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今年を振り返ると…

終わってるなぁ…と。
日記で取り扱った記事を簡単に列挙しただけでも…

【1月】レーダー照射問題以降の日韓対立
  厚生労働省の勤労統計不正問題
【2月】千葉県野田市の児童虐待死事件
バイトテロ事件、
違法ダウンロード強化?⇒撤回、桜田五輪担当大臣「がっかり」発言、
【3月】大河ドラマ『いだてん』失速⇒金栗編しか見てないわ
【4月】新元号『令和』の発表
塚田国交副大臣が忖度発言で辞任、桜田五輪担当大臣がやっと辞任
【5月】改元儀式=皇室の政治利用に終わった感
【6月】年金100年安心プランの嘘が発覚=2000万円以上必要です
川崎連続殺傷事件、元事務次官の息子殺害等の凶悪事件が相次ぐ
イラン沖で日本のタンカー襲撃
北方領土交渉が事実上の頓挫
芸能人の闇営業問題
【7月】日韓の貿易問題が過熱化
かんぽ生命の不正販売発覚
参議院選挙
京アニ爆破テロ、
【8月】愛知トリエンナーレの少女像問題
韓国がGSOMIA破棄を表明⇒後に撤回
【9月】嫌韓ムード⇒台風15号被害⇒空気読まずに内閣改造⇒国連気候行動サミットで赤っ恥
【10月】消費税増税
 台風19号被害、
 東京五輪のマラソン会場が札幌へ移転、
【11月】萩生田文部科学大臣の「身の丈」発言⇒英語検定試験と記述式問題の撤回、
 総理主催の『桜を見る会』の問題が炎上

政治に関しては色々と問題がありましたが、菅官房長官の株の乱高下を理解すれば問題なし。
新元号の『令和』の発表で「令和おじさん」として人気を博し、
統一地方選や参議院選挙で苦戦を強いられた自民党を押し上げたものの、
9月の内閣改造で差し込んだ事実上のシンパが相次いで不祥事&辞任ドミノ。
終いには無関係の『桜を見る会』問題で毎日のようにマスコミに質問されてタジタジ。
菅官房長官の株がストップ高とストップ安を記録する1年で、
安倍政権の不安定さに振り回された1年となりました。

…まぁ、そこに付け込めない野党も野党ですけど…
現在も立憲民主党と国民民主党が合流協議中ですが、どうなりますかね。
参議院選挙で躍進したれいわ新選組も何を勘違いしているのか…
N国は勘違いしたままに事実上の滅んだ感がありますが…

事件的にも5月以降、ショッキングな殺人事件や事故が相次ぎ、
ここでは挙げていませんが、池袋の暴走事故では『上級国民』なる言葉も囁かれました。
5月や10月の改元の儀は為政者の『上級国民』っぷりをアピールする場にしかならず、
嫌が王にも『上級国民』という言葉を脳裏に浮かび上がらせる結果となりました。
結果的にアメリカやヨーロッパの政治状況で見られた『政治的分断』が、
日本においてもより深刻に見られる結果になったと思います。

そんな社会状況ですから、人心もやはり荒廃しつつあります。
東京五輪の聖火ランナーが発表されてますが、
その地域に縁もゆかりもないような芸能人・有名人の名前の多いこと。
ふるさと納税の返礼品問題もそうですが、主旨とは違った捻じれ方をしていて、
『上級国民』のような権威主義の前に、
一般大衆がへりくだることが普通のものになってきました。要は卑屈ということ。

学歴社会から、出生で決まる階層社会のような閉塞感ができつつあり、
そこを打破しようとして卑屈な「自己アピール」が繰り返される社会に見えます。
バイトテロも官僚の忖度も根は一緒で、間違った「自己アピール」ですよ。
「自分はこんなことができます」というのが暴走しています。自己愛の暴走。
そうじゃなくて、「社会に対して自分のできることは何か」が必要であって、
逆に「自分ができないことは何か」を理解することが、
自分を破壊しないための「矜持(プライド)」になるわけですが、
その両方を見失ってしまっている。
卑屈なまでの自己アピール合戦を大変見苦しく感じます…

昔、某怒れる漫画家が「落ちぶれても元上流家庭~」と語るキャラを出してましたが、
こういう時代だからこそ、必要なのは「武士は食わねど高楊枝」的な
「矜持(プライド)」を持つことではないでしょうか。
どこまでも矜持(プライド)を傷つけあう社会だからこそ、
決して敗れぬ矜持を持つこと、そこが人間を人間たらしめるように思えます。


世界的には地球環境問題ですかね。
グレタさんに対して、各国首脳を始め、色々と舌戦を繰り広げていますが…
なんつーか、大人げないよなぁ、と。
子どもはそれぐらい純粋で真っすぐな方がいいじゃんと思うわけでして。
とはいえ、今後グレタさんが成長するにつれて、今のままではいられない。
世界の人々に受け入れられる現実的な環境問題対策を考えなければならないわけで…
今はそれを大人任せにして構わないのでしょうが、
未来はそうではないことは間違いありません。

ぶっちゃけ、同じような問題は30年前の日本人も直面していたわけで…
ちょうど世界の環境問題の先駆けとなった京都議定書が調印された頃ですね。
あの頃はあと10年で石油が枯渇すると言われ、
ある意味では、今以上の危機感がありました。
でも、それは危機感としてしか存在できず、その後に日本のバブルが崩壊すると、
地球環境問題に取り組む余裕もなくなり、
リサイクルや『もったいない』の精神こそ定着したものの、
環境に対する意識は下がったままと言えます。
まぁ、勿論、日本は四季折々で気候が一定せず、
ヨーロッパほどに環境エネルギーの利用が進まなかったという面はあるのですが…
それ以上に問題となったのが経済のグローバル化でしょうね。

グローバル化と地球環境問題は完全には両立しません。
当たり前ですが、輸送距離が増えれば増えるほどに、輸送コストと燃料費が嵩み、
経済的には需要供給を調整できても、環境的にはバランスが崩れます。
日本の食料自給率は下がる一方ですが、アメリカや中国から輸入するよりも、
日本で生産して消費した方が、コストはともかく環境的には良いに決まってます。
過去に地球環境問題が深刻化しなかったのは、
今よりも社会がクローズドしていたからであって、
ほぼ無限に広がった現在のネットワークでは環境的には非効率化が進む一方なんです。

今、環境的に必要なことは地産地消を進めることでしょう。
地域経済を立て直し、コミュニティを立て直すことで、
社会の規模をコンパクトにまとめることです。
このまま地域コミュニティが崩壊したままに、グローバル化を推進すれば、
環境的に非効率な生産と輸送が繰り返されるだけで、
エネルギー問題は一向に解決しません。

そういう意味では、私達に今、求められていることは、
飛行機に乗らないことではなく、スマホを破壊することに他なりません(苦笑)
まぁ、それは冗談としても、
グローバル化に既に飲み込まれてしまった地域コミュニティの再生こそが、
地球環境問題を解決する唯一の方法のように思えます。

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