■袁 本初
名は紹。
曹操の幼馴染にして、黎明期における最大のライバル。

後漢末の乱を収拾すべく期待された若者…というと非常に聞こえがいいが、
実際にに彼ら名士が歩んだ道のりを追うと、後漢末の乱すらも来るべくして来たものと解されてしまう。
しかも、その場合、結局は曹操の功績の大きさに繋がるだけで、袁紹たちは彼の引き立て役になる。
敗者の歴史の必然とはいえ、少々憐れ。

しかし、歴史変わり目の中心に居たことは間違いない。
その証拠に、建安年間の序盤はまさに袁氏が中心となって中原以北は回っていたのである。
演義では、威張るだけで決断力もなく、配下に振り回されるばかりの間抜け大将になっているが、
北方統一の頃の袁紹は、なかなか立派な大将だったという記述も正史にはある。

正史に拠れば、曹操が袁紹を滅ぼす意向を持ったのは以外に早く、
袁紹・韓馥らが共謀して劉虞を皇帝に押し立てようと誘いをかけてきたときらしい。
また、袁紹は当時の年号が「初平」で自分の字が「本初」であることから、
この動乱を治められるのは自分であると信じていたという。
やはり袁術と同じ血を引いているだけのことはある。

脆くなったのは、後継者争いが浮き彫りになった頃からだろうか。
荀彧や郭嘉の言うとおり、部下については1から10までまで愚鈍であった。
転落人生の典型的なパターン。保身に走る名士に振り回されたのが敗因とはいえ、
現代社会にも似たような話が見え隠れしてきたので、他人ごととも言っていられない。

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