■鄧 士載

名は艾(ガイ)。

鐘会とともに蜀を滅ぼした武将。元祖測量士。

若いころからずば抜けた測量技術を持っていたらしいが、
名家の出でもないことと吃音が災いして、それほどの役職にもつけず、
その貴重な特技も誰の目にも止まることがなかった。
しかし、測量技術を司馬懿に認められてから状況は一変し、
一気に要職まで駆け上がることに成功した。いわば叩き上げ。
鐘会とは、両者の出自からしても、相性が極端に良いか悪いかのどちらかだっただろう。
結局、鐘会自身の性格もあって、最悪となってしまい、鄧艾の運命を左右するほどにまでなる。

鄧艾は汝南から寿春にかけて運河を作るなど、持ち前の能力を遺憾なく発揮。
この運河が、後に起きる3つの反乱に俊敏な対応をする、非常に重要な役割を担っている。
演義でも述べられているように、蜀の北伐を防ぐのはこの後の事。
軍事才能もしっかりと備わっていた模様。伊達に苦労人ではないらしい。
姜維の敵役ではあるが、それほど酷い扱いではない。
それはやはり、彼の末節があまりにも哀れだからだろうか?

蜀滅亡に際しては、独特の軍才を発揮し、瞬く間に成都へ進出。
一方の鐘会は姜維らに足止めを食っていたのだが、
これがまた、とんでもない方向へと恨みを買ってしまうことになる。
結局、鄧艾親子は、鐘会の計略によりあらぬ疑いを掛けられ、都へと護送される途中で斬殺された。

鄧艾の名誉は部下や縁者の運動もあって後に回復され、孫は晋代に官職に就けられている。
しかし、余程の不運が付き纏っていたのだろう。
その孫も、一族を引き連れての赴任の途上で火災に遭い、一家は全滅した。
ここまでくると、呪いとかの類まで考えたくもなる…



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