■曹 子文
曹操の三男。名は彰。
勇猛果敢で、おそらく曹操の子供の中で一番武芸に長けていたと思われる。
主に異民族征伐に従軍していた。

曹操が学問を勧めるに当り、側近に対し愚痴をこぼしているが、
その中で衛青、霍去病に対する敬慕が見え隠れしている。
剛勇な反面、厳格なところがあったらしい。
子供の頃から先陣を切って功績を立てることを願うと共に、
軍中での「信賞必罰」を目指していたという。
曹操の子供の中で、一番自分のやりたいことをはっきりと貫いていた様にも思える。

曹操死後に主導権を握ることを目論んでいたのか、その死に際して軍を率いて洛陽入り。
しかし、賈逵の説得で撤退。
そのこともあって、文帝の時代にはやはり曹植と同じように冷遇された。
任地に赴く際に曹植のことを気にしていたというが、
曹丕の心根を良く知ってのことなのだろう。
「魏略」では曹丕よりもむしろ曹植に心を寄せていたような雰囲気が強い。

程なくして急逝している…曹丕の態度に憤怒して急死したとも言われている。

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