■夏侯 子林 | |||
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名は楙。ダメ人間として意外に有名かもしれない。夏侯惇の息子。 曹操の娘を娶り、曹丕らと共に学び、魏成立後も重用されるなど運だけはかなり良かった。 しかしながら、それを鼻にかけて努力を怠ったのか、行動はまったくの論外。 側室を抱えすぎてせっかくの正室と不仲になり、あまつさえ実の弟たちとも険悪な関係を作る。 後に結託した妻と弟達に讒言されて、危うく死罪になるところだった。 ちなみに、曹操の娘を娶ることが出来たのは、曹丕の口添えがあっての事。 この話の面白いところは、後々になって曹操が嫁ぎ先を間違えたと思いっきり後悔したところ。 丁儀と面識が無かったため曹丕の意見を聞いたのだが、 曹丕が言うには、「丁儀は視力に障害があるのでやめたほうがいい」という類の批判。 しかし実際会ってみると、丁儀はその欠点を十分に補うほど非常に立派だったらしい。 そのこともあって丁儀およびその一派が曹植に味方したという話もある。 皇帝になってから人物登用に際して「画餅は食えぬ」という名言を吐き、 父・曹操に続き能力主義を推進した曹丕だが、 若い頃はなかなか青い失敗が多いということがわかるだろう。 戻る |