■袁 顕思
名は譚。

殺伐とした性格で、もともと袁紹には嫌われていたらしい。
そのためか、本拠から離れた青州に赴任させられている。
沮授はこれを「災いの元」だと諌めているが、
袁紹曰く「4人の子全てに1州を任せ、その能力を測りたい」とのこと。
つまり、誰を後継者にするのかなんて遠い未来のような状態である。

袁紹が後継として決めあぐねるほどの器だったかどうかは分からない。
沮授の諫言からみれば、そのまま袁譚で十分だと取れなくも無い。
しかし、青州に赴任してからの袁譚の姿は、当時ならばどこにでも居た平凡な乱君。
士人を重んじていたが、人物の任用はおよそ妥当とは言いがたく、
真っ当な政も執らず、本拠への税を減らすために戸籍登録は100人に1人ほど。
その一方で軍備を増強し、北の田楷と南の孔融を圧迫たというのだから、袁術と同じ資質は十分にある。

袁紹の死に当たって、郭図らは袁譚を支持したというが、むしろ審配たちの後手に回った気色が強い。
袁尚が図に乗って後継者を自称したのに対抗して車騎将軍を自称した。
それでも一応袁尚と協力したいという気持ちがあったのか、
最初に曹操と対抗したときには援軍を呼んでたりする。
そこで仲良く助け合うことが出来れば、ひょっとすれば袁尚を認めるという行為も出来たのかもしれない。
軋轢が酷くなったのはほぼ間違いなくこのとき。以後は曹操の計略にはまって滅亡へ一直線。
郭図に脅されて袁尚と争ってたという記述も見えるが、おそらくはそれすらも自業自得なのだろう。

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