「無駄」の削除
●“雲隠れ”の国分太一「ただのパワハラでない」日テレが一発退場を即決したコンプラ違反の“中身”
まるでどこかで聞いたような話ですね…
昨年、TBSラジオを降板することになった生島ヒロシ氏と一緒か…
結局は「程度による」としか言いようがなく、
これぐらいで番組を追われるようになったのも時代の変化か…
今後は関わり合いのない当たり障りのない芸能人でないとダメなのでしょう。
その生島ヒロシ氏が去った後のTBS系の朝ラジオがどうなったかと言えば…
政治・ニュースはほぼ言及せず、当たり障りのない話題と音楽で誤魔化すラジオに…
まるで聞きどころのない、一切記憶に残らないラジオ番組になりました。
その中でも個人的に最悪なのは、食事コーナー。
最近はASMR等で咀嚼音が持て囃されていますが、私は非常に苦手で、
例えるなら、他人の吐いたゲロを食わされてるような感覚になります。
好感度の高い人なら構わないんですが…
知らない他人の咀嚼音は苦痛でしかありません。
だからその時間だけラジオを切ることが多くなりました。
占いコーナーも朝一に戻りましたし、
もはや1時間も聞く価値なく、10分聞いて終了ということも…
朝のリズムを容赦なくぶち壊してくれて、ありがとうございます。
おかげさまでラジオから解放された日々を送っています。さようなら、ラジオ。
テレビも既にそうなっていると言えば、そうかもしれませんが、
この傾向は今後も続くと予想され、
そのうちラジオやテレビを視聴する人はいなくなるでしょう。
その時になってようやく窮屈になり過ぎたことを自覚するのかもしれません。
無駄こそが面白みなのであり、無駄を削いだものは興味を失わせます。
無駄のない番組は我々の心を打つことは一切なく、
ただの環境音と化すことでしょう。
◆ニュースネタ 石破首相の「消費減税は金持ちほど恩恵」発言にネット紛糾「詭弁オブ詭弁」「消費税を理解してない典型」
既に消費税を学ぶ時に「逆進性」も教わっていますから、
大学生だけでなく高校生レベルでも知っててもおかしくない話。
それで国民を誤魔化せると思っているなら、国民を舐めてるとしか思えません。
一言で説明すると、明日から課金ガチャが半額になりますと言ったら、
絶対的金額で言えば、得をするのは重課金勢のはずなんですが、
相対的に得を感じてガチャを回す気になるのは、微課金・無課金勢の方ということです。
消費税は払った金額で負担が決まるので、
絶対的にお金を使った人ほど負担していることになります。
その意味で、お金を使う金持ちほど消費税の支払いが減るのは間違いありません。
ただ、相対的な負担、収入における消費の量を考えれば、
金銭的余裕がない方、生活費に消える割合が多い人ほど減税の恩恵を認識します。
要は、消費税減税で絶対的な金額が下がったとしても、
金持ちは元から金額を見て買っていないので、恩恵を被ってる意識はなく、
貧しい人ほど安い方を買わざるを得ないので、より恩恵を認識することになります。
金持ちは1500円の物が3000円になろうとも買いますし、
逆に貧しい人は3000円の物が1500円になったら、お得だと思うわけです。
また、別の言い方をすれば、消費税は物を持っていない人ほど負担が大きい税になります。
だから高齢者よりも若年層の方が相対的な負担は大きくなります。
高齢者は消費税が上がったので、今の家に住み続け、車も使い続けようと思えても、
若年層は家も車も持ってなければ購入せざるを得ません。
一般的に高い物ほど長く使える傾向にあり、安い物ほど使い捨てになる傾向があるので、
金持ちほど消費をケチることができ、貧しい人ほど消費を削ることができなくなります。
よって、相対的な負担は金持ちよりも貧しい人の方が重くなるわけです。
実際の消費税を支払った量を考えれば、
「金持ちと」いうか、正確には「お金を使っている人」ほど「負担」が減りますが、
相対的な「恩恵」という観点で言えば、「貧しい人」ほど減税効果を受けやすいとなります。
これが消費税の「逆進性」の議論です。現在では常識になっています。
ですから、それで誤魔化せると思っている石破総理は何ともお粗末としか言いようがありません。
逆に消費税減税をしたくない別の理由、
要は消費税を元に戻す・増税する際の反動を怖がっているのが明らかですよね。
いいじゃん、別に政権を失うだけなんだから。
政権交代がないことが、政策の思い切りを否定しちゃっています。
先(反動)を見て何もできなくなっているのが今の自民党だと言えましょう。
ガソリンの暫定税率もそう。やる理由よりもやらない理由の方を探しているようにしか見えませんね。
まず、やろうということで国民民主党と一致したのではないの? 「やろう」はどこ行った?
◆ニュースネタ 「国政選挙はもう考えてない」蓮舫 参院選出馬表明に呆れ声…過去にもあった“前言撤回”
山尾氏の次は蓮舫氏だとメディアは騒いでますが…
いや、何かしたか?
