■袁 顕奕
名は熙。袁紹の次男。
一部書物では字を顕突とするものもある。

自分自身は後継となる気がなかったのか、それとも野心の強い2人の板ばさみになってただけなのか、
最初から後継者問題に絡んでこない。
しかし、兄弟の争いを止めなかったという点でかなりの批判を浴びてもいいはずなのだが、
袁紹や幕僚連中がもっとあくどいためにまったく論点にされない。

袁譚と組んだ曹操に敗れた袁尚を匿うも、部下の裏切にあって敗走。
袁尚の案で遠く遼東の公孫康まで頼るが、結局その公孫康に斬られた。
どうでもいいが、烏丸に逃げた際、烏丸の首長・蹹頓はむしろ袁熙を助けて戦ったという。
幽州に赴任してたときに、何らかの交友があったのかもしれない。

妻の甄氏は曹丕に奪われている…というのは有名な話。
実は、曹叡の生年の関係から、叡はこの袁熙の子ではないかという邪推もある。
正史の注釈人・斐松之は、そのあたりの考察を否定するかのように、
明帝伝の年齢記述がずれていると指摘しているが。

戻る