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急に

暑くなりましたね。幸いこちらは全国のニュースで報道されているほどではありませんが。
でも来週また寒さが戻るというか、気温が下がるらしく、
衣替えが微妙な感じになっていますねぇ…
あまり熱心に天気予報を見る人間ではありませんが、
毎日の気温チェックが欠かせない日課となっています。


◆プロ野球 埼玉西武・菊池雄星投手が2軍戦で好投
宮城で行われた2軍戦に先発登板し、5回無失点で初勝利、
最速147キロをマークするなどスピードが戻ってきたようです。
結果的に首脳陣の思惑通りになってくれたということですかね。
西武ドームとかは球速が出にくいですから、
左投手の球速が出やすいとされる宮城での登板は大当たりだったかも。
これをきっかけに順調に伸びていってくれれば幸いです。

その登板前の日曜日に放送されたスポーツニュースでの菊池雄星投手の特集を見ましたが、
顔を見てちょっとホッとした感じがしました。
多少都会チックに垢抜けたというのもありますが、少し顔つきが大人っぽくなったな、と。
苦労した分だけ表情が引き締まり、凛々しくなったように見えました。
2軍に落ちてからも、結果云々よりも球速が出てなかったことが気がかりだったので、
精神的に大丈夫かなと思っていましたが、むしろ良い方に作用してくれたようですね。
やはりキャンプ時は言葉にしなくとも「プロ野球をなめてる」感じがあったのでしょう。
今となっては良い薬になってくれたようです。

ここまでの菊池雄星投手に対する満足度ですが、
キャンプ前は結果が残らずとも涌井投手の1年目のように1軍で1~2回登板と見てただけに、
その予想に比べると大きく出遅れている感は否めませんが、
故障なくこれまで過ごせていることには大満足しています。
プロで成功するか否かは故障するかしないかが大きく影響します。
とりわけ高卒投手は結果が残る前に故障すると、なかなか上手くいかないことが多いです。
怪我に強いというのがなによりもの一流の証拠、このまま怪我なく練習していって欲しいです。
今の調子ならば、交流戦明けにでも1軍先発の機会が来ることでしょう。
状態が良ければ、交流戦中でもリリーフ登板があるかもしれません。
5月末の西武ドームでの巨人戦なんて面白いかも。
先発登板は交流戦明けのKスタ宮城の3戦目ですかね、翌週に西武ドーム初登板となるし。
こうやって具体的な予想ができるぐらいになったことが本当に嬉しいです。

故障といえば、涌井投手にしろ、岸投手にしろ、入団後に故障らしい故障を聞いたことないですね。
岸投手の大学時代は知りませんが、涌井投手は高校時代も故障なかったと思いますし…
怪我に強いというのは大きな要素です。
一時期は先発陣は悪夢のように内転筋を痛めてた頃がありましたが、
それ以降は比較的故障なく先発陣が揃っているのは嬉しいことです。
やはり無事是名馬なりでしょう。


◆ニュースネタ 検察審査会と時効制度廃止について考える
いずれも司法制度に関わるものですが、両方に共通しているのは、
灰色を黒にしようとする風潮があることでしょうか。
灰色を黒にというと、プロ野球界の「黒い霧事件」を思い出してしまうわけですが、
あれと同じような冤罪を生む風潮を呼びそうで一抹の不安を感じています。


検察審査会の制度自体は良いと思っています。
ただ強制起訴の制度は現時点で問題を抱えていると思わざるを得ません。
検察審査会の構成員は裁判員と同じで、有権者の中から無作為に選ばれます。
その審議実態を知らないので何とも言えないところではありますが、
どれだけ証拠能力を重要視し、有罪の蓋然性を検証しているのか疑問が残ります。
だって、そうでしょう。
仮に自分が選ばれたとしたら、こう言いますよ、「とりあえず起訴してみたら」と。
証拠とか言われても裁判で有罪にできるかどうかなんて分からない、
それなら裁判官の人に判断してよと他人任せになっちゃうでしょう。
それが世間を騒がしている話題なら尚更、遠慮なくたらい回しですよ、
だって自分の責任じゃないんだもの。

けれど、そうやって起訴されてしまったら、被告人の生活はどうなるのか。
今の日本では起訴されただけで社会生活はアウトです。
裁判を戦い抜いた結果、無罪であったとしても、
一度貼られたレッテルを剥がし、元の生活に戻ることは難しいです。
起訴されるかどうかはそれだけ天国と地獄を分ける判断となりうるのに、
有罪かもしれないではなく、無罪ではないかもしれないで判断されては困ります。
灰色はとりあえず黒と見立ててしまえとするのはいかがなものでしょうか。

検察審査会の制度は良い制度です。
起訴するか否かが検察に一任されている現状では、
検察審査会は救済を与えると同時に、検察の監視もすることができます。
ただ、検察審査会の内部での判断が、正当に行われていない場合、
有罪である可能性が強いと足りる確証がない場合までも、
検察の判断を経ずに強制起訴となるのは、あまりにも行き過ぎではないでしょうか。
検察審査会の判断で生活を壊されたら誰の責任なのか。
責任の所在が分かりにくくなるだけに、
疑わしきは罰するの悪しき風潮を生みかねないように思います。


時効制度廃止も同様の危険が付きまといます。
時効制度の意義は幾つかあると思いますが、主に3つの立場で論じられると思います。

1つは捜査側の問題、どれだけ事件を追い続ければいいのか、証拠能力の問題です。
DNAなど科学技術の進展によって、証拠の散逸は防げるようになりましたが、
その証拠自体を保存するのは第一に警察の捜査です。
見込み捜査の外れなど、初動捜査の誤りが事件解決に繋がらなくなるケースが多く、
時効制度が廃止されたからといって、事件を解決できるわけではありません。

2つ目が容疑者側の問題。事件から何年経てば「シロ」になれるのか。
未解決事件の容疑者はいつまで経っても容疑者で、延々と灰色に見られてしまいます。
犯罪とは無縁な容疑者をいつまで疑い続けるのか、事件に区切りが付けられないことは、
常に疑いの目をかけられる容疑者側に著しく不利な制度になると思います。
また、仮に容疑者が真犯人だった場合、時効を迎えたら事件のことを話すかもしれません。
ひょっとしたら時効停止期間があって、時効が完成していない場合もあるかもしれません。
ごく稀なケースではありますが、実際にもあった話ですし、
何を持って事件を解決とするのかは一つ考えなければいけない問題だと思います。

3つ目は被害者・被害者遺族側の問題です。
被害者遺族からすれば時効制度は邪魔のように思えますが、一定の意味を持っています。
時効が廃止され、結果として事件が解決すればいいのですが、
20年以上経って解決するというケースが実際にどれだけ出てくるのでしょうか。
解決しなかったら、被害者遺族は一生事件を引きずり、
見えない犯人に怒りを覚えながら生きていかなければいけないのでしょうか。
ドライな言い方をすれば、どこかで区切りを付ける必要があります。
その一つが時効だと言えます。
もう1つ意味を持つのが、時効によって怒りの矛先が目に見えない犯人から、
警察と検察に向くということです。
事件を解決できないのなら、幕引きを図るにはどこかに怒りの矛先がないといけない。
それが初動捜査を誤ったり、証拠能力を強められなかった検察に向くのは当然、
八つ当たり気味ではありますが、それによって一定程度の気持ちの切り替えができますし、
警察と検察は自分たちの至らなさを知り、襟を正すことができます。
時効制度がなくなって、事件が解決しなかったらどうなるのか。
風化するだけですよ。
遺族は思いを内に込めたままじっと篭り、警察と検察は知らぬ存ぜぬ。
今の日本国民はそういう制度がいいみたいです。
そういう選択をしたんだということを分かってもらいたいです。

時効が廃止されたからといって、犯罪が減るわけもありません。
一昔の飲酒運転のように、比較的軽微な犯罪なら重罰化でやめようと思うかもしれませんが、
重大犯罪で重罰化されても、時効が廃止されても、それで罪を犯すのをやめようとは思いません。
時効の廃止によって解決した事件が出てくれば、また違ってくるのでしょうが…
現状では弊害の方が大きいような気がしてなりません。
もはや「水に流す」は死語ですね。地獄の果てまで追い回します。
そんな執念深くなった日本人の気概に情けなさを禁じえません。


あと、根本的に日本人が勘違いしていることは、裁判で真相が明らかになるわけではないことです。
真相が分からなくても裁判は進んでいきます。
ドラマみたいにペラペラしゃべってくれる被告人がいれば楽なんでしょうが…
もしくはまるで見てきたかのように喋る警察・探偵・弁護士とか。
起訴して裁判になれば、真相が分かるとか思っているのなら、起訴なんてするな。
真相がある程度分かっているから起訴するんであって、
分からないと証拠を固められないので、起訴なんてできません。
同様に時効が廃止されたからといって、事件の真相が明らかになるわけでもない。
刑事事件の公訴時効は何のためにあるのか、私から言わせれば警察と検察の無能を露呈するためです。
そんな緊張感もない、何十年も経った事件を事件を知らない若い刑事が漫然と追うのか、
どこで事件の区切りをつけるのかが難しくなったことは確かではないでしょうか。

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