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対北朝鮮政策の失政

K美「私、N男とヨリを戻そうと思ってるの…」
J子「ダメよ~ダメダメ! N男に何度騙されたと思ってるの?」
K美「彼、今度こそ真面目にやるって言ってるの。今度こそ上手くいくわ」
J子「待って、信じちゃダメよ?
   あなたがいくら尽くしてもN男は感謝なんてしないわ。
   あなたのことを金づる程度にしか思ってないのよ?」
K美「彼のことをそこまで悪く言わなくたっていいじゃない!?
   あなたに彼の何が分かるっていうの!?」
J子「なら、好きにすればいいじゃない!?
   騙されたって知らないんだからね! 絶交よ!!」

……
………にしか見えないんですが(苦笑)

平昌五輪を皮切りに、韓国と北朝鮮の対話が進み始めた時、
日本政府を中心に「時間稼ぎ」の論調があまりに強すぎて、
北朝鮮が「本気」で対話を始めた可能性を否定し過ぎたように思います。
河野外務大臣や安倍総理の一連の対応も、「時間稼ぎ論」に終始しており、
逆に手柄を立てた韓国に対して「騙されるな」と空気の読めない発言をして
ひんしゅくを買あった挙句、軽々しく「ミサイル発射の兆候」とか口にしてしまう…
終いにはアメリカから「そんな兆候はない」と否定される始末…何を根拠にしてんの?

どこか「北朝鮮との対話など上手くいくわけがない」と思い過ぎている気がします。
(もっとも、実際に上手くいくかは、まだ五分五分以下だと思いますが…)
対話が始まった頃は「時間稼ぎに騙されるな」と言い、
対話が上手く回り始めると「制裁の効果だ」と強がる。
対話に関しては何もしてない癖に、「騙されるな」と文句だけを垂れ、
対話の成果は「圧力のおかげ」だと公言する…恥ずかしくないのか?
それじゃ他人の悪口を言って友人面してる気にくわないアイツと一緒じゃないの?

昨年の国会でも圧力一辺倒を主張する安倍政権に対して、
いわゆる「出口戦略」を問うても、「仮定の質問には答えない」と拒否してましたが、
森友学園問題と同じで、政府は何も考えておらず「無策」だったと言わざるを得ません。
北朝鮮が交渉にスタンスを変えた時にどういう対応を取るか、
しっかりと考えてきたのか?
実際に昨年も拉致問題を突破口に水面下で交渉を求めてきていたようですが、
結局、それも疑心暗鬼で信じ切れずに交渉の糸口をなくす有様…
結果として交渉に完全に置いてきぼりですよ。
もはや日本のメンツが保たれるためには、米朝会談が失敗して戦争が勃発し、
日本国民の多くの命が奪われてしまった時に「それ見たことか?」と言えるわけで…
そう安倍総理に言わせてしまう最悪の結末しか残ってないのでしょうか…?

拉致家族会が安倍政権に対して拉致問題の解決を求めるのではなく、
トランプ大統領に解決を求めるように言伝を頼むのも、政府の無策を象徴してます。
既に拉致家族会は安倍政権を見限っているということでしょう。
まだトランプ大統領の方が期待できると思ってしまう、
対北朝鮮政策の失政がここに来て目立ちつつあります。

とはいえ、日本と韓国とでは事情も多少異なり、
実際にミサイルを撃たれている方角は日本でもありますから、
警戒を緩めることができないのはよく分かります。
日本は韓国と北朝鮮との対話は戦争回避のためと支持しつつも、
平和交渉がまとまるまではミサイル実験に備えて警戒を怠らない、
そういう姿勢を国際的にもっとアピールしなければ、
ただ「交渉に出遅れて、ひがんでるだけ」と貶されかねません。

交渉開始時の河野外務大臣のスタンスが誤解を生みかねないものだっただけに、
外交的スタンスを再検討し、誤ったメッセージにとられないように配慮する必要があります。
今のままでは日本が和平協議よりも戦争を強く望んでいる、そう取られかねません。
(安倍政権としては面子が立つそちらを望んでるのかもしれませんが…
 先も書いたように、その結果は日本国民の多くの命と財産が奪われる結果になるのは明白)

…ま、もう手遅れっぽいけどね…
米朝会談が成功した場合は、安倍政権が責任を取って辞職し、
「歴史修正主義者の戯言でした。スイマセン」と謝るしかないと思うのですが…
それぐらい外交的に追い詰められていることを自覚した方が良い。


◆ニュースネタ 廃棄したはずの陸上自衛隊の日報を発見
もう官僚の「情報隠し」と「改ざん」は日常的に行われていると考えるべきかもしれません。
つまり、内部でしか流通しない情報なんて、そもそも隠す必要がないのだけれども、
これが野党議員や民間団体から情報公開請求を受けると、
個人情報を黒塗りにする感覚で、都合の悪い情報や不必要な情報はカット、
真っ黒にスリム化された当たり障りのない情報を公開していた、としか思えません。

官僚の中で「情報公開」するという意識があまりに足りなさすぎるのではないでしょうか。
このままだと財務省を始め、あらゆる省庁を一度解体し直し、
原則的に公文書は全て情報公開するという姿勢で、組織の立て直しを図るべきでしょう。

んー、昨年10月は小池都知事の希望の党ブームが颯爽と登場して消えて行きましたが…
今のタイミングで希望の党を起こしていたら、もっと一大ムーブメントを作れたのではなかろうか。
そういう意味では手柄を焦ったとも言えますねぇ…
あ、今更、民進党と希望の党がくっついても誰も期待しないよ?
勘違いしなさんなよ?(苦笑)


◆ニュースネタ 自民党議員がマタハラ発言か?
もはや、このニュースに対する反応自体が『マタハラ』だと思うんですが…
結局は優先順位の問題。
こういう反応を見ていると、やはり男性は「仕事」>「出産」と考えがちだと分かり、
それ自体がもう『マタハラ』を呼んでるとしか思えないのですが。
国策にもよると思いますが、今の少子化の時代なら「出産」>「仕事」じゃないの?

