■曹 元仲
名は叡。曹丕の長男で、魏の2代目皇帝、明帝。
両親の確執などが原因で、かなり心細い人生を送ったようである。

蜀と呉に備えて、司馬懿や張郃、曹真・満寵らの進言を良く聞き入れ、
自らも合肥に救援に出るなど、一人の皇帝として明敏な対応が目を引く。

しかし、諸葛亮の死後は安心してしまったのか
大宮殿を作って国家の疲弊を招くなど、あまり良い皇帝とはいえない記録が多い。
曹叡にしても呉末期の孫皓にしても、なぜ土木工事にこだわるのだろう…
自らの威信を見せるのに、一番分かりやすいのが建物類だと考えたのだろうか?

ちなみに、当時において大きな建物を作るというのはまさに一大事業と言えるもの。
魏書・梁習伝に、わざわざ宮殿造営に際して大木を贈ったことが特記されるほど。
裏を返せば、それだけ並々ならぬ人手や労力が裂かれるということになる。
自然を利用することへの竹箆返しは、近代よりも古代の方が明確に読み取れる。

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