■曹 子建
曹操の四男、曹植。
中国文学を勉強する上で、曹操、曹丕、曹植の3人を外すことは出来ない。
なかでも、植が一番才能が豊からしい。

その才によって曹操は後継者選びで大きく悩まされることになるのだが、
記述を追えば、曹植の才能にほれ込んだ周囲の知識人が
勝手に大きく話を盛り立てたようにも見えてしまう。
だが、曹植の意図はどうだったのだろうか?

正史では軽率な行動を取り、慎むべき行動を慎まず、
果てに曹操および曹丕が諸侯を信頼できなくなる原因まで作ってしまったが…
見方によっては、当初は植が政に積極的に加わろうとした流れは存在していない。
むしろ政治への細かい要望を唱えるようになったのは曹丕の時代からで、
それまではただひたすらに文学を追い続けていた姿の方が顕著である。
とはいえ、曹丕が自分に対して策を講じてきた時点で明確な反応を示さなかった事は、
後々に魏の極端な封建制度を生んでしまった、重大な過失といえる。
立場・思想を明らかにし、自らの行動で示していれば、
あるいは後のような事態には陥らなかった可能性もあるのだから。

曹丕が皇帝になってからの曹植の人生は生き地獄そのもの。
幾度となく国替えをさせられ、兄弟間のやりとりは上奏と詔勅のみという、
普通の臣下と同レベルのもの。
この諸侯への極端な冷遇が魏を滅ぼした第一の要因とまで言われるが、
元をたどればこの兄弟の身から出た錆といえる。非常に残念。

正史の曹植の伝は、色々な知識人の評から曹植の兄弟や国への願いなどなど、
かなりの読み応えがあり、ある方面では諸葛亮伝に匹敵するものがある。
王粲伝と並べて読むとなお興味深く読めるだろう。

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