書き込みテスト3
人がいないうちに、堅い文章を投入~(爆)
◆「世代を重ねる意味」
「世代を重ねる意味」という言葉が忘れらません。
富野アニメの『ブレンパワード』での言葉だったと思うのですが、
(アニメ版は見てないので不明、マンガ等で知った程度)
そこで何が語られたのかは正直覚えていないのですが、
その言葉だけは忘れられないでいます。
当時はその意味が分かりませんでしたが、
おぼろげながらその意味が分かってきたように思います。
人は何故、生き、老いて、死んでいくのか。
人は何故、新たな生命を育んでいくのか。
生物が生殖行為を行い、新たな生命を生むのは自明の理であり、
生殖本能であるとされて、誰もが疑問を持ちません。
しかし宗教が神や仏という存在を掲げ、全ての現象に意味を持たせようとするならば、
自明の理としていた生殖行為、人の誕生・死といったものにも意味があるはずです。
子を産んで、死んで、またどこかで子が産まれ、誰かが死んでいく。
長きに渡るこの世代の連なりにどんな意味があるのか、
それは人間の存在そのものに関わるものでありながら、答えの出ない禅問答です
私達は何故生まれてくるのか。宗教は神・仏に生かされていると説きます。
では生かされている理由は何なのか、
ある宗教は修行のためだと答え、苦行を勧めたり、出家や解脱することを説きます。
では死ぬのは何故なのか、修行するのに老いや死は必要ないのではないか?
いつまでも若く元気である方が修行には効率がいいはずです。
けれども人間は老いて、死んでゆく。時には老いることも許されずに死んでいきます。
人が老いていく意味、人が新しい生命を育んでいく意味、
世代を重ねる意味はどこにあるのか、それを考えていました。
若者には不知だからこそ突き進める無謀さと勇気があります。
老人には知っているからこそ、知っていても体力等の限界でできないもどかしさと、
経験があるからこその慎重さを持っています。
人は歳を取るにつれて経験を経て、色々なことを思います。
老人は若者よりも多くのことを理解することができますが、
同時に若者の時の記憶を忘れてしまうからこそ他者を思いやれない時もあります。
老いるとは多くのことを経験し、理解することであり、
また若い頃の記憶を失っていくということでもあります。
理解することができ、理解することができなくなって… いつしか死んでゆきます。
若者は知らないからこそ、老人を理解することができません。
そしていずれは自分も老人になるということが想像できません。
彼らは老いて、かつての両親や老人と同じ歳になって初めて彼らを理解し、
そして理解した頃には若い記憶を失い、老いて死んでゆきます。
もし老人が若い頃の記憶をできるだけ持とうと思っていたなら、
若者がいずれ自分も老人になるということが想像できていたなら、
彼らは互いに思いやり、新たな展開を見せていたかもしれません。
人はいつしか自分の今現在の立場・年齢だけで物事を考えるようになってしまい、
在りし日の自分、いつか見えんとする未来の自分を失ってしまいました。
あー、ちょっと説明が上手く行かなかったので、収拾つけずに省きます(爆)
「世代を重ねる意味」とは他人をより多く理解することであり、
人生修行の新たな局面・変化を生むことです。
同じ環境に長く居続ければ、人は何も考えなくなってしまいます。
歳を取り、立場が変わり、子どもから親になって、そして年老いて、
環境が変わっていくことにより、多くのものを考え、
より多くの人を理解できるようになるわけです。
しかし人は歳を取るにつれ、忘れていきます。
それが単純な記憶だけなら問題ないのですが、
人は事物の出来事よりも先にその時に自分が思った想いを忘れていってしまいます。
それが他者への理解を阻むことになってしまうわけです。
私達が死んで残るものは何なのでしょうか?
あの世があるのかどうか定かではありませんが、
仏教では三途の川にてこの世で持っていた全てのものを捨て去られます。
(まぁ、生前の持ち物で渡り場所が違うとかいう貴族向けのもありますが)
死んで消滅してしまうにしても、少なくとも今もっているお金・物は失われます。
あの世に行こうが、消滅しようが、
残るものは自分の中の、もしくは他者に遺した想いだけです。
人生の目的は何かと問われれば、それは多くの物・者を想うことなのでしょう。
先人達はそう考え、生きて、死んで、世代を重ねてきました。
治安の悪化が言われているとはいえ、
少なくとも私達は突然殺されることは稀な出来事と思っていますし、
アフリカ諸国を始めとして多くの地域で紛争が続いているとはいえ、
先進諸国の表立った戦争は第二次大戦以後ありません。
世代を重ねるにつれ、愚かながらも少しずつ他者を理解し、または自分を理解し、
それを後世の人々に伝えていきました。
世代を重ねるという意味は、他者・自分への理解に他ならないのです。
先に書いたように、今の私達はその「世代を重ねる意味」を忘れつつあります。
自分が若かった時を忘れ、自分が老いることを忘れ、自分が死ぬことを忘れ…
かつての自分は何を想っていたのか、将来の自分は何を想っているのか、
自分が親になった時、子どもの頃の自分は何を想っていたのか、
親と同じ年齢になった時に両親は何を想っていたのか。
もっと「世代を重ねる意味」を理解しなければいけないように感じます。
死という卒業式を迎えた時、どれだけの想いを抱えているのか、
それを考えながら私は生きていきたいと考えております。
…ってな感じの真面目モードになるのも、Scarlett3章のおかげか(^^;