■曹 文烈
名は休。

対呉戦線ばかりに登場するが、演義にも充分登場しているので
それほどの説明も要らないかもしれない。
本当に弓の名手かどうかは謎であるが、背中に腫瘍が出来て死んだのは本当らしい。
どういう病名なのだろうか……

曹丕・曹真とは若い頃から机を並べて学んだ仲。
曹操もその力を買っており、真・休ともに曹丕の補佐として英才教育を施したのかも。
お互い血のつながりは無いが、曹真・曹休は文帝から誰よりも信頼されていた。
それは東西の司令官として任されていることからも明確。

曹真は大将としての責務を全うしたが、
曹休の大将としての器量の限界は周魴の偽投降の際にも見えており、
軍団の長が適役かどうかは疑わしい。
若い頃から前線で働いてはいたが、満寵や賈逵から見ると
やはり「経験不足」で不安があったという記述が正史に残る。
この2人の機転が無ければ、間違いなく石亭で戦死していただろう。

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