何かやらかして国政選挙には出ないと言ったなら分かりますが、
都知事選に出るために参議院議員を辞めただけなら何も問題ないのでは?
問題を指摘するとすれば、「そこ」ではないでしょう。
批判するべきは、昨年の蓮舫氏の辞職によって「合併選挙」になっている点でしょう。
●2025年日本の補欠選挙
つまり、定数の多い都市部の選挙区の場合、
欠員が2人以上出ないと補欠選挙をやらない規定になっているようです。
昨年の都知事選に伴う蓮舫氏の失職により、欠員1状態になりましたが、
それは規定によって補欠選挙が行われず、補充されないまま今日に至ります。
結果として、今回は「合併選挙」となり、
改選6議席(任期6年)+欠員補充1議席(任期3年)となります。
本当は6人受かる所を、もう1人受かるわけですが、その人は任期3年です。
仮に蓮舫氏が6位以上で当選したとすれば、任期は6年、7位の人は任期3年。
蓮舫氏が辞職していなければ、仮に補欠選挙で再当選していれば残り任期3年が、
他の当選者に回ることになるわけです。
果たしてそれでいいのか? という批判はあるでしょう。
まぁ、これは参議院選挙のシステムの問題であって、蓮舫氏の責任ではありません。
とはいえ、1議席の欠員を生じさせた政治倫理的問題は残っており、
そこは追及されても致し方ない面はあるでしょうが、
現時点でそこを批判している人は誰もいません。的外れ。
まぁ、でもこの規定からすると、
埼玉・東京・神奈川・愛知・大阪の5県で1人ずつ欠員が生じても補充されないわけで、
定数-5人少なくとも参議院は問題ないと言っているようなものでして…
5人いなくてもいいなら、もっと定数減らせばいいのでは? と思わなくもないです…
◆アニメの話『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』
今年の春アニメの感想はそれぞれ書いてますが、
ジークアクスだけ長文になっちゃったので、先行する形で掲載することにします。
全体の総評は後日行うことにしますが、一言でいうと「日常アニメ」が面白かったよね、という感じ。
裏を返せば、非日常に憧れた少女の物語は…
言うまでもありませんよね? 大事なものを見失っています。
▲『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』
逆シャア・アムロ「エゴだよ! それは!」
僕がサンライズよりも上手くガンダムを作れるんだと言わんばかりの意欲作の末路は…
ガンダムもどき… それ以外の言葉は不要でしょう。
見た目からして明らかにエヴァっぽく、戦闘シーンを見てもピンと来ず、
終盤のシャリアブルの戦闘シーンでようやくガンダムらしくなったと思ったら…
最後は、「あぁ、やっぱりガンダムもどきじゃん」、と。
ガンダムであってガンダムではない。パチモンを見せられた感がします。
それなりに楽しめはしましたが、好きかと言われると、嫌いと言わざるを得ません。
最大のネックは登場キャラの心理の変化が理解できないことです。
なんつーか、感情のジェットコースター、
これはニュータイプじゃないと理解できないということでしょうか?
例えば、主人公のマチュがシュウジに憧れる気持ちは分からなくもないけど、
わりと唐突な感は否めなかったし、ララァに関して言えばもっとそう。
どうして最終的にシュウジ<<ララァになるのか、理解不能です。
ニャアンにしても、どちらかと言えばマチュとの友情を意識してると思いきや、
マチュがシュウジに拘りだすと、マチュ<<シュウジに行動理由が変化するし、
キシリアが挟まってくると、さらに複雑に変化してるのに、最後はやっぱりマチュ。
そりゃ、好きな人の好きな人を意識するというのは分かるけれども、
人間関係が複雑に変化した末に、バトルで戦い合うのは何なのか?
それこそ不良が河原で素手で殴り合うかのように、
モビルスーツでサーベルやライフルをぶっ放す神経は理解不能です。それ殺し合いでは?
何も知らない子どもが核ミサイルで遊んでいるかのようで…怖すぎ。
ひょっとしたら戦争ではなく、クランバトルの延長上で考えているのかもしれませんが、
あまりにサイコパス過ぎて、常人では付いていけません。
これはニュータイプじゃないと理解できないとかではなく、
単純に描写不足であり、説明不足でしかなく、
本作品の評価を高められなかった最大の理由だと思われます。
心理描写で言えば、最終話のシャリアブルの行動も完全に説明不足。
そりゃ視聴者は逆シャア見てるから理解できるんですが、
あの時点でそれを察するのはニュータイプでも無理な話。
そこで気づけるなら、Zの頃にアムロがもっと注意してるでしょ。
あまりの変心ぶりに、こちらも「へ?」という感じで全く付いていけませんでした。
シャリアブルの戦闘シーンは純粋に良かったんですけどねぇ…
結局、ガンダムの「外伝」にもなれず、完全な「もどき」止まりという評価です。
ifストーリーをやりたい気持ちは分からなくもないけれど、
ガンダムはシリーズ物であり、既に続編があるわけですから、それは通用しません。
仮にジークアクスが正史になったら、ZやZZ、逆シャアやユニコーンはどうなります?
