■陳 長文

名は羣。

字(あざな)を見てのとおり、まさに文書起草をするために生まれてきた男。
世界史で習う、九品官人法を上奏・作成したのもこの人である。

祖父・陳寔と父・陳紀は、後漢の名士として後世までその名を知られているが、
同じ穎川の荀氏と違い、高官に就いていた訳ではない。
しかしながらその名声は荀爽らと等しく、
事実、陳寔の葬儀の時には3万人の会葬者が訪れているほど。
正史・三国志を読むと、荀爽と陳寔の名は良く出てくるので、覚えておくといい。
荀爽は荀彧らと同族で、後漢の三公にもなっている。
なお、袁術配下に陳紀という人物が出てくるが、上記の陳羣の父・陳紀とは別人。

仕官した時期は、劉曄・蒋済らと大差なく、彼らと同様、陳羣の活躍は主に曹操の晩年以後。
上の九品官人法も曹丕が帝位についてからのこと。
特に曹丕と親しく、曹叡の補佐として曹真・曹休・司馬懿とともに後事を託されるほど。
この陳羣も、大事なことは外に漏らさず、内密に上表するタイプだったらしい。
何もしてないのに高官に就いたので、諂っているのかと周囲に疑われたこともある。
陳羣の起草した文章などが公にされると、みな考えを改めたらしい。


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