■趙 子龍

名は雲。

正史での記述は非常に簡素で、活躍の詳細は斐松之の注に拠る「趙雲別伝」が殆ど。
こういう「別伝」で記述が補完されている人物は少なく、蜀では趙雲と費禕のみ。
今ひとつ伝の出自等がはっきりしないが、三国時代に書かれたものも多く、
後世の下手な史書よりは文献として見るところが多いこともある。
斐松之による私見が比較的少ないのも趙雲伝の特徴の一つ。

演義では「五虎大将」として関羽・張飛・馬超・黄忠と並び称されている。
しかし戦場の活躍で有名なのはいずれも逃げているときで、
勝勢の中での功らしき功は、諸葛亮・張飛らと入蜀するときに、途上の城を落としたことくらい。
勝ちに当たって功を譲り、負けるに当たって率先して衆をまとめる…そんな人物だったのだろう。
後に北伐で撤退したときの様子も見事と言うほかない。

また、上記4人の将と比べて目立つのが劉備・諸葛亮への諫言。
先ず民をいたわり、他の将兵への恩賞を惜しまず、感情に流されない一貫した態度はまさに美点。
画竜点睛というと言い過ぎだろうか?
しかしそのように考えてみれば、名の「雲」も字の「龍」もごくごく自然に考えられる。

それを踏まえてただ一つ彼について言うならば、
敢えて「画竜点睛を欠く」ということも、別の観点で誠実さに繋がることもあるということ。
時機を読み取りにくい上に非常に難儀ではあるが、少し上の教訓として覚えておきたいと思う。


戻る