■孫 仲謀
名は権。呉の初代皇帝。
割と耐えることに長けているが、その一方で皮肉屋である。
おそらく、張昭とは喧嘩友達くらいのノリだったのかもしれない。両者、少々大人気ない行為があるが。
ひょっとしたら、諸葛亮と魏延くらいに相性が悪かった可能性もある。

劉備と曹操が頻繁に攻め合うのに対して、孫権のやり方はあまり積極的ではない。
それでも、それなりに野心はあるのだろう。寿春へ何度も出撃しては、
張遼や満寵、あるいは魏の君主に奇襲ばかりくらって負けている。
特に、張遼に攻められた時は、何も出来ずに安全な場所で眺めているだけだったらしい。
それ以後トラウマにまでなっている。孫策の遺言は見事に的を射ている。

一方で彼のほめるべきところは、じっくりと構えられるその性質。
特に、屈辱的な行動にたいする忍耐力という点では、他二国の君主どころか
歴史上のあらゆる人物にも勝るかもしれない。
部下の育て方も一級品。猛将を知将に鞍替えさせるという、
曹操や劉備には出来なかったことさえやってのける。

ただ、長生きしてもボケてしまったことが呉にとって大打撃。
晩年のボケっぷりは、袁紹のことさえ思い出させる。
袁紹が田豊を獄死させたところと、孫権が陸遜を憤死させたところは、非常に似通っている。
その上、この問題における史書の評価は袁紹・劉表より悪い。
その後の孫呉の後継者がたどった道程を考えると、
たったこれだけで事件で、呉の運命が決まってしまったといえる。

もう一つ。
少し考慮してみたい孫権の一面。
基本的に武将を大事に扱っている。
しかし、呂蒙・凌統・朱然らが病床に伏すと千金をかけてまで医者を募り、
陳武が戦死したときには、その愛妾を殉死させるという奇行に及んでいる。
正史では、注釈人たちがこのような孫権の行動を「天下を取れなかった理由」として激しく批判。
引用されてる故事を要約すれば、
「一国の君主のとるべき・考えるべき行動としてふさわしくない」ということになるだろう。
殉死はともかく、決して、部下の死を惜しむことが間違っているわけではない。
とはいえ、こういう局面でどこまで感情と行動を両立させられるか…
義とか忠とかがうるさい筈の古代中国でさえ、ここまでシビアな要求が出てくる。

そこまでして得る必要がある望みなら、むしろ持ちたくないと思うことがあるのは
現代社会に生きる人間の弱さゆえだろうか?

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