どうやら
オレは通り魔犯だと思われているようです、静岡県民だから(苦笑)
昨日(月曜夜)のサスペンスドラマが急遽中止で、番組差し替えとなったようで。
母親が楽しみにしてたのにとボヤいておりました。
冗談混じりに「あんな事件があったからじゃないの?」と言って、
夕刊を手にとって番組欄を見てみると、『静岡』の文字が。
内容的にはそんな通り魔的なものではない感じでしたから、
やっぱり『静岡』が決定的な要素だったんでしょうか。
そんなわけで、私は通り魔犯だと思われているようです、静岡県民なので。
大変だ、外に出た瞬間、通り魔犯だらけになってしまう(爆)<いや、中でもそうだけど
そんな冗談はさておき、今回の事件による社会的影響を考えてみますと、
今回の事件は「職業」を媒介とした「社会」が崩れつつあることを知らしめたように思います。
今までのこういった通り魔事件で出てくる主なキーワードは「無職」でした。
でも今回は、派遣業務とはいえ、「定職」に付いている青年です。
派遣社員も大概は正規社員と同じような仕事をし、同じ職場で働いています。
これまで「社会」といえば、「職業(的地位)」と捉えていた人々からすれば、
「無職」は言わばならず者のような感覚で、自分達の外にあったでしょうが、
今回は派遣といえども「定職者」、自分達の中にある者の無差別的犯行です。
職業を媒介とした「社会」が秩序を安定させる、
「社会的常識」というものが一定の犯罪を抑止させる、と信じていた人々にとって、
今回の無差別殺傷事件は裏切られた想いに駆られることでしょう。
「無職」はならず者、「定職者」は信じられる、
そんな昔風な考えが完全に崩壊していることが改めて鮮明になったように思います。
そういった心理的な側面以外で言えば、
今回の事件は労働者の地位を考える新たな機会になるように思っています。
今回の事件の犯人を擁護するわけではありませんが、
彼を犯罪に駆り立てた要素の一つとして、
「派遣社員の不安定な地位」があるのは間違いありません。
今や非正規社員の締める割合は非常に高くなり、半数以上というのも珍しくなし、
派遣社員はパート・アルバイトで構成される職場が大多数になっています。
当たり前のことですが、派遣社員は正規社員とは異なり、
契約社員で派遣先企業と労使関係が直接的にあるわけではないので、
労働組合の保護を十分に得られませんし、
そもそも労働組合が組織されていないケースの方が多々。
たとえ、あったとしても、派遣社員・パート・アルバイトの味方ではなく、
むしろ使用者サイト寄りの場合もあるなど、頼るべき者は皆無という状態です。
派遣会社がしっかりとしたフォローをしてくれない限り、孤立無援の存在です。
そんな不安定な状態に長くいれば、心理的に不安定になるのも当たり前、
正社員になる道があれば頑張れるでしょうが、
今の時代はむしろ業務委託・アウトソーシングという名の下に、
正社員への門戸は狭まっていく一方。
団塊の世代の定年退職があるといっても、それは新卒採用に回されることが多く、
中途採用はまだ十分ではありません。
便利に使えるときだけ使えて、要らなくなったらポイとされるような、
今の派遣社員の現状を考えたとき、悲観的になるなと言う方が無理です。
一般労働者にもしてもらえない、
劣悪な地位にある派遣社員やパート・アルバイターを救済しないことには、
「職業」を通じた社会秩序の安定は図れないように思います。
併せて問題となるのが昨今続出している「企業の誤魔化し」。
社員はしてはいけないことだと思いながらも、
会社の命令に従属せざるを得ない状況が浮き彫りになっています。
正社員になれば、会社のどんな不法・不当なことでも言うことを聞けと強要され、
非正規社員になれば、低賃金・無保証で先の見えない労働に従事させられる、
果たしてそんな状況の中で、「職業を通じた社会」というものが存在していると言えるのでしょうか。
まぁ、「社会」とはそんなものだと言えばそれまでですが、
そんな非人間的な生活を強いる社会を許していていいのでしょうか。
子どもに「大人になるって、どういうこと?」と聞かれたときに、
「人間じゃなくてロボットになることだよ」と我々は答えなければいけないのでしょうか。
ニートの決まり文句に「働いたら負けだと思っている」というのがありますが、
その言葉は、ある意味では、真理を付いているように思えます。
正規社員は労働者として一定の救済措置が用意されているので、
必ずしもそうだとは言えないでしょうが、
正規社員にはできないからと理由付けられて安くこき使われる派遣社員・パートを考えると、
企業に上手く使われてしまっている悲哀が全くないとは言えません。
今の時代、「労働」の意味を全く理解できていない大人は少数のはず、
意識的にであれ、無意識的にであれ、
本来の「労働」の意味とかけ離れつつある、今の「労働」に対して、
何らかの違和感を感じているように思います。
それがニートの決まり文句に現れているような気がします。
…まぁ、その言葉の中身が実際にどうなのかは別にして。
バブル経済崩壊による終身雇用・年功序列制の崩壊の歪みが現在に出ているような気がしてなりません。
市場の活性化・循環という観点ではリストラクチャーは必要不可欠ですし、
職種・技能による出来高制は非常に有用な制度であることは間違いありません。
けれど、日本では悲しいことに、それが勘違いされて導入されてしまいました。
リストラクチャーは再構成ではなく、安易な首切りとなり、
出来高制は数字だけに主眼を置いた成績中心主義に変わり果てています。
よく言われていることですが、セーフティネットの整備、
職業の安定化というものが明らかに遅れているため、
結果的に市場の活性化・循環とはならず、労働者の地位を著しく低下せしめることとなりました。
この現状を変えていかない限り、職業を通じた社会の実現は不可能となり、
今の職業が人間を抑圧させる社会のままでは、
犯罪を生む土壌にしかなっていかないように思います。
今回の事件を教訓に、労働の本来的な意味を問い直し、
新しい職業スタイルの構築をしていく必要があるように思います。
…と、政治家の皆さんにはこれぐらい危機意識を持って、
非正規社員の雇用状況に対して取り組んでいってもらいたいと思う今日この頃。
そうしないと永田町に暴走トラックが(※以下の文章は不謹慎につき検閲されました)
◆PCデータ整理
PCの移行に伴うデータ整理の一つとして、音楽ファイルの整理を行いました。
移すだけなら簡単なんですが、問題はプレイリスト。
ハードディスクドライブの識別番号や、フォルダ構造が全く同じならば、
そのまま使えるのでしょうが、自分の場合はそれなりに弄りましたから、
プレイリストをもう一度付く直すはめになりました。
そうすると、必然的に昔の歌も聴き直す結果に。
最近は東方の音楽や美少女ゲーム関係の音楽しか流してなかったんですが、
林原めぐみや奥井雅美・米倉千尋といった中高生時代によく聴いていた音楽を久々に聴きました。
改めて聴き直すと、やっぱりいいなぁと思ったり。
とりわけ、めぐさんは歌唱力という点では正直劣ってますが、
その歌の中にあるパワーという点ではどんな美しい歌にも負けない強さがあります。
奥井雅美さんは思春期の青少年の視点があり、子供から見た大人社会を再認識させてくれ、
米倉千尋さんはその中間、優しさの中にある勇気、ポジティブさがよく現れている印象ですね。
そんな感じで最近は懐かしさもあって、昔の曲をよく聴いています。