■張 永年
名は松。
劉備の益州入りを推し進めた人物。
法正・孟達と仲がよく、志もなく暗愚な劉璋を嫌っていた。
勢力の鍵を握る謀臣に目を背けられるので、劉璋も災難である。
劉璋の使者として曹操のところに派遣されたというのは事実。
演義と違うのは、荊州が曹操の手に落ちた直後に赴いたという点だろうか。
曹操軍が南下して荊州に攻め寄せてくるに当たり、後に益州に侵攻するのでは、と恐れた劉璋は、
数回にわたり、曹操に使者を送っている。恐らく機嫌取りだろう。
張松の前に送られた使者は、曹操軍が荊州侵攻の直前ということもあって、
比較的懇ろに応対をしてもらったらしいが、張松のときは歯牙にもかけない応対だったらしい。
その応対を根に持って劉備に肩入れし、同時に益州そのものを劉備に治めさせるよう画策。
法正・孟達を使者として推薦するが、張松にとっては、そこが運命の分かれ道となってしまった。
結局、内通は発覚するのだが、蜀に残っていた張松は真っ先に刑死となった。