■董 仲穎

名は卓。

暴君中の暴君…と描かれることが多い。
この人に比べれば、蜀末期および呉末期の宦官の横暴さは可愛いものである。
但し、やってることに大差はない。なのになぜ…

正史によると、董卓は暴君と言い切れないところもある。
宦官に追われていた清廉官吏を登用していった流れなどがそう。
これは、董卓自身が名士でも何でもない武官だったからという話があり、
まだまだ実力主義には程遠い時代だということを認識させられる。
そもそも、董卓が台頭してから30年たった魏公国創立の時点でさえ、
曹操が権力を握ることを渋っている名士が山ほど居たのである。

その点を考えれば、反董卓連合のときにまとめ役を袁紹に譲って
自らは勢力と呼べるものを持とうともせず、長い間支軍として諸侯を助けていた曹操の動向は
相当に慎重な配慮の結果だったと推測することが出来るだろう。



戻る