■袁 公路 | |||
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名は術。呂布以上に中原をかき回した人物。 ただただ領地から搾取した税金などで地力を固めて、露骨な野心と共に暴れまわった。 戦争の弱さは致命的。それでもしぶとく生きてたのは、群雄割拠の真っ只中だったことと、 割合に臨機応変な(その場しのぎとも言う)外交のおかげ。 反董卓連合瓦解後は孫堅と友好関係を保ちつつ北の公孫瓚とも結んで袁紹に対抗。 淮南に移った後も、孫策の力で江南を抑え、呂布と共に中原を撹乱していった。 ここまではまぁまぁだった流れも、皇帝僭称と共に全てが崩壊する。 後漢王朝を軽んじていたのは袁紹と同様だったものの、清流派を完全に敵に回しちゃったのが致命的。 結局、曹操を中心とした包囲網に破れ、放浪の果てに病死。 彼を動かしてたのはまず第一に袁紹への対抗心だったのだが、 最期になって袁紹を頼ろうとしたあたり、本当に精も根も尽きていたのだろう。 ただ、そのときの建前が「袁紹に帝位を譲る」というあたり、どこまでも袁術らしいのだが。 戻る |