>>荀氏

後漢末の名士を語る際、荀子のことを外してはならない。
袁氏と共に天下に伝わった名族である。

その栄華は、後漢から三国時代はおろか、晋に至るまで続いており、
後に統一王朝を作った司馬氏を除けば、
唯一三国志を生き抜いた一族といっても良いかもしれない。

正史に記される名はその一部。
始まりは荀彧の祖父・荀淑である。博学で品行も高く、
後の党錮の禁の被害者・李鷹らは挙って彼に師事している。

荀淑には子が8人居り、いずれも立派であったので「八龍」と称せられた。
中でも、荀爽の名声は別格で、無官のまま過ごしていたが、董卓が実権を握った際に招聘。
次々に官位が上がり、登用からわずか95日で三公になった。
無官でありながら、それほどまで天下に知れ渡っていたのは、許邵の人物評も関連している。
その許邵に評価された中に、荀靖も居るが、彼は無官のまま生涯を終えている。

荀氏でもっとも三国志に記述が多いのは、荀淑の孫で、荀緄の子である荀彧。
ついで、荀彧の甥に当る荀攸だろう。
穎川はもとより、中原の殆どの知識人および清流派の人士は、
彼らや彼らの先祖と少なからず付き合いがあり、荀彧の心を掴んだ曹操の下には
大勢の人物が集まった。
最初は一族のものだけで立ち上がった曹操が、瞬く間に大勢力となったのは、
こういうつながりを無視しなかったからでもある。

正史・三国志で分かるのはここまで。
特に群雄割拠以後は、時代の名プレーンと呼べる存在だったといえる。


以下、一族の人物について。

荀彧 荀攸 荀諶

荀粲


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