■朱 休穆

名は桓。

周泰の後任で濡須の都督に就任。
濡須に遠征してきた曹仁軍をわずか五千の兵で撃破した。

敵・味方問わずに一目置かれていたが、一方で人の指図を受けるのを嫌っていた。
自尊心がかなり高いと書かれている。そして、やや支離滅裂。

その自尊心の高さと支離滅裂ぶりを示すエピソードを一つ。
全琮に指揮下に入ったときのこと。
作戦のことで全琮と言い争いになり、怒りのあまりに自分の側近1名と味方の将軍1名を屠り、
さらに暴挙を諌めた副官1名を殺してしまう。
全琮も名家の出自で、朱桓も呉の四姓といわれる朱氏の出自。
たとえ同列でもソリが合わない可能性は十分あったのだが……それにしても、異常な行動である。
その直後、病気ということで都に留め置かれた。

そういった面を持ちながらも、道義的に人を大切にする性分で、
配下の兵の生活にまで気にかけており、給与や財産はすべて兵とともに分け合っている。
また、配下の兵1万余りとその家族、すべての名前と顔を覚えていたらしい。
兵士やその家族にとって、上司に当たる武将に名を覚えてもらえるというのは、かなり喜ばしいこと。
こういう統率術もある。その面ではいい手本といえる。


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