■陳 元龍

名は登。

陳珪の子。
活躍したのは徐州という一地方だが、東の脅威を取り除くに当たり、大きな功績があった。
広陵の太守として、内政・軍事に活躍。
呂布・孫策ら、中央を撹乱しようとした諸侯は、例外なく陳登に痛い目に遭っている。
後の魏の重臣・陳矯は彼が曹操に推挙した形になる。

長江周辺の諸郡で人望があったため、広陵から江南へ進出しようという意思を持っていたというが、
自身の病と孫策の台頭の為に、実行できなかったと思われる。
若い頃から諸学を学び、民を救済し国を立て直そうという大志を抱いていたらしい。
劉備は彼を評して「古代にも例を探すのが難しい人物」と賞賛している。

陳登で特筆すべきは、その死因。
腹に溜まった虫に、内臓を破られたという。
享年は39。惜しまれる早世といって良いだろう。
曹操は、彼の子を官職に取り立てている。


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