■周 幼平

名は泰。

演義では蒋欽と賊を組み、ともに孫策の挙兵に感じて配下になったと描かれているが
本当に賊として暴れまわってたどうかは定かではない。
ただ、蒋欽と周泰の出身地が近く、また両者とも名門の家柄ではないので
御伽噺として組み合わせてみたのではないだろうか?
ともに孫策の配下になったというのは、どうやら本当らしい。

孫権に気に入られ、孫策の生存中から孫権の側近として働いている。
これは、孫権が自分で孫策に願ったらしい。
孫策の山越討伐の際、孫権を庇って20近くの傷を負い重態となるが、何とか事なきを得ている。
演義では、このときに華陀が登場しているが、正史では不明。
しかしながら、当時においては、余程の名医と患者の体力がないと、
それほどの傷で生き延びるのは難しかったのだろう。
後の君主・孫権の命を身を呈して守ったという点では、蜀の趙雲と似通っている。

濡須で都督となったときに、配下の徐盛・朱然が不満を抱いたが
孫権が自ら宴会を開き、昔、自分を守ったときに出来た古傷を見せて諸将をなだめた。
孫権の人身掌握術も見え隠れするシーンである。


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