2010年9月18日、 我らが埼玉西武ライオンズは、優勝マジックを4まで減らし、 2位の福岡ソフトバンクホークスと敵地での3連戦に臨んだ。 …だが、結果は悪夢の3連敗… まだ0.5ゲーム差で首位であったが、勢いの差は明らかで、 そのまま逆転優勝を攫われてしまったのであった… 巻き返しを図ろうとしたクライマックスシリーズも、 3位の千葉ロッテマリーンズに2試合連続で9回2アウトから同点・逆転負けを喰らうなど、 3位から日本一を掴んだ千葉ロッテの引き立て役にしかなれず、 悪夢のようなシーズンの終わり方をしたのだった… そんな悪夢を振り払うため、2011年こそは優勝と意気込み、 ソフトバンクや東北楽天のような大型補強はならなかったものの、 ポスティングシステムによるメジャーリーグ移籍を希望していた中島裕之選手を残留させ、 6球団競合の末に掴み取ったドラフト1位の大石達也投手、 ドラフト2位のサブマリン・牧田和久投手、 ドラフト3位の三拍子そろった秋山翔吾外野手と、 即戦力ルーキーがキャンプ・オープン戦と結果を残し、今年こそはという思いを強めていた。 …しかし……… 2011年3月11日、日本列島が激震した… 東北・北関東地域を中心に襲った大地震と大津波は、 多くの人々の命と財産を奪い、日本列島に大きな爪痕を残した。 それに加えて、火力・原子力発電所の一時停止により、 東日本は慢性的な電力不足に陥り、3月20日には計画停電が発表されたことで、 プロ野球の興行開催そのものが危うくなったのである。 パリーグは被災地の宮城を本拠地とする東北楽天が所属していたこともあって、 いち早く震災から1ヵ月後の4月12日に開幕延期を決定、 一方のセリーグは3月25日の開幕に拘ったことで、 世論の強烈なバッシングを浴び、 それに屈する形でパリーグと同じ4月12日の同時開幕となったのであった。 我らがライオンズは震災による直接的被害はなかったものの、 東京電力管内の電力需要の逼迫により、 屋根のある西武ドームでの試合を避けざるを得ず、 開幕権を北海道日本ハムに譲渡する形を取るなど、大幅な日程変更を迫られた。 また、福島原子力発電所の放射能漏れのニュースを受けて、 シコースキー投手とグラマン投手、フェルナンデス選手とブラウン選手が不安を覚え、 球団の許可なく無断帰国をしてしまい、 フェルナンデス選手とブラウン選手は開幕前に、 シコースキー投手とグラマン投手は開幕直後に合流したものの、 実戦不足の感は否めないままにシーズンの開幕を迎えたのであった。 2011年4月12日、 敵地の札幌で迎えた北海道日本ハムファイターズとの開幕戦は、 ライオンズ・涌井秀章投手、日ハム・ダルビッシュ有投手という同級生エース対決となり、 試合はキャンプ・オープン戦で大アピールをして7番ファーストの開幕スタメンを掴んだ 高卒3年目の内野手・浅村栄斗選手の3安打猛打賞の活躍や、 中島選手のダメ押しホームランもあって、ダルビッシュ投手を攻略しての12−3の大勝となった。 2戦目も勢いそのままに、 ルーキーで9番ライトスタメンを掴んだ秋山翔吾選手の3安打2打点の活躍もあって、 8−3で勝利する最高のスタートを切ったように思われたのであった。 流れが変わったのは3試合目の福岡ソフトバンクとの初戦であった。 ルーキーの先発・牧田和久投手の好投により、7回まで2−0とリードしていたものの、 初登板初完封が見えた8回裏に牧田投手が四球を与えたところでアクシデントで降板 (後に渡辺監督も牧田投手も行こうと思えば行けたという発言が重く圧し掛かる…)、 代わって長田・松永投手が登板するも流れを止められず同点とされてしまい、 最後は代役守護神を務めていた藤田太陽投手がサヨナラホームランを浴びてしまい、 今年もリリーフに泣かされるのかとライオンズファンを悲しみのどん底に突き落としたのだった… 翌日は中村剛也選手の2本のホームランもあって9−4で勝利したが、 3連戦の3試合目は打撃戦となり、9回表に同点に追いつく粘りを見せたものの、 急遽昇格となった抑えのシコースキー投手が直後にサヨナラ2ランを浴びてしまい、 開幕5試合で2試合のサヨナラ負けを経験し、完全にチームの歯車が狂ってしまった… 続く平日デーゲームで行われた千葉ロッテとの3連戦では、 相手の成瀬・唐川投手に連続完封を喫し、3戦目も1点止まり、 開幕直後の猛打が嘘のようにピタリと止まってしまい、 好調の浅村選手を除いて、極度の貧打に泣かされてしまったのであった。 次のオリックス戦でもその傾向は変わらず、 初戦は牧田投手をまたも見殺しにする0−2の完封負け、 2戦目は石井一久投手の好投もあって4−0で勝利するも、 3戦目は中盤に平野投手が上本捕手のミスから崩れてしまい、3−5で敗戦となった。 滋賀県の皇子山球場で迎えた初の主催試合も、 相手の東北楽天の岩隈投手の好投に抑えられ、 9回はあと一歩まで行くものの得点できず、0−2の完封負け、 翌日は雨天順延となり、4カード連続の負け越しとなってしまったのだった。 開幕以来の札幌での3連戦ということで、打線奮起の期待がかかったものの、 初戦は初回に不振の片岡選手のヒット・盗塁、栗山選手の送りバントで3塁へ進め、 中島選手の犠牲フライで幸先良く点数を挙げたものの、2回以降はチャンスを掴めず、 疲れが見え始めた牧田投手が6回に逆転を許すと、そのまま終わって1−4で敗戦、 ブラウン選手と秋山選手を2軍に落とし、坂田選手と大島選手を上げる打線の梃入れを図った2戦目は、 3回までに6点を奪う好結果へと繋げたが、先発の平野投手が5回に崩れて同点とされてしまい、 一旦追いつかれてしまうと、リリーフ勝負では正直分が悪く、6−9で逆転負けとなってしまった。 3戦目は日ハムのゴールデンルーキーの斎藤佑樹投手の前に4回途中までノーヒットに抑えられるも、 疲れを見せた6回に集中打で同点としたものの、逆転までは持ち込めず、 先発の帆足投手の降板後は、サヨナラのピンチの連続ではあったものの、 岡本篤志−グラマン−シコースキー投手の継投でなんとか逃げ切り、引き分けに持ち込んだのだった。 結局、5月2日時点まで、15試合終了して4勝10敗1引き分け、借金6の最下位、 既に5連敗を1度、4連敗(引き分けを挟んで継続中)を1度経験するなど、 投打の噛み合わない最悪のチーム状況に苦しんでいるのが現状である。 だが、まだシーズンは始まったばかりだ。 今シーズンは開幕が震災の影響で遅れたこともあって、シーズン終盤の過密日程が予想され、 若く選手層の厚いライオンズは、チームの勢いさえ付けば、いくらでも巻き返しが可能である 2011年5月3日、 いよいよ埼玉西武ライオンズは巨人と並んで12球団で最も遅く、本拠地でのシーズン初戦を迎える。 獅子は生まれたばかりの我が子を千尋の谷に突き落とし、 そこから這い上がって来たもののみを育てるという俗説がある。 獅子のスタートは窮地に陥ってからなのだ。 今ここに埼玉西武ライオンズの逆襲が始まる! (予定) |