■夏侯 稚権
名は恵。夏侯淵の六男。

学問、特に文章に優れた才があったらしく、名の知れた文章家でもあったらしい。
文章家の例に漏れず、上奏文を得意としていたという。
鐘繇の子・鐘毓と議論をすることも多かったらしいが、大抵、夏侯恵の意見が採用された。
また、人材を求める詔勅が降ったときに、劉邵を推薦している。
37という若さで早世した。鐘毓よりも実務に優れた能力があったとすれば、惜しまれる死といえる。
■夏侯 義権
名は和。上記の夏侯恵の弟にあたる。

弁舌さやかで才気に満ちた議論をした…という記述のみ。
鐘会が書いた論文の中にも名が見えるが、鐘会の母を称える論文ゆえにコレといった記述は無い。

魏書・陳留王紀(曹奐の伝)によれば、鐘会が蜀で反乱を起こそうとしたとき、強く諌めたらしい。
その功で列侯に封じられている。
それ以上の記述は無いのに、やはりゲームに出てきたりする。

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