■荀 公達
名は攸
演義で末路が変えられている、軍師としては珍しい人物。
荀彧の甥にあたるが、年齢はこっちのほうが6つほど上になる。
董卓暗殺を目論んで、投獄されたこともある。
荀彧が留守役なのに対して、荀攸は専ら前線で戦術を練ることが多かった。

その末節の話。
演義では、曹操が王位を得る時に反対した挙句、曹操に脅されて死んでいるが、
実際、荀攸自身は魏王即位以前に病死。

おそらく、曹操の王即位と荀攸の病死の年代が近いので、強引に脚色されたのだろう。
また、魏公推挙騒動でひとり反対した荀彧と血縁にあるのも都合よく思われたに違いない。
ただし、荀攸は魏公即位には真っ先に賛同の意を示しており、
ここで王即位に反対するのは非常におかしな話。
ここまで作り上げるのもどうかと思うが…

鐘繇は荀攸とかなり親しく、荀攸の死後にその妻子を全て引き取っている。
また、荀攸の「奇策十二編」の編纂もしていたのだが、
なぜだか鐘繇には完成させることが出来ず、後世に伝えられることは無かった。
荀攸の死から鐘繇の死までの間隔は約15年…斐松之は「非常に残念」と述べている。

戻る