■臧 子源

名は洪。

ゲームには出てこないが、その伝はなかなか心に残る。広陵の出身。

若い時に曹操・袁紹・張邈らとの交流はないが、年代はほぼ一緒。
孝廉に推挙され、劉繇・王朗らと同時に県長に昇進している。
霊帝の末期に官位を捨てて帰郷したが、ちょうどその時、故郷の太守が張邈の弟・張超で、
その張超に招聘されて功曹となった。
これが大きな縁となって、後に臧洪の生涯を左右するほどになる。

反董卓連合の際に、張邈と会い、その才能を大いに評価される。
連合が誓約をする際、音頭を取ったと記述されているほど、才気にあふれていた模様。
後に張超によって劉虞への使者に立てられるが、役目(劉虞を天子に擁立する相談)を果たせず、
同じく劉虞を天子に担ぎ上げようとしていた袁紹と会見した。
袁紹も彼を高く評価し、友好を結び、そのとき空位にあった青州刺史に臧洪を任命。
当時の青州は黄巾の残党が州を荒らしていたが、
臧洪は治績を挙げ、袁紹もその力量に感歎している。

ここまでは彼の人生として順調なところだっただろう。
張超に始まり、張邈・袁紹と、中央に名声を持つ人間に信頼を受けている。
しかし、袁紹の命で東郡太守に転任してまもなくのこと。
張超が、兄の張邈らと共に曹操に叛旗を翻し、逆に反撃に遭って窮地に立たされた。
臧洪は、張超への恩を返すため、袁紹から離れて救援に赴くことを望んだが、
当時の袁紹は曹操と盟友であり、許可されなかった。
張超は、それでも臧洪が必ず来ると信じていたが、結局袁紹の為に臧洪の援軍は果たせず滅亡。

臧洪はこの件から袁紹に恨みを抱くようになり、袁紹と絶交し離反した。
袁紹もすぐさま軍を派遣して彼の居城を包囲したが、1年経っても陥落させることが出来ず、
臧洪と同郷の陳琳に、勧告文まで書かせている。

その後のくだりは割愛するが、漂う悲壮感は正史の中でもトップクラス。
兵糧攻めにも一人の離脱者を出すことなく耐え続けたが、結局、城は陥落。
袁紹は、どうしても臧洪を屈服させたかったらしいのだが、臧洪は頑としてはねつけ、最期は刑死。
陳琳の勧告文に対する返書からでも伺えるが、非常に義に厚い烈士であった。

彼の同郷に、陳容という者がいたが、彼もまた烈士であり、
臧洪を処刑しようとする袁紹に反意を示したため、一緒に処刑させられた。
これを見た周囲の人は、天下の義士を2人も同時に失ったことと、袁紹の狭量を嘆いたらしい。


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