既にポケットの中の戦争と0083が台無しになっているのに、それ以上に壊しますか?
これでは単なる「破壊者」です。
後から前日譚を作るケースは、先の0083やオリジン等がありますが、
あれらは既存の作品を否定せずに、上手く当てはめたから高く評価されたんです。
また、「外伝」で言えば、ゲームで発売された『ブルーディステニー』が、
ユニコーンのNTDによってEXAMシステムが注目を浴びることになり、
正史に組み込まれるほどの存在となりました。
それらと比べて、ジークアクスはどうでしょうか?
現状では「外伝」にもなりきれない所か、最初から放棄してしまっています。
並行世界の話だからと、好きやっても構わないという驕りを感じずにはいられません。
続編を作るのかどうか知りませんが、せめて「外伝」になれるようにして欲しいです。
(以下、重度のネタバレを含むので、追記に記載)
ガンダムファンなら気になるのが、ガンダムシリーズとの絡みですが…
想像以上にゴチャゴチャしていて、正直よく分かりません。
最終話の会話からすると、本作の世界自体が向こう側の「ララァ」が作った世界のようで、
簡単に言えば、『シュタインズ・ゲート』みたいなことを「ララァ」がしてると。
では相対性理論の「観測者」である「ララァ」がいなくなった世界線はどうなるのか、
神なき世界はどうなるのか、
観測者不在の世界は登場人物を新たな「観測者」として機能し続けるのか否か?
一応、本作品では「世界は継続する」という考えで作ってるのでしょうが…
まぁ、どうなるんでしょうね?
アニメの『グリッドマン』では崩壊の道を歩んでましたけど…どうなんでしょうね?
もう一つの問題は、「ジークアクス」の正体です。
最終話からすると、ジークアクス自体も別の世界線から来たようですが、
それにも関わらず、「ララァ」はジークアクスは回収せず…
ジークアクスを残した理由は何なのか、
そもそも「ララァ」と関係ない、さらに別の世界線から来たのか?
最後に覚醒状態でアムロの声がしたのも気になります…
初代ガンダムとの絡みで言えば、向こう側の「ララァ」も初代の世界線ではなく、
それではあなたはどこのララァなの?という疑問が生じてしまいます。
初代ガンダムではララァがシャアを庇って戦死(明確に死ぬ)するわけで、
そもそもシャアの命はララァの犠牲の下で残っているわけです。
そこも本作品に感情移入できない点の一つで、
「ララァ、お前がかばって死ぬんだよ!」とみんな思っていたでしょ…
結果的にそのことが新たな悲劇を生むから、
その選択肢を回避したいというのなら分からなくもないんですが…
どう頑張ってもシャアを生き残らせることができない「ララァ」の苦労が、
初代ガンダムを見ている人には1ミリも伝わってきません。
さすがに『シュタインズ・ゲート』のようにはいかず、全く感情移入できません。
まぁ、無理にねじ込むとすれば、「ララァ」が元の世界線に戻って、
シャアを庇って死ぬことになる、つまり初代の前日譚と理解することもできますが…
それはあまりにも嫌な解釈じゃありませんかね?
それこそシュウジに殺されてループを繰り返していた方がマシでは…台無しすぎる。
序盤の展開で想像していたのは、ニトロプラスの『デモンベイン』型ループ。
初代ガンダムシリーズの逆シャアのアムロがサイコフレームで世界線を越え、
「アムロ」はテム=レイとしてガンダムの開発に携わり、
「シャア」はジオン=ダイクンとして宇宙理論の立役者として生き、
次のアムロとシャアに世界の行く末を託しているのでは、と考えていました。
どこかにループの終結点があり、そこを繰り返しているのかなぁ、と予想してました。
でも、そこにララァが絡んできたり、
最後に登場したのがνガンダムではなく、原作ガンダムだったりして、
自分の解釈は成立しなくなってしまいました。
ただ、本作品の悪く言えば『「ララァ」の夢オチ』とどっちが良かったのか…
そう考えると、ジークアクスの正体は、
アムロとサイコフレームで同化したνガンダムという可能性も残っていて、
あの「ララァ」とは別の世界線から来たアムロ、我々の知るアムロの可能性も…
なんだか余計に世界線が入り組むことになってしまいます。
なんなんでしょう、あらゆる因果が集まるゴミ捨て場みたいな世界線は…
結局、12話という尺はあまりにも短すぎました。
人間関係もそう、世界の謎もそう。あまりにも性急すぎて付いていけない。
まぁ、「そう解釈もできるよね」と納得できたとしても、
感情移入できるかと言えば、全く話は別で、
そこが面白さを半減させている最大の理由でしょう。
なんか国語の授業で小説を読まされてるような感覚でしょうか?
作者の想いとかどうでもいいから、内容を楽しませろ、と。
アニメの本来の面白さを削った末路がこれだとすると…うーん…
やっぱり無駄なものほど、蛇足なものほど面白いと、今期の日常アニメと比較してそう思います。