このニュースに関しても詳しい経緯が書かれてないので分からないのですが、
「妊娠」がどの状態を指すのか確認しなければなりません。

①雇用1ヶ月後に産休(予定日の6週間前)=妊娠8ヶ月以降?
⇒個人差もあるでしょうが、妊娠後期で早産の恐れも考えられるので、
 雇用契約時に既にお腹が大きくなっていたと思うのですが…
 産前休暇を取ること自体は個人の自由であるため、
 妊娠を把握しながらもギリギリまで働くことで双方納得していたのか…
 いずれにせよ、雇用側が1ヶ月前には妊娠を把握できたと思うので、
 産休を与えないというのはおかしいと思うのですが。

②雇用1ヶ月後に妊娠を自覚し、将来的な産休をお願いした場合=妊娠4ヶ月以前
⇒最近話題になっている保育士の「妊娠順番」のケース。
 それをおかしいと思うのか、仕事の便宜上仕方ないと考えるのかで判断分かれますが、
 上記の優先順位をどう考えるのか、今の時代なら「出産」優先でしょう。
 これもマタハラの一種に当たると考えるべきでしょう。

③妊娠中期前後で、やはり将来的な産休をお願いした場合
⇒妊娠は個人差が大きいので、お腹がまだ目立っていない場合や、
 つわりが酷く、仕事を休まざるを得ない場合もあると思います。
 実はこれが一番厄介なケースで、世間的には「まだ働けるだろう」と思われ、
 本人としては「体が辛い」と思うギャップに苦しむ時期でしょう。
 それぞれ妊娠環境も違うでしょうし、メンタル的に不安定になりがちで、
 本来ならもっとも精神的ケアを必要とする時期と思われますが、
 産休等のケアが一切ないのが辛いところ。
 個人の状態に合わせて「配置転換」や「休養」を与えるなど、
 職場の善意が期待されるところですが、
 それがない場合が『マタハラ』になるケースだと言えましょう。

いずれにしても、『マタハラ』になるケースは多いと思われます。
妊娠は個人によって違うだけに、
画一的な対応をすることは逆に『マタハラ』を誘発します。
例えば、産休期間に入ったとしても体の影響が少なく、負担の無い仕事ならば、
仕事をそのまま続けたいと思う妊婦さんもいるでしょうし、
そういう人に仕事を与えずに、強制的に休ませるのもやはり『マタハラ』です。
妊婦の意思をよく確認した上で、
出産を不安にさせないケアが職場に求められている時代だと言えます。


あと『人手不足』というのも、どうなんだろうと。『人手超不足』でしょ?
バブル崩壊以降、人件費を切り詰めることが良い経営者と持て囃され、
職場はギリギリの人数、もしくはより少ない人数で回すことが美徳とされたわけで、
その流れのままに『人手不足』ということは、
完全に仕事が回らない状態を指します。
そんな状況では、有給や育児休暇は認められにくいですし、
裁量労働制を導入しても、働かせ放題プランになるのが落ちです。
根本的な労務管理の改善が必要で、
常に余剰人員でバックアップ体制を取りながら回す「ワークシェア」の発想抜きに、
働き方改革など実現するわけもありません。
その視点がない改革は「働かせ放題」にしかならんわけですよ。

仮にその議員に先見性の目があったのならば、
産休も簡単に取れないような『人手不足』の状態で仕事を回してないですよ。
つまり、その程度だったということ。
人件費を切り詰めて、休暇なしで働かせることが美徳だと考えていたことの証左です。


◆ニュースネタ 静岡市が津波浸水想定区域の表示を撤去
伊東市が景観保護を重視して、防潮堤のかさ上げを行わないことを決めたり、
地価が下がることを懸念して、地すべりの危険区域を拒否したり…

なんつーか、これって東日本大震災前の東京電力と同じじゃないですかね?
巨大地震や津波が想定されても、来る確率は低いからということで後回し、
結果、大津波が襲来してメルトダウン…
景観や地価下落と人命、それは天秤にかける必要もないはずですが…

そもそも、両者は比較できるものではない。選択の余地などないはず。
人命が優先された上で、地価は評価されるべきですし、
景観や観光も成り立つわけです。
一体、誰が安全でない観光地に行くのか? 分かり切ったことです。

結果として伊東市や静岡市が津波被害に遭ったとしても、
「自業自得」としか思えません。
自ら「生」よりも「死」を選択したのだから同情なんてしませんよ。
選択の余地など最初からないことに気付いてほしいです。
人命が最優先でしょ? 人命が確保される街づくりが基本でしょ?

それと海岸沿いの土地利用として、
野球場はまだ観客席の分だけ高さが生じるから良いとしても、
サッカー場を作るとかはどうなんでしょうか? 平面じゃねーか。
スポーツをやる人は他の人よりも足が速いから逃げられるとでも?
逃げられるわけないでしょ、というのが東日本大震災の教訓だったはず。
喉元過ぎれば熱さを忘れるでは済まされません